カンナちゃんと須坂市の関係

2004年カンナ・プロッジェクトは始まりました。

原爆投下から1ヶ月で咲いた奇跡の花「カンナ」

生きる勇気をくれたのに60年も忘れ去られた真っ赤な花「カンナ」

「花にも恩を忘れない」

カンナにお礼気持ちを込めて周知活動を始めました。

それから3年目の2007年、

子どもたちがカンナの花を見たことがないといいました。

広島にも雪の積もるところがあると知った橘は、

雪に強いカンナを探して須坂のカンナ街道に出逢いました。

須坂市の職員さんたちは親切に案内をして下さいました。



そこで出逢ったのが園芸家の田辺さんでした。



田辺さんは橘の話に共鳴して下さり球根を下さることになりました。



翌春、広島の小学校9校にカンナの球根を植えました。

その翌年は、9校から株分けして長崎・沖縄・東京・大阪にリレーしました。



須坂にも「里帰りカンナ」と名付けて届けに行きました。

田辺さんはうれしそうに言って下さいました。

「向こう(広島)で大切に育てて咲かせてくれたカンナだ
こっちでも大事にしなきゃなんねえじゃないか」

こうして須坂に「広島里帰りカンナ街道」が誕生しました。

TVのニュースで3分ほどのミニドキュメンタリーが放映されました

広島の子どもたちはこのDVDを見ているので、みな田辺さんを知っています。



翌2010年、田辺さんが癌だと知りました

広島の子どもたちは 田辺さんのことを思って泣きました。

手紙・寄せ書き・千羽鶴・絵本などたくさん田辺さんのために作ってくれました。

橘はそれを届けました

奇跡が起きました! 田辺さんの癌が消えたのです!

「広島のカンナは何月まで咲く?子どもたちにお礼に行きたい」

そう言ってリハビリをがんばっていました。

しかし、9月、癌治療で壊れてしまった細胞は元には戻らず、

田辺さんは天国に行ってしまいました。



もうカンナは辞めようと思うくらい悲しいお別れでした。

帰る時、車まで送って下さったご子息が

「今度は父の替わりに僕がカンナを送ります」

そう行って下さいました。「やらなくては!」そう思いました。

再びカンナリレーがはじまりました。



須坂市が球根の協力を申し出て下さいました。

須坂の球根を広島野土を吸わせ、子どもたちが球根を増やしリレーする。

この仕組み=カンナリレーを橘は作りました。

全国を回りバトンを繋ぎました。





須坂から広島へ、そして全国へ。

お互いに想いを馳せ合うことで平和は作れると信じています。

それを繋げるのは子どもたちです。






国内23都道府県146校へリレーしました。

須坂から広島へ そして広島から世界へ。






世界には10カ国にカンナをリレーしました。

須坂から広島へ そして世界へ。





田辺さんは天国で見守って下さっているといつも感じます。

「橘さんよ!こんなに遠くまでリレーしちゃっちゃぁ~ 
 天国からしか守りきれねえじゃないか(笑)」

きっとそう言ってらっしゃいますね。


2011年10月、福島の仮設住宅のみなさまに

須坂市立東中学校のみんなが、カンナの苗と笑顔=カンナスマイルをくれました。

車に積めるだけ積んで福島に向かいました。

ありがとう みなさん!



カンナしっかり届けましたよ。

みなさんよろこんでいました。





翌2012年には咲かせて下さいましたよ。





三春幼稚園の子どもたちに寄せ書きもありがとう。



三春の子どもたちからお礼状です。





2012年11月須坂に球根の掘り起こし作業に行きました。



市長さん始め、大狭さん、市の職員のみなさまは

いつも暖かく迎えてくださいます。

球根を室にいれるお手伝いをしました。






2013年4月球根の掘り起こしに出かけました。

既に掘り起こされていました。



市長が須坂人形博物館を案内して下さいました。

人形たちを見ていて、

橘 「そう言えば カンナちゃん作ったんですよ」

市長「えっ 見せて下さい」

一緒に出かけた会津若松の星さん(写真右)が車までとりに行って下さいました。
  




橘  「こんな感じなんです」

市長 「これ 須坂のゆるキャラにしていい?」

橘  「えっ?」

市長 「カンナちゃんの妹でいいから」




いきなりのお申し出にビックリしましたが、

橘 「うれしいです。はい!」とお応えしました




一緒にいらしたまちづくり課の課長さんもにっこり。



午後からは総務部の部長さんが案内して下さいました。




時は流れ・・・・

8月6日には中学生各校からの代表が広島を訪れました。

資料館を案内致しました。



「カンナちゃんほしい!」と人気でした。




下の写真は元のカンナちゃんのラフ画です

花びら状のが4枚でした



フェルトアートの講座を受けて橘が作ったカンナちゃんです。




子どもたちにも大人たちにも作り方をご伝授して、

たくさんのMy Cannaちゃんが出来ました。




ところが・・・・カンナの研究の第一人者の先生から、

「カンナの花びら状のものは3枚 めしべ状のものは2本なのです・・・」と。

橘は 花房がひとつふたつと数えて4つの花房を描いたつもりでしたが、

先生のご指摘を尊重してデザインを急遽替えました。






でもちょうど良いことに気づきました

カンナちゃんのコンセプトに「勇気」をいれたかったのです

これが現在のカンナちゃんです




これを元にして「ゆるキャラカンナちゃん」が生まれました



須坂にカンナちゃんが誕生したのです。

本当のお披露目は4月14日です

須坂に行って参ります。




かわいいでしょ^^/


かんなちゃん 人気者になってくれるといいな。

皆さんも応援して下さいね^^/




カンナちゃんプロフィール☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

平和と希望の象徴のカンナちゃん

キャッチフレーズ「世界中の人の心に平和と希望の花を咲かせましょう!」


誕生日   1945年8月6日 爆風に飛ばされるも1ヶ月後復活した奇跡の花
故郷    広島市原爆爆心地820m地点
使命    平和な地球を作ること(カンナ・プロジェクト)
肩書き   カンナ平和親善大使(通称カンナ大使)
花言葉   堅実な未来
特徴    放射能にも負けない強い体と優しい心
       頭の花びら状の3枚は、希望・勇気・笑顔
       めしべおしべ状の2つは、未来と平和
       花状の3とめしべおしべ状の2の5つは五大陸を表している
特技    笑顔(カンナスマイル) 人々に元気をあげること
好きな言葉 「恕」(じょ・ゆるす)己の欲せざるところ人に施す事勿れ

広島の人々に生きる勇気を与えた花です
その後復興とともに瓦礫とともに掘り起こされ捨て去られました
60年間宇宙から地球を見守っていました
2004年、橘凛保と出逢い、物語の主人公として現在によみがえる
2008年から、須坂のご賛同、ご協力で再び広島の子どもたちが花を咲かせる
2009年から広島で咲いたカンナの球根をバトンに平和のリレー始まる
長崎、沖縄を始め23都道府県146校 他仮設住宅など
海外はモンサンミッシェル、バチカン、ベトナム始め10カ国に咲いた

カンナちゃんは、希望と勇気と笑顔があれば未来は作れる
平和も作れると信じて頑張っています


「カンナをリレーすることでお互いが想いを馳せ合っていけたら
きっと世界は平和になりますよね^^/ 皆さん、仲良くして下さいね!」カンナより





キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


http://canna-project.com/


 原爆から1ヶ月で咲いてくれた真っ赤なカンナの花を
 
 日本中の子どもたちと咲かせています  世界にも咲かせています 
 
 地球はひとつです

 「世界中の人の心に平和と希望の花を咲かせましょう!」