大井川 遠州灘の旅 3 ~ 湧水
一度国道にシフトし大井川に沿って上流をめざしていくよりも、ぐにゃぐにゃと緑あふるる山間部をぬって走る方を選択する。というか、1車線しかないような山道を、いつのまにか僕らは走っている。
ちょっとした道の間違い、そのうちまた元に戻れるだろうという安易な考え方が、完全に間違った考えかたであることに気が付いたのは、かれこれ30分も走った頃のこと。いまさら戻ったところで、どこの辺りで間違えたのかさえ、記憶は乏しくなっている。
手元にあるのは、大ざっぱな地図が1冊。 けれど引き返してみようなどとは、不思議と思わない。
僕の車にナビはない。 都内で仕事をしていても、地図1冊で充分に走れる。どこをどう通れば渋滞に巻き込まれないかも、いわゆる”勘”というやつで、今を乗り切っている。
ナビに頼っているドライバーのほとんどは、ナビがなくなってしまうと右往左往しながらの運転になるという。
同様なことに、携帯電話がある。
携帯電話という近代社会繁栄の象徴の産物が、この世に量産という形で出現して15年ほど。
それまでは、業者や友人の電話番号を50件ぐらい暗記できていたのが、いまでは5件がいいところ。人間が利便追求のため操ろうと開発してきた機械に、逆に今では人間が機械に操られているのがこの現代。
わかっていながらも、この僕自身、最近流行りのアンドロイド携帯を手に入れた。それは人造人間と訳される。
と、まぁ近代文明のアイテムがなくったって道はあるんだ、という思いでハンドルを右にきり左にきり。引き返そうという気持ちは相変わらずゼロに等しい。
左側には大井川か天竜川かの支流が流れている。地図を見ていると、この支流沿いの道を走れば、大井川に出られるらしい。
そう、地図を指でなぞってみると、「ああ、道ってつながっているんだ」という実感がわく。
すると道幅のない右側に車を停車させ、山肌から流れる水を汲んでいる人たちに遭遇した。
「湧き水だ。」
僕はその30mほどの停車できるスペースに車を滑らせ、車内の家族たちに聞いてみる。
「湧き水だろ。汲んでみないか?」
この猛暑の中、大人用の水筒も子供用の水筒も、ほとんど空に等しい。
当然、全員乗り気である。
近づいてみると、しかし、楊壁に塩ビのパイプを差したところから流れる水を確認した。
期待はあまりできない。そう、見た目の印象である。