司法修習生の「ユーザー化」を懸念する | Singer-Song-Lawyer とは私のことだ

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法務省の法曹養成検討会議で,司法修習生の給費制が廃止される方針が決まったらしい。
これまで給料がもらえていたのが,なくなるとのこと。修習専念義務があってアルバイト禁止であるのに(ばれると罷免モノである),生活費は自己負担になるわけだ。


いろんな問題が指摘されているが,私が懸念するのは,司法修習生の「ユーザー化」である。

ご存知の通り,司法試験に合格し,司法修習生を経て,裁判官,検察官,弁護士になることができる。
そのために,司法修習の期間,実務修習というものがあり,言わば,見習い裁判官,見習い検察官,見習い弁護士を行う。全員がこれらをひと通り行う。
指導するのは,もちろん,現役の裁判官,検察官,弁護士である。

皆さんそれぞれ自分の仕事を持って忙しい中,後輩の指導にあたるわけである。
自分の仕事を効率よく進めるという観点から考えると,司法修習生の指導というのは,邪魔でしかない。
指導担当をしたからといって,時間に見合う報酬をもらえるものでもない。

ただ皆さん,自分も若いときに,先輩裁判官,先輩検察官,先輩弁護士から,仕事をみてもらい,メシを食わせてもらったのだから,それを後輩に返してゆこうという思いから,指導を担当されているわけである。

こうした言わば「甘え」の構造により,日本は次代の法曹を養成してきたと言えよう。

(私も弁護修習の指導担当になって3年になる。日常の仕事から時間を割く必要があるが,まあ私の場合,3年とも問題ない司法修習生であったので,指導についてストレスはなかった)

このシステムが機能するためには,指導する側には恩恵を受けたという記憶が必要であり,指導される側には先輩の無償行為を謙虚に受ける姿勢が必要になる。

よって,司法修習生が「ユーザー」になってしまってはいけないのである。
金を出してるんやから,ちゃんとやらんかいという姿勢をとられたのでは,じゃあもう,こんな指導やっとれるかということになるわけである。

そして,かつて恩恵を受けたという記憶が形成されなかった司法修習生は,将来において,後輩に返してゆこうという気分にならないかもしれないわけである。

となると,「甘え」の構造が崩れてしまい,これまでに存した次代の法曹養成システムが崩壊してしまうおそれがある。

司法修習生の給費制廃止は,問題はいろいろ指摘されているが,そのひとつに司法修習生の「ユーザー化」の危険があると考える。
それは,法曹養成システムそのものを崩してしまいかねないという問題意識が持たれるべきであろう。

単に弁護士が育たないだけではなく,裁判官も検察官も育たなくなる。
これでは,我が国の秩序維持をになう一角が,崩壊しかねないわけだ。


財政難のときに,給費制なんてとんでもない?
いやいや,ロースクールにじゃぶじゃぶを税金が投入されている。
ロースクール制度なんて,ぶっ潰して,そこに金をつぎ込むのをやめれば,司法修習生の給費くらい,余裕で捻出できる。

つまるところ,10年前の制度に戻せば何の問題もないわけだ。
それが何故できないか? そりゃ,今の制度で儲かる人がいるからである。金の流れを見ると明らかな話だ。