松竹中西の!負けたくないし、負けてない!
今週は「V」。
やっとこの企画も終盤。毎週続けていればたった26週間で終わるこの企画がまだ終わっていない。
同時に始めたメンバーも全員がドロップしてます。
なんとか最後までやりきります。
vocabulary-語彙
語彙なんです。
僕は人と話す時、出来るだけ綺麗な言葉を使うように心がけている。
出来ているかは置いておくとして、
敬語や、らぬき言葉、といった一般的な部分はもちろん、
物を指す時に使う「右のヤツ」や、人に対して「お前」などの言葉も使わないように気をつけている。
別に、綺麗な言葉を使って、どうなりたい。という訳ではないが、
いつも心がけているつもりだ。
僕が使いたくない言葉のなかでも、とりわけ嫌いで聞くのも嫌な言葉は、
「死ね」「殺す」の二つの言葉だ。
大の大人が笑いながらこの言葉を発するのは聞いていられないし、見ていられない。
でも、大の大人に対して言葉遣いを注意できるほど僕も偉くない。
だからその場は笑いながらやり過ごす。
一方、親しい間柄の友人や、パートナーに対してはつい注意したり、「やめて」とお願いしてしまう。
それくらいこの言葉が嫌いだ。
とまぁ、重い話がしたいわけではなくて、語彙について書きたい。
特に語彙を制限することについて。
語彙を言葉と置き換えるのが正しい事かどうかは分からないが、
言葉がその持ち主を表現する重要な手段の一つであることは間違いない。
僕に言葉がなければ表現が限定される。訳の分からないブログも存在しない。
表現が出来ない状態は他者からの承認が得られない事に直結し、他者からの承認が得られない状態は他者への依存を招く。
というような事を、学生時代になんとなく、ただぼんやりと考えていた。
そこで僕はほんのいたずら心から、当時のパートナーの語彙を制限した。
「死ぬ」「殺す」に始まり、僕が嫌いな言葉遣いや、パートナーの口癖を次々と制限した。
もちろん相手も赤子ではないので、「使うな。」と伝えるだけでは制限出来ない。だから僕は様々な方法でパートナーの語彙を制限しようと試みた。
高圧的に禁止したり、お願いしたり、他の口癖を植え付けて語彙を塗り替えようとしたりした。
どの試みが効果があり、どれがなかったのかは今となっては定かではない。
しかし、結果的に語彙を制限されたパートナーは自分らしく表現する手段の一つを失うことになった。
不完全にしか表現できなくなったパートナーは、明らかに他者に依存し始めた。
親、友人、僕に。
でも僕は語彙の制限を止めることなく、その対象を拡げた。依存が進むほどに制限もしやすくなった。
そして、徐々に表現する手段がなくなっていく事にパートナーが気付いた頃には、もう彼女の依存と語彙の塗り替えは後戻りができないところまで進んでいた。
語彙の塗り替えによって、自分の語彙による表現が出来なくなってしまったパートナーは、話す言葉、振る舞い、全てが借り物のような表現しか出来なくなっていた。
そして自分本来の表現でない事を理解しつつも、塗り替えられた語彙を使う以外、表現する手段がないパートナーは他者への依存が加速度的に進む。
その後、僕が依存に耐えられなくなり、関係は解消したが、彼女がどうなったのかは知らない。
んー、気持ち悪い作り話を書こうと思ったけど、なかなかうまくいかないもんですね。あんまり気持ち悪くないし、オチがない。難しいなぁ。
語彙の制限が依存どうのこうのは良く分からないけど、
「死ぬ」「殺す」という言葉が苦手なのは本当です。
聞くのが怖いんです。