地球と人間の関係 | 柑橘スローライフ

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地球の年齢は現在45~6億歳と言われます。
そして地球の寿命は、太陽の寿命の100億年を考慮すると、
90億年というところになるのでしょうか。


時間縮尺を変えて、地球の1億歳を人の1歳と例えると、
今の地球は「45、6歳の中年の働き盛り」といったところになるでしょう。


今日1月29日の0時を、ちょうど地球の46歳の誕生日と仮定します。
この時間縮尺で考えた場合、人類というのはいつ現れたことになるのでしょうか。
人類をどの段階からとするかにより差異は出ますけれど、
クロマニヨン人などの新人を現在の「人類の誕生」と考えると、
20万年前なので、計算すると約17時間前になります。
つまり前日の午前7時くらいです。人類の誕生自体が前日の朝くらいなんですね。


それでは西暦の2000年というのはいつぐらいに始まったのでしょうか。
計算すると約10分前で、ほんのついさっきになります。
我々はこの西暦というほんの短い歴史の中に、あたかも地球の歴史の全てが
組み込まれているような錯覚をしていないでしょうか。


人の場合であれば、僅か10分の間に、46歳の人の何がわかるでしょうか。
普通、ほんの表面的なことしかわからないと思います。
しかし、この僅か10分間(=2000年)、いや正確に言うと1分間(=200年)程度で、
我々は地球が46(億)年間に溜め込んだ様々な資源を貪ろうとしているわけですね。


視点を大きな俯瞰にした場合、人類は地球上の永遠の中心主体ではなく、
極めて短期的な覇権者に過ぎないということが言えると思います。
人類の覇権期間はどんなに長めに見ても30万年というところではないでしょうか。
これを先ほどの時間縮尺で考えると、せいぜい「1泊2日」程度ということになります。
90歳で寿命を全うする人における「1泊2日」です。
1泊2日の短期滞在者が、宿泊先の食べ物の底をつかせ、勝手に焚き火をし、
花火を一晩中し、根こそぎ財宝を盗めば、大変な問題なはずです。
短期滞在者には、それなりのマナーがあるはずです。


環境というものを考える場合、我々は何を主語として考えるのかということを
おざなりにしてはならないと思います。
現在の人類が持つ物質的欲求や利便性追求という欲望をそのまま変えずに
考えるのであれば、本質的な環境の議論には至らないと感じられるのです。


今、我々が地球から突きつけられている命題は、
大量生産・大量消費という物質的欲求、そしてそこに連なる富の欲求を
この先も続けていくのか、ということに集約されると思います。


このとてつもなく大きなパラダイムの変容を模索する事なくして、
環境問題は本質的には考えられないと思われるのです。
そして、この本質的なところへの考慮をせずに、現状が続くのならば、
どんなに先進国がCo2等の数値的な目標を掲げたところで、
それの実際の効果測定は不可能であり、また中国を初めとした数十億の人々の
今後の本格的な高度経済成長期への突入によるCo2や汚染による環境悪化は、
殆んど不可避なものと感じられてしまうのです。


若干厳しい言い方になりますが、地球を主語として考えた場合に、
「人類」というものを定義づけると、先ほどの時間縮尺でもわかるように、
急性かつ悪性のウィルスに近いものと言うことが可能になってしまうようです。
我々は、自分自身を急性の悪性ウィルスと認めるのか、
それとも良性の生命体と認めてもらうのかを、
そろそろ地球に対して証明する時期にさしかかっているような気がします。


かくいう私も燃費の悪い車に乗り、時にボートに乗り、日々大量のゴミを出し、
物質文明というバスタブにどっぶりと肩まで浸かっています。


我々は「地球を1泊2日で貸してもらっている」に過ぎない存在です。
故に、散らかしたものを元に戻さないといけないのではと感じるのです。