命というものは、はかないからこそ、 尊く、厳かに美しいのだ。 | ライフスコアブック

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道端で見つけた猫を追っかけてたらお洒落なお店を見つけてしまったという類の思い出話。

あれ?


いつの間にか夏が終わっていた。


何したんだっけ?


フットサルして、バーベキューして、花火を見に行って、海で泳いで、25歳を迎えて、





そして、じいちゃんが死んだ。





仕事中に親父から来たメールを読んだ。


「訃報です。すぐ、帰省して下さい。」


2日間の休みをもらった。


次の日の朝、新幹線、特急を乗り継いで富山に帰ることにした。


澄み切った空に入道雲が浮かぶ、お盆が少し過ぎた頃の暑い夏の日の出来事だった。





正直、この歳まで生きてれば、じいちゃんやばあちゃんを亡くしている人は沢山いると思う。


ただ俺にとっては二等親以内の人を亡くすのは初めての出来事だった。


それより驚くべき事実が俺を待ち受けていた。


お通夜が終わった後うちに帰る車の中で、やっと親父から聞かされたのだが、




じいちゃんの死因は自殺だった。








今年の春、じいちゃんは交通事故にあった。


慣れない道を車で走っている途中、対向車とぶつかった。


入院をして大手術をした。


手術は成功し、リハビリをして元の生活に戻った。


と思っていた。





本当はリハビリをしても体の不自由が拭い切れず、あまり思うように生活出来ていなかった。


じいちゃんは釣りが大好きだった。


まだ実家にいた頃、よくじいちゃんが釣ってきた魚を食べていた。


車の中はいつも生臭い魚の匂いがしていた。


大好きだった釣りが出来なくなった。







遺書は清々しく、晴れやかな文章で綴られていたらしい。


最後におじさんとおかん宛てに「ゴメンネ」と書いてあったと聞いた。







あまり一般的な事ではないと思う。


だけど、じいちゃんの決断を俺は誇らしく思う。


誰にとってもそうであると思うが、勇気のいる決断だ。


しかし、その決断を取らずしても方法はあったようにも思う。


ただ、じいちゃんが何を思い、どうしてそうなったかは永遠に知る由もないことだが。






向けられるは満面の笑み。


その25年間の記憶が混じり合い、今にも笑いかけて来そうな死化粧に俺は涙を堪えずにはいれなかった。





火葬した帰り、立山連峰がよく映える青空に俺は別れを告げた。


暑い、暑い夏の日の出来事だった。




天国にも海があったらと、俺は切にそう願う。