こんにちは。みどりです。

お久しぶりです!

 

2018年7月29日、ロンボク島でM6.4の地震がありました。

 

メッセージやメール・コメントなどで安否を気遣ってくださった皆様、ありがとうございました。私も家族もみな無事です。

 

家も倒壊せず、ガス電気水道食べ物、すべて困らずに生活できております。
 

余震などもありこの二晩は家の庭で寝ていたのですが、昨晩は家のベッドで眠れました。3日たちまして私の周囲はすでにほぼ日常を取り戻しております。

 

しかし、被害の大きかったところはこれから本格的な復興が始まります。

 

私も自分ができる精いっぱいのことをロンボク島に返していきたいと思っています。

 

そのひとつがブログなどでロンボク島やロンボクの人々のことを発信すること!

 

地震であらためて「なるほど、だから災害にあってもスイスイラララで生きていけるんだね~」とロンボクカッパさんたちから学んだことがあります。

 

これをきっかけに、明日からまた心と体がほっとゆるんでスイスイラララと生きていける話をシェアしていきますね。

 

今日は無事のご報告のみで失礼させてください。

 

また明日☆

 

みどり

 

 

●「ごめんね」「いいよ」の効力

 

こんにちは、みどりです。

 

イスラム教徒は昨日、1ヶ月の断食月を終えて、断食明け大祭という祝日を迎えました。

 

この日は決まり文句があってね。

 

「断食明け、おめでとう!」のほかに、こう言うんです。

 

「mohon maaf lahir dan batin」(心からお詫び申し上げます)

 

私が何かあなたにとって失礼なことをしていたり、傷つけたり悲しませたり苦しませたりしていたらごめんね、という意味です。

 

 

そして、こう言われた方も同じことを返します。

 

私も何か良からぬことをしていたならごめんね、と。

 

いやいや、私は何も悪いことしてないから!なんてことはなくて。笑

 

謙虚にお互いに謝って、誤ちを許しあいます。

 

もちろん、本当に心当たりがある場合はなおのこと心を込めて謝ります。

 

断食明けのたびに私もこう言いますが、控えめにいってもめちゃくちゃ素晴らしいんですよ。心がすうううううううっとします。

 

一年に一度、謝罪して許される日。

 

*

 

このあいだ、過食に苦しむ女性の相談にのりました。

 

彼女は若い頃にお母様を亡くしているのですが、ずっとそれを自分のせいだと思ってきたそうです。

 

そこで、お母様にお手紙を書いてもらうことにしました。

 

彼女はお母さんありがとうと感謝の気持ちを伝えるのかなぁと思って書き始めたそうですが、実際に書き終えたものを読むと謝罪の言葉が並んでいたそう。

 

それで、はじめて彼女はわかったんですね。

 

謝りたかったこと。許してほしかったこと。

 

でも、ずっと謝っていませんでした。

 

私のせいでお母さんは死んでしまったのだから、謝って許されるものではない、謝ってはならないと無意識に思っていたのでしょうね。

 

彼女は「なんだか許してもらえた気がする」と言いました。

 

そして、何かずーーーーーーーっと不安だった、それが何かもわからなかった、でも今は心穏やかに過ごせています、と。

 

*

 

彼女のお母様は亡くなっているのだし、許してもらえたなんて気のせいだと思う人もいるかもしれません。

 

だけど、そんなのどうだっていいんです。

 

大切なことは、彼女が許されたと感じたこと。

 

つまり、自分で自分を許したということです。(たとえ他人から許されていても「でもやっぱり私が悪いから、、、」と自分でその許しを受け入れなければ、いつまでたっても許されないです。それが罪悪感につながります)。

 

*

 

私はイスラム教徒になって、この挨拶を年に一度するようになってから、謝って許されることは究極の癒しだと思うようになりました。

 

この日の場合はもれなく「許される」ことになってるのだけど、現実的には他人に許してもらえるか、はたまた自分で自分を許せるかはコントロールできません。

 

でも、いいんです。もう許しちゃえば。

 

さらに、別に年に一度でなくてもいいやんと思い、私は毎晩、寝る前に自分に言っています。「ごめんね」「うん、いいよ」って。

 

イライラして娘に当たった自分、些細なことで拗ねた自分、すると言ったことをしなかった自分。

 

全部思うようにできたらいいけど、未熟者ゆえそうできないこともたくさんあります。だから自分や相手に対してごめんなさいを言います。で、ここがめちゃくちゃ大事なんだけど、自分で自分を許します。いいよって。

 

最初のうちはただ機械的にいいよと言ってました。

 

いやいや、やっぱそれはあかんやろと思う気持ちを振り切って、許す。とにかく許す。そうしてから寝ます。

 

試しに今晩、ごめんね、いいよと言ってから寝てみてください。安眠できるよ。

●相手の言葉に傷つきやすいあなたへ

 

こんにちは、みどりです。

 

今日はちょっとした質問から入ります。

 

 

私の画才は、まあこんななんですけど。笑

 

これ、何にみえますか?

 

直感で答えてください。

 

え? 聞こえない。

 

ねえ、何にみえる?

 

 

 

 

 

 

 

 

…答えましたか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、あなたの答え、正解です!

 

これね、娘のマグカップです。上から見たところ。

 

でもね、もう一度よく読んでほしいのです。

 

私は「これは何ですか?」ではなくて、「何に見えますか?」と尋ねました。

 

だから、あなたの答えはすべて「ほーなるほど、あなたにはそう見えたんですね」と肯定的に受け止められます。

 

もしかしたらライオンに見えたという人がいるかもしれません。

 

そうしたら私は重ねて尋ねるでしょう。

 

「なんでそう見えたの?」と。

 

*

 

人とコミュニケーションをとるとき、この視点があるととても楽です。

 

これは、私の見方。

こっちは、相手の見方。

 

違うってこと認識しやすいからね。

 

本来、違って当たり前なのですが、多くの人は断定的なモノの言い方をします。正解かどうか、白か黒か、という話し方ですね。

 

だから、二人で話していて意見が割れると、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというふうになりやすいです。

 

でも、世界はもっと曖昧なんですよ。

 

人の数だけ見え方があるんです。

 

この絵が何に見えたか、意見が割れるように。

 

*

 

私も、

 

「あなた、使えないわね」

「岡本の存在がウザい」

 

などと言われて落ち込んだことがあります。

 

あれはただ単に相手にはそう見えていたってことなんだなと今では思います。

 

私がどんな人間かなんて、誰にもわかりません。

 

自分自身についてのことに限らず。

 

どんな話題のときでも、相手の言葉は相手の見方、考え方です。

 

で、ここから大事なんだけど。

 

相手のその考え方、見え方をどうするかはあなたが決めていいんですよ。

 

素敵だな、心地いいなと思ったらあなたの心に留めます。

 

言われて嬉しかったことなどは、美しい詩のように、心のギャラリーに飾っておきましょう。

 

逆に不快なものは、心の中に入れなくていいです。

 

罵倒されたり、見下されたり、非難否定されたりして、イヤだなと感じたら、その相手の言葉(=相手の見方、考え方)は心の扉の前で門前払いしていいんです。

 

あー、あの人にはそう見えたんだ。

 

でも私には、その言葉いらないわ。さよなら、ポイ。

 

これでよろしおます。躊躇しなくてよし!

 

また、興味深いな、より詳しく聞きたいなと思ったものは、さらに質問してみましょう。「どうしてそう思うの?」と。「なんでライオンに見えたの?」と同じですね。

 

*

 

まとめ。

 

物事(あなたという人も含めて)には人の数だけ見方がある。

相手の言葉は相手の見方。

相手の言葉をあなたの心に入れるかどうかはあなたが決めていい。

 

以上です!

 

あなたを傷つけた言葉がまだ心に残っていたら、今すぐポイしちゃってね。

 

 

●もう半歩だけ聞いてみる/言ってみる

 

こんにちは、みどりです。

 

さきほど娘がママ―!来て!と呼ぶのでそちらへ行くと、なんと庭の植物の葉を切っていました。

 

 

わ、なんで切っちゃったの!

 

なんで切っちゃったの「?」ではなくて、「!」と語気を荒げて言いたくなりました。

 

娘は「ウサギさん」とニコニコ。


んんー、「わ~すごい!ウサギさんだね!」と言う反応を待っている様子ですが、どう見てもウサギに見えないし、葉っぱ切っちゃってるし、どうしたものか。

「ふーん、ウサギさんなの?」と聞き返すと、娘は説明してくれました。

 

↓こういうことらしいです

 

わあ、たしかにウサギだ!

 

なるほど、1枚の葉っぱでウサギにしたんじゃなかったのね~。

 

こりゃ確かに顔になる葉を切らないとウサギにならないね。

 

葉っぱを切ったことなど忘れて、「こういうふうに見立てていたのかぁ」と感心してしまいました。

 

娘は私の感心する声を聞くや、すぐさま次の制作に着手。

 

でもそれは失敗して、泣いて、今寝てます(笑)

 

 

この姿をみて、私は「なんで切っちゃったの!葉っぱがかわいそうでしょ!」って頭ごなしに怒らなくてよかったなと思いました。セーフ!

 

私も怒っちゃうこともありますけどね。

 

怒る前に「何を考えてそうしたのか」を聞いておきたったのです。

 

「なんでこんなことしたのよ!」と怒る前に。

 

もしくは「こんなこと言ったら怒られるかも」と諦める前に。

 

お互いがもう半歩だけ聞いてみる/言ってみると、ああなるほどなと分かりあえるかもしれませんね。

 

みどり

●朝のゆううつが消える、朝1秒の習慣

 

パギー(おはよう)、みどりです。

 

GWも今日まででしょうか。

連休やイベントがあると良くも悪くも気分が上下しがちですよね。


とくに世間が浮かれてて自分は何もないとか。。。
久しぶりに家族や友達とあって気疲れしたとか。。。
 

とにかく「落差」がしんどいです。

思っている以上にエネルギーを使っているから。

 

体を動かしていなくても、気を遣うとたくさんのエネルギーを使っているよ。

 

前の日にいっぱい気を遣ったり心配したり不安になったりしたら、朝起きてだるいのは当たり前です。

単なるエネルギー不足だからエネルギーチャージしましょう。

 

今日は、どんな気分で起きてもいったんリセット出来る方法を授けますね。

 

ゼロ状態にリセットするだけでずいぶん気持ちよくすごせますよ。

 

 

 

↑自分が調子悪いときにこういうの見るとムカつくよね(笑) 

 

でも、私は全員ねこそぎ朝はこんなふうに迎えられたらいいなって思っています。

 

なので、よかったらご協力願います!

 


 

ではでは。

 

朝、気持ちを切り替えて、気分よく1日をスタートする方法。

 

それは、

 

「おはよう、わたしニコニコ

 

↑これです。

 

朝起きたら、ニコッと笑って自分に「おはよう」といいます。

 

これだけね。


私も毎日やっていますし、スイスイラララ倶楽部でも毎日の部活にしています。

 

これだけでも効果あるんですよ。

 

 

私はうつのとき、朝起きるときが辛くて、だるくて、動きたくないというか動けなかったです。

 

仕事にはいきたくなかったし、このまま布団の中でじっと嵐が去るのを待っていたかった。

 

そういうときは休息が必要なんだけどね。

 

休んでいられないと思って仕事にいっていました(休んでもよかったんだなーって今は思います)。

 

休息するにしろ、起きて活動するにしろ、「おはよう、わたし。ニコッニコニコ」と言ってからするといいよって当時の私にも伝えたいです。

 

これだと布団の中でできるから、起きられなくても大丈夫。

 

一瞬でできるからだまされたと思ってやってみてね。

 

毎朝、口角をキュッとあげることを意識してみましょう。

 

うつだったら1日や2日では変化がみられないかもしれません。

 

こんなことをしてもなんにもならない、嘘の笑顔なんてイヤだって虚無感を覚えることもあるでしょう。

 

それでもいいのよ。

 

あなたが1日気分よく過ごしたいと思って、口角をあげたこと、あげようとしたことをあなたの体は知っている。それでいいの。

 

早ければその日のうちに、遅くとも数週間後には変化があらわれます。

 

「あれ、今日いいかんじ…かも」って感じる自分と出会えるよ。

 

今日はここまで。

 

スイスイ~♪

 

みどり