おふらんす発☆食べて 旅して さんぽして・・・☆

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在仏主婦 庶民目線の食・旅・さんぽ、備忘録

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ホテルに荷を預け 最初に我々が向かった先は
クラクフから公共バスを利用し 30分ほど移動した郊外にある
ヴィエリチカ岩塩抗

1978年 ユネスコ世界遺産の第一号として採択された場は
世界で12件。

そのうち 1件が クラクフ市の旧市街地区。
そして もう1件が この ヴィエリチカ岩塩抗とのこと。
(ポーランド恐るべし!)

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このヴィエリチカ岩塩抗 創業は1044年。

廃抗になっていない岩塩抗では世界最古であり、
深さ 地下327m、全長300㌔にも及ぶそうな。

現在は坑内で洪水の危険性があることから商業採掘は中止されており、
補強工事がなされた観光者向け3.5㌔mのみ営業されている。
年間の訪問者数は 100万人超といわれ ポーランドの主な観光地の1つ。


我々は英語ツアーに申し込み
約40名の仲間と共に いざ 地底の国へ出発!

いきなり 数百段の階段を歩行で降りる。

入場前に取り立てて注意を受けなかった(はずだ)のだが
この階段が 想像以上の曲者だった。

ぐるぐるぐるぐる・・・ぐるぐるぐるぐる・・・
目が回る速さで 地下へと下りてゆく・・が
なかなか終わりが来ない。

連日 観光客を案内しているガイドの健脚に比べ
初めて訪問する我々は ついていくのがやっと・・・。

最初は嬉々と声を上げていた集団も
気づけば その声は ヒィヒィ・・・・と悲鳴に近い声に変化。
その声も次第に 息遣いだけに変化する。
声さえ上げるエネルギーが消耗していくのだ。

様々な国で 教会の鐘楼等
階段の昇降を繰り返してきた私だが
この下りのみ・・・の階段には心底参る・・・。

※ 足腰に不安のある人、幼い子供連れは 受付にて見学方法を相談することを強く薦める!

帰国後調べたところ この階段は378段。
だが らせん状で 目が回るせいか?
その段数以上の疲労と共に
私たちは ようやく観光コースのスタート地点にたどりつく・・が すでに疲労はピークか!?(笑)


階段での下降は一旦 ここで終了したものの 引き続き緩やかな下降をしつつ
見学が開始される・・。


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人形による 岩塩採掘方法の再現・・・

現在も湧きあがる塩湖を形成してゆく水。
                            


そして 目を引くのが
抗夫たちによって作られた
様々な彫刻の展示群・・・。

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殺風景な坑道を 地上のぬくもりある「生活」を地下にも再現しよう・・・とする
意識の表れだったそうな・・・。

聖書の一節、 ポーランドに伝えられる物語・・・の再現。

日光の到達せぬ 過酷な作業場へつくられた これらの彫刻の担った役割は
決して小さくなかったのだろうな・・・と推察する。

そして 1番の見所が
やはり抗夫達によってつくられた
地下の礼拝堂。

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全てが 岩塩でつくられている・・・という点も
名もなき抗夫達に依るものである・・という点も 驚きを隠せない。

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この見事なシャンデリアも

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イエス・キリストの御像も

無論 岩塩製である。


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そんな礼拝堂に据えられた 聖母子像の表情は
たおやかさ・・のみならず
1本芯の強さを感じるものだった。

多くの国を訪れ
様々な教会を見続けてきた私は
文化や歴史を背景に
人々が求める 聖母の顔には差異があると
感じているが

この 芯の強さを感じる聖母子像は

過酷な歴史を繰り返してきたポーランドを象徴するような表情だな・・と
感じ入った。

そして 過酷な作業の合間に
これほどまでの
荘厳な礼拝堂をつくりあげたことは
人々の信仰心の強さの表れである思うと
畏怖の念を感じずにはいられない。

しばし 聖母のその強いまなざしに見入った。


もう1つの見所は
坑道を補強する木組・・・・。


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その壮大さと 人々の手による作業工程を思い
眩暈を覚えた。




・・・・約2時間の見学行程を終え
再び我々は地上へと戻る・・・。


帰路は まさか 階段か!?と
戦々恐々としていたが
幸いエレベーターで昇るとのこと。


この写真でお分かりになるだろうか?
このエレベーターは 3階層になっており
一度に大勢を運ぶことが可能だ。

日本のラッシュアワーを彷彿とするほど
ギュウギュウに詰められた内部で
ほんの一瞬だけ 抗夫になったような気分が味わえる。

見かけと違い
「超」高速のエレベーターに
ここで最後の驚きを覚え
私たちの 岩塩抗見学は終了したのであった・・。


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欧州の樹々が黄金(こがね)色に染まる頃
私たちは秋のバカンスを利用して 生まれて初めてのポーランドを訪問した。

不勉強な私にとって
ポーランドは これまで 正直間近な存在ではなかった。

偉大なピアニストであり、作曲家であったショパンの生誕の地(ワルシャワ)と
歴史に「負」の部分を刻み込んだ アウシュビッツのあるところ・・・
そんな認識でしかなかった。

勝手に東欧(括りによっては中欧)の牧歌的な国とイメージしていたのだが
そのイメージと期待は 窓口である空港に到着したとたん払拭される。

洗練された近代的な建物が我々を迎えてくれたのだ・・・。

公共の場では 申し分の無い衛生的かつ近代的なトイレ(腹の弱い私たち家族には大事な問題)と
そこに備えられた 再生紙を利用してのトイレットペーパー。

ポーランドの民度の高さが表れているように思う。

想像以上に 何やら「奥行」を感じさせてくれる国なのかもしれない!と
期待が膨らんだ・・・。

私たちが最初に訪れたのは 「クラクフ」というポーランドの古都。


その歴史はポーランド王国成立前にまで遡り
1386年~1572年まで欧州の文化を担う街として栄華を極めた。
その後 ワルシャワが台頭し・・・1611年~はワルシャワへ首都が移行することになる・・・。(ウィキ参照)


優しい色調の建物と 白亜の馬車群が迎えてくれる・・

どこか郷愁を感じるポーランド民謡に
気分は自然と高鳴っていく・・・。

帰国後調べたら
「森へ行きましょう」「クラリネットポルカ」「クラリネット壊しちゃった!」等々
私たち日本人の生活に ポーランドの音楽はしっかり根付いていたんだね・・・

なつかしさ・・・を感じる 理由(わけ)はそこにあるんだ・・。


クラクフの町中に 沢山見受けられる
小さな屋台はパン屋さん。

クラクフ市民の腹を満たす大切なアイテムになっているもよう・・。
このパンを食べながら歩く
ビジネスマン、学生さんを多く見かける。
大量買いをする主婦も・・・。

見た目はプリッツェル 食感は ベーグル・・・。
もちもちっとして 噛めば噛むほど味わい深いこちらのパンは
その昔 ドイツからプリッツェルを持ち込んだユダヤ人によって伝えられたそうな・・。
改良が加えられ のちにベーグルへと発展。

そう。ここクラクフが ベーグル発祥の地・・という説もある。

どうりで いずれの特徴も持つパンなのです・・。
(このパンのほうが 現代のベーグルよりもちもち感が強い)

この屋台 元締め(? 会社?)ごとに 色が違い
特に多いのが この 歴史を感じる 青屋台と 幾分洗練された白屋台が二大勢力。

このプリッツェルを気に入った私たちは その二軒で食べ比べをし、
屋台同様「素朴」な味の青屋台に軍配が!(あくまで好み)


さて プリッツェルで空腹を満たし
私たちは 市バスを利用し
とある場所に向かいます。


市バスもとても発達しており近代的。

言葉のまるでわからない私たちにも
電光板で表示が出るため どこを走っているのかすぐにわかる。

そして 1人のおじーさんが
我々の行き先を あと〇〇こだ!と
バス停を通過するたびに ポーランド語で
説明してくれる・・。

まるで言葉が通じない者同士(彼は英語を解さない)

だが 身振り手振りで一所懸命伝えよう…とする側と
聞こうとする側に 不思議と言語の壁を感じることはない。

私たちは無事にに目的地へ到着。
下りる際 つたないポーランド語で「ありがとう」と 日本人アピールの大仰な会釈をしたところ
そのおじーさんも満足げな笑顔。

こんなふれあいが 旅の良い思い出の1つに積み重ねられていく・・。

古くて 新しい

初めてだけれど 懐かしい・・・

そんな対比をあちこちで感じる
ポーランドの旅が 始まった・・・・。


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今から3年前に訪れた とある村について記載しようと思う。

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フランスは のどかなリムーザン地方に
その 「かつての」村はひっそりと在る。

ビジターセンターを抜け
rememberと描かれた扉の向こう側は
1944年 6月10日から 時が止まったままの場所・・・。

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無知なる私は この地を訪れるまで 何の予備知識もなく

フランスという国の戦争(第二次世界大戦)については
遠藤周作や フランソワーズ・サガンの小説の中、
及びポール・エリュアールの詩の中でしか感じるしかなかった。

そう。「知る」「知ろう」という意志はなく
「感じる」だけの存在だった。

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ぎりぎり・・・に 戦争を知る年代だろうか?
ドイツからの観光客が目につくのが印象的だった・・・。






・・・ 決して 訪れて「よかった」とはいえない(躊躇するという意味で)。
そして 
訪れた感想を 無意味な言葉でつらつらと
述べるべき場所ではないのだと思う。



そこに かつて人の生が息吹いた村が「在った」ことを記憶する場所。

その時が「在った」ことを 記録に残すべき場所。


機会に恵まれ
訪れたからには
我が内にも その記憶と記録は 刻んでいこう・・・。

我が脳の記憶に
意識的に刻もう。
そして 締め付けられたこの心にも・・・・。




・・・・・・
爪痕を 「遺す」 という 国家の意志と、
核兵器の実験、その材料を生み出すというフランスという
国家の行為との

二面性に 
ここで 眠る人達は どんな思いを抱いているのだろう・・・。



私達の日本もまた
広島、長崎、そして 福島のトラウマを抱えながら

それでも尚 原発に 依存しようとする 国家の方針。
同様の相反する2面性を有してる。

私たちはどこに向かっていくのだろう?
どのような回答を出せばよいのだろう・・・・?




・・・・上記は 3年前の訪問の記録と
「当時」感じた私の気持ちをつづった文章だ。

当時は 戦争の悲惨な歴史は
忘れてならぬ・・・と思う反面
どこか他人事でしかなかった。

よもや 我が日本が 再び戦争に加わろうとしていると取られかねない方向に
向かっていくとは思っていなかった。
(こういう表現は誤解をうむやもしれぬが)


一介の主婦である私には
難しいことは何もわからない。

ただ
1人の人の親として
1人の生きる者として・・・・

我が子が、
そして その子孫たちが

明日の「生」を憂うような時間を過ごすことがないように
祈りたい

我が子が
そして その子孫たちが

己の「生」を護るために
他者の「死」を思慕するような時間を過ごすことがないように
祈りたい

我が子が
そして その子孫たちが

己の「生」の確保と引き換えに
他者の「生」を奪うような
時代に生きることがないように

祈りたい。


きっと 本当は簡単なことなのだ。

自分が生きる権利を確保したいのなら
他者が生きる権利も護る

たったそれだけのはずなのに・・・。


何故
このように
(オラドゥール・シュル・グラヌや 広島の平和祈念公園だったり・・・)
悲惨な爪痕を 目の当たりにできる「記憶&記録」された場が
残されているのに・・・

人は 闘いを思慕するようになるのだろう?




どうかどうか

この写真の示してくれる
爪痕を

自らの手で作り出すような
国家になりませんように・・・・。


無力ながら
強く祈ります・・・。


・・・と同時に

今の政治に賛成だろうが
反対だろうが

人のつくりだす うねりに呑み込まれ
自分の立ち位置も確認できぬほど
自分の意志も あやふやなまま・・・
波に抗えないまま
流されていくことがないように

各々がしっかと地に足をつけ
進む方角を確認できることを祈ります。

本来 「自由」とは
自分で立ち 自分の意志で行動することなのだから・・・。



2015年 8月の終戦記念日を前に・・・
つらつらと書き連ねてみました・・・・。



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