茶の緑麦の緑に朝の緑 静堂
昔の旅は歩く事がすべてで、疲れを癒やしてくれるのは、
街道筋の茶店か宿の食事、宿場毎の名物に胸ときめきました。
食べ物を織り込んだ案内記も多く出ており、
今でも宿場町に残っています。
『梅若葉丸子宿のとろろ汁』 芭蕉
丸子の名物はとろろ汁です。
東海道中膝栗毛二編下に、
『丸子の宿にいたる。ここにて支度せんと茶屋へはいりこむ
「コウ飯をくふか。爰はとろろ汁がめいぶつだの」
「そふよ。モシ御ていしゅとろろ汁ありやすか」
「ハイ「今できず」
「ナニだきねへか、しまった」
[ハレじっきにこしらへずに、ちいとまちなさろ]
(トにはかに、いものかはもむかずして、さっさとおろしかゝり)
「おなべヤのおなべヤノ。このいそがしいのに、あによヲしている。
ちょっくりこいちょっくりこい』
とやがて夫婦喧嘩が始まる様を面白おかしくとらえています。
とろろ汁といえば麦飯ですが、
太田南畝の改元紀行に、
『芭蕉翁の発句に、梅若葉とめでし薯蕷汁いかがならんと、
人してもとむるに、麦の飯に青海苔とろろかけて来れり』
と麦飯であった事が分かります。
同じ東海道中膝栗毛七編下に、
『けさは麦飯をたきましたとって、何が、とろゝ汁を
すったほどにすったほどに、擂鉢二十ばかりも、
そこにならべてあるとおもひなせへ…
麦めしをその中へ、山のよふにもってくひおる』
とろろ汁と麦飯の取り合わせは早くから定着していたようです。
『麦めしのちそう和尚は水かげん』(柳多留2)
寺でとろろ汁を作っている様子です。
『麦めしとかいて榎へ立てかける』(柳多留4)
榎は街道に一里塚の標識に植えた木で、
一里塚の前にある茶店の風景です。
江戸で嫌われた麦飯は、
ささやかですが、とろろによって生き返ります。