民主党政権 | 歴史の裏

民主党政権

  失望と期待と

 民主党の小沢一郎氏が826日、代表選立候補を表明した。これで914日の代表選は菅直人氏との一騎打ちとなる。民主党政権が発足して1年。菅首相にいたってはまだ3カ月しか経っていない。もし、小沢一郎氏が首相になると、1年のうちに3人目となる。こんなに代わると、日本の首相が約束しても各国の指導者は信用するわけにいかない。

 菅君は高校の後輩、小沢君は大学の後輩で、私は東京に住んでいるが、小沢君の選挙区である岩手に住んだこともある。自然も人情も豊かな岩手は第2の故郷として愛着があるから、私の立ち位置は複雑だが、2人のうちどっちが首相になっても、民主党政権発足時の国民の期待を忘れないでもらいたい。民主党に対する変革への国民の期待は失望に変わってしまったのが現状だ。

 国民が初めて実質的に権力を変えた昨年の衆院選は日本史上最大の政治的出来事だということは2009831日付で書いた。国民が民主党に期待したのはたぶんマニフェストではなかったろう。民主党が選挙前に強調したマニフェストについて読んで検討した選挙民はそれほど多くはなったに違いない。すべての閉塞感を打開するために自民党ではない党として民主党を選んだに過ぎない。戦後支配し続けた自民党一党支配に嫌気がさし、変化を求めたといえる。それは明治以来続いた官僚支配(敗戦によっても変わらなかった)への拒否でもあった。内政、外交ともに変わってほしいとの願いが民主党に託されたはずだ。鳩山さんも菅さんもそこがよく分かっていないのではないか。政治を変えることについての国民の期待は民主党によって踏みにじられてしまった。

内政の改革

 内政については官僚が踏襲してきた予算、システム(法律)、それに人事。予算については事業仕分けというこれまでになかったムダあぶり出しの手法に国民は期待したが、結果は期待ほどではなかった。民主党は特別会計を含めた207兆円を精査すれば20兆円ぐらいはすぐ出てくると言っていたのに、10年度予算では23兆円にすぎず、20兆円にはほど遠い。私は民主党のムダをなくす手法に初めから懐疑的だった。中にはテニスコートや野球道具、健康チェアを買うことやヤミ手当、空出張など本当のムダもあるが、そんなものはそれほど多額にはならない。例えば、山奥に1軒しかない家のために道路を敷くのがムダかどうかなんて誰にも答えは出せない。その半面、都会では保育所に入れない子供がたくさんいるという矛盾をどうするかということが重要なのだ。

 前にも指摘したが、日本の国家予算は誰1人編成してこなかった。編成基準は前年実績だったから、予算という弁当箱の中の仕切りは変わらなかった。民主党が2011年度予算編成で出した方針は「一律10%削減」という従来の自民党のやり方と同じだった。これでは八ツ場ダムを中止しても国土交通省(旧建設省)河川局の予算割合が変わらないから、八ツ場ダムに変わる事業、例えば100年に1回の洪水に備えるためのスーパー堤防を要求する。八ツ場ダム中止は予算編成の中で意味をなさない。

 問題は優先順位なのだ。政権がやりたいこと(マニフェスト)を頭から予算化していき、余ったお金でほかの事業をやればいい。そうした予算編成の根本にメスを入れなければ何も変わらない。それこそが国民の期待だった。

 法律(システム)については、憲法に国会が国の唯一の立法機関と規定されているのに、国会が法律を作った例はほとんどない。「議員立法」という言葉があるが、この言葉があること自体奇っ怪なことだ。本来、国会は立法機関なのだから、すべての法律は国会が制定すべきなのに、国会は官僚が作った法律案を承認していただけというのが実情だ。これは民主党政権になっても改まらない。なぜか、議員にそれだけの能力がないからだ。結局、法律は専門家である官僚に頼らざるを得ない。要するに、日本の国会議員がアメリカの議員のように優秀なスタッフを雇わなければ立法はできない。

 人事については手つかず、というより自公時代より悪くなった。天下りについて現職の出向を認めてしまった。肩たたきによって勇退させる自公時代のやり方は定年前に退職させる訳だが、現役で出向させれば勤務年限が増え、結果として退職金が増額する。さらに出向先の独法や公益法人で定年を迎えるから、そのまま役員として居残れる。人事についてはピラミッド型年齢構成をやめさせなければ何も解決しない。民間では後輩が上司になることはいくらでもある。この方式を採用し、優秀な人材を定年まで勤めさせるべきだ。それによる人件費増大を防ぐためには民間で実施している役職定年(例えば55歳になったら役職を解き、給料も減額する)制度を導入すればいい。

 もう1つ。役人が決めた人事を政治家が認めないこと。民主党政権になっても次官はすべて役人が決めた通りに承認している。これでは実質的な官僚支配がなくならない。大臣になったら、自分のブレーンを引き連れて乗り込み、局長クラスまで変えなければだめだ。もちろん優秀で政権に協力的な幹部は引き続き登用してもいい。そうすれば官僚は政治家の言うことを聞かざるを得ない。官僚依存から脱却するには、それくらいやらないとできない。

外交の改革

 外交問題で最重要課題は戦後続くアメリカ支配からの脱出である。日本は敗戦後65年間、占領軍が居続ける、世界でまれにみる実質的なアメリカの属国である。1945(昭和20)年、日本が無条件降伏で受諾したポツダム宣言には、日本に責任ある政府が樹立されれば、連合国の占領軍(実質はアメリカ軍)は日本から撤収することが明記されている。しかし、1951(昭和26)年に日本が講和条約に調印して独立を果たしたのに、占領軍は撤収しなかった。同時に結ばれた日米安保条約によって米軍はそのまま占領状態を続けた。それが65年間続いたままである。

 普天間基地の移設先を海外や県外にするというと、日米関係が悪化すると主張する陣営がある。その人たちは米軍による抑止力が必要だと思い込んでいる。その考えの前提は日米安保ありき、在日米軍ありきなのだ。その呪縛から離れようとはしない。世界には軍隊のない国が27カ国もあるが他国に侵略されたということは聞かない。軍隊がなければ侵略されるというのは迷信にすぎない。しかも米軍にいてもらわないと日本の安全は保てないというのはさらにばかげた迷信である。フィリピンはアメリカ軍に出て行ってもらったが他国に侵略されてはいない。戦後65年も経ったのだから、日米安保ありき、在日米軍ありきという呪縛から脱却し、日本の安全について根本的に考え直す時期にきている。

 鳩山さんは「駐留なき安保」が持論だから、普天間移設問題をテコに持論展開の第1歩を踏み出すかと期待されたが、迷走の末、たどり着いたのが自公政権の決めた辺野古移設では、国民はアメリカ従属政治がまだ続くと失望した。日本はアメリカの51番目の州だという人たちがいるがイラク戦争への同調などを考えると、むべなるかなと思ってしまう。

 民主党政権が誕生したとき、読売新聞や産経新聞などは国家の基本政策は変えるなと主張した。ふざけちゃいけない。政権を変えるというのは国家の基本政策を変えろということなのだ。アメリカも民主党政権になって、イラクからの米軍撤退を決め、CO2排出防止に協力すると方針転換したではないか。菅さんでも小沢さんでもいい。こうして戦後続けられてきた日本の政治状況を打開してくれというのが国民の期待であることを肝に銘じてほしい。