阪神・淡路大震災の慰霊の日 | 旅人茶屋

阪神・淡路大震災の慰霊の日

明日、時刻が一日の始まりとしてスタートするその早朝、阪神大震災の16回目の慰霊の日が訪れる。


被災者たちの悲痛を風化させないためにも、この日は神戸の町に慰霊の火が灯る。


東京都写真美術館では、「その街のこども」と題した、被災者たちの今をみつめるという映画が今月15日から上映が始まった。
こどもの頃に体験した震災、大人になってからもう一度あの時を振り返り、被災者たちの生きていきながら味わう葛藤と苦しさを、実際に震災を体験した森山未來と佐藤江梨子が若者の今を演じる。

http://www.sonomachi.com/


作品のCMを見る限り興味があり、また東京都写真美術館で上映する作品としては珍しいことも、”見てみたい”という衝動にかられる一つの理由である。


先日、妻が図書館で返却する用事のついでに、いくつかの雑誌を調達してきた。
もちろん、勝手にもってきたのではない。
雑誌関係は、1年半ほど経過するとリサイクル図書として”ご自由に”と配布される。
いくつかあるうちから、妻は僕が興味をもちそうな媒体と目次から推測し、三冊の「週刊 金曜日」を頂いてきた。
2008年と2009年のまだそれほど時間が経過していない記事だが、一連に目を通すと記憶が薄れている事件もあった。
これは風化の対象として成り立つ。


その連載記事の中に、高遠菜穂子さんのイラクリポートが掲載されていた。
2004年4月にイラクでの邦人人質事件の一人である。
その頃、日本国中は3人へのバッシングが嵐の如く巻き起こっていた。


「自作自演だ、死んで当然の自己責任」と、よってたかって一個人を批判した。

しかし、そんな自己責任論も時が経てば終息し、その言葉はいつしか人々の記憶から消え去った。


阪神・淡路大震災の被災者の心は、今でもその記憶に苦しんでいるという。
ケアをしながら被災を風化させないように人々は助け合う。

その慰霊の灯火は、今後も消すことなく存続してほしいというのは、切なる願いだ。


一方で、マスコミによって”あおられた”言葉で、一個人に向けた度を越えた感情が実際にあったことも、また忘れてはならない。