ずっと少しずつ書いておりましたこの尾道紀行もこれが最後です。


その1から読んでいただいているかたはご存じかと思いますが

私は大林宣彦監督作品の大ファンで1980年代の三部作を

見て以来、いつかあの街を歩いてみたいという思いを実現できました。


この旅は、尾道をメインに呉、広島をまわる旅でした。

その3カ所をまわることによって、20数年の年月、戦争の傷跡を目の当たりにしました。


尾道は本当に道路が狭い!

何でこんなに狭いのか?

もちろん、瀬戸内の海岸からすぐに斜面になってしまっている地形にもよるのだが

一番の原因は、第2次世界大戦において空襲を全く受けていないことによるものが

大きいとおもわれる。

一方で軍事施設があった呉、広島は空襲あるいは原爆によって焼け野原になってしまったがために

区画整理されて、びっくりするほど道が広い。


さて、呉にて大和ミュージアム、広島にて平和記念公園&記念館を訪れた。

呉の大和ミュージアム、そして広島の平和記念館を見学するにあたり

それぞれ呉市、広島市の歴史から館内の順路ができている。


学校の教科書だけではわからない(書いてあっても気にとめない)ものが

まざまざと心に打ち響く


世界では、宗教戦争や内戦が起こっているが少なくとも日本はもう戦争に荷担すべきではない!

それが、日本人の共通の認識でありそれを語り継いでいく義務がある。

まだまだ、不勉強なので何故、日本が戦争を起こしてしまったかはよくわからない。

何で満州事変がおきて満州国が設立されたのかも真相はよくわからない。


戦争が起こることはいけないけれど、

少なくとも核兵器を使用することは二度と起こしてはいけない。


アメリカ、ロシア、フランスなどが核兵器実験を行うたびに

広島市長が各国大使館に抗議文を送っている。

それを知っている日本人がどれだけいるのだろうか?

私は、広島の平和記念館で初めて知った。


我々、戦後に生まれた人間は、戦争体験者から聞いたことを語り継いで行かなければいけないんだろう


それはそうと、広島の原爆ドームが世界遺産からはずされそうな気配があるらしい。

それは、まわりの景観をによるものらしい


憲法9条の問題ということにしても日本は間違った方向に進んでしまっているような気がする。