葡萄食ふ一語一語の如くにて  草田男


古事記に、イザナギノミコトが黄泉の国から

志許売(シコメ)に追われて逃げ帰るおりに、

黒御髪(クロミカズラ)をとって投げつけて

時を稼いだといわれています。


クロミカズラは日本に自生していたといわれる野葡萄の事で、

古名はエビカズラといいますから、

美味しいワイン造りにはとても無理のようです。


ワインを最初に飲んだ日本人は

ポルトガル、オランダの交易からでなく、

遣唐使として渡った役人でないかとの説もあります。


この頃中国ではシルクロードを通して

ワインの醸造方法が伝わったとされています。


遣唐使がワインを持ち帰ったかどうかは分かりませんが、

葡萄の種を持ち帰ったのでないかと推測されます。


当時の高層行基が全国行脚したといわれる各地に

行基伝説が数多く残っています。


その中ひとつ甲州勝沼に伝わる話は、

養老二年(718年)に大尊寺を建立し、

この時葡萄一房持っていたといわれています。


記録ではワインが日本に渡ったのは

室町時代といわれています。


伏見宮親王の看聞御記(永亨7年 1435年)正月二十八日の條に、

味は砂糖のようで色が黒いとあるのが

最初でないかとされています。


これには異論もありリキュールとの説もあります。


はっきりしているのはポルトガルの宣教師ザビエルで、

大内義隆にワインを贈っています。


永禄六年(1563年)には、

二十六聖人の殉教を目撃したルイス・フロイスが、

肥前大村藩城主で最初のキリシタン大名大村純忠に、

船長がワインを贈ったと本国のイエスス会に

手紙を書いています。


この頃のポルトガルワインは

赤が主に生産されていたといいますから、

日本へ入って来たのは赤ワインとおもわれます。


キリシタン大名といわれる武将達は酒好きで、

大友宗麟などは幾度とも酒宴を開き

宣教師たちと大いに語っています。


信長、秀吉も大いに飲んでいます。

家康になりますと遺品の中に、

六貫四百匁のワイン一壺があったといわれます。


戦国から江戸時代にかけてワインを飲む事の出来たのは、

ごく限られた武将であり豪商たちです。


日本のワインのあけぼのは明治に入ってからで、

葡萄の産地甲府では明治三~四年にかけて、

明治九年になりようやく内務省勧業寮が

注目して研究を始めます。