3月25日、さくちゃんの葬儀が無事終わりました。本当はホームページへの報告を


先に、と思っていたのですが、なかなか文章がまとまらず・・・。


中途半端になってしまいますがブログ更新します。


今はさくちゃんの笑顔の写真をみていると心が安らぎます。


葬儀の手配等で忙しい中でも、皆様のコメントを読んで励まされていた私を見た夫が


「羨ましいな・・・」と一言。


私はさくらが亡くなってから、ご飯もほとんど食べれなかった夫がとても心配でした。


今日、少し時間があったのでさくちゃんの元気だったころ撮っていたビデオを2人で


見ました。本当に笑顔が多くて、全てのことが楽しそうなさくちゃん。




移植医療に関する署名活動もあと少しの期間です。


一人でも多くの方に考えて欲しい、子供の命はどんな時も輝いています。


命を守る選択肢を増やして欲しいと心から思います。



「思ったことブログに載せてくれる?」と夫が言いました。


さくちゃんが亡くなった時に感じたことだそうです。


さくちゃん、さくちゃんの笑顔はパパにも力を与えてくれるんだね。



さくらが亡くなったと分かった瞬間に思ったこと。「早くこの子をドナーにしなくては、この子のすべてが死んでしまう。さくらの一部でもいいから生き残って欲しい。」私達がさくらに移植を受けさせるためにアメリカまで来たからこういった考え方になっているといえばそれまでかもしれません。わが子をドナーにするということは移植を受ける人を助けるということだけでなく、わが子の一部だけでも生き残すということになるのです。とはいっても、移植を受けた子供がわが子なわけでも記憶が乗り移るでもありません。親の自己満足なのかもしれません。ただ私が思うことはそうまでしても「さくらに生きいてもらいたい」ということだけでした。

ドナーの家族によって、考え方はそれぞれだと思います。生前の本人の意志や一人でも多くの人に助かってもらいたいなど。

結局亡くなってすぐに申し出たもののさくらはドナーにはなれませんでした。蘇生処置の為心停止後に時間がたってしまったからだそうです。私はたとえ、さくらの角膜だけでも生き残っていてもらいたかった強く思いました。



アメリカでは自分が事故や病気になったとき、どこまで治療をしてもらうか、またそうなった場合の決定を誰にしてもらうかなどを生前に決めておくことが多いそうです。

人によっては脳に重大な障害が残ったら延命はしなくていい、また人によってはそうなった場合は夫の判断に任せるなど。これは生前に家族と話し合っておくべきことらしいです。いざ、そういった状態になってから判断を迫られてもなかなか決断できることではありません。ドナーの気持ちを大切に考えられる日本人の心があれば移植医療は十分に機能すると感じています。


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これは夫が感じた一部の感情です。


移植について考えるきっかけになればと思いブログに載せます。


拡張型心筋症で亡くなったそうちゃんのお母さんが移植医療について署名活動をし


ています。


どうか、一緒に考えてみてください。よろしくお願いします。





以下そうちゃん日記(ブログ)から抜粋

移植を必要とする子ども達の命を日本国内でも救えるように~

現在、わが国で施行されている「臓器の移植に関する法律」で15 歳未満の子供が脳死で臓器提供者になることができず、そのため子供が臓器移植、特に心臓移植や肺移植を受けることができない問題があります。この問題を改善していくために、現在国会にて審議されている第一六四回衆第一四号(中山案)の5月までの早期決議を求めるための署名活動(自筆)のお願いをさせて頂きます。

http://koscompany.gozaru.jp/   左記から署名用紙や詳細がダウンロードできます。

期限が差し迫りますが、どうかご理解とご協力をお願い致します。

国会での早期議決を求めるには、3月末までに集めて提出をしなければなりません



中途半端な更新になってしまいすみません。