ソドムとゴモラが話している。
「おれらが上位しめたら、みんな驚くやろな」
ソドムが眉と口をゆがめて
隣の席に座るゴモラにささやきかけた。
歪めかたに愛嬌がある。
「そんなあり得んぞ」
ゴモラがぶすっと応える。
こちらはニベも無い。

旺文社の全国模擬試験。
受験者数は17万人を数え上げる。

三年に進級すると、
表向きの希望進路によるクラス替えが行われた。
1組から6組までが、私立文系および専門学校・就職クラスだ。
残りの7組から9組までが国公立・私立理科系クラスだ。
校内席次の高いものほど、7~9組に配される。
つまりは、特別進学クラスを3クラス設けたわけだ。
ソドムとゴモラは4組だった。
校内席次どころか、クラス内席次においても、
45人中20番以内に入ったことがない。
成績通知表に2から4まで並び平均すると3になるソドム、
1から5までならぶも平均すると3に落着くゴモラ。

彼らの会話をソドムの右席で
鉛筆やら消しゴムやらを几帳面に並べている、
ヤハウェが盗み聞いたのだろう、
かすかに笑みを浮かべた。
また、バカなこと言ってるぜ、とばかりに。
悪いヤツじゃないが、典型的ながり勉タイプで、
こんなクラスでも首席を通していたし、学年でも2番以下に落ちたことがない。
だが、秀才クラスではなく、4組にいる。
そこが、面白い。

テストは国語と英語の2科目。
国語はなんとかなるにしても、
英語はちんぷんかんぷん。
だけどありがたいことに、
最新のマークセンス式回答法を採用する。
多くの大学が採用しはじめるのは2年後のことだ。

1週間後、結果が戻ってきた。
最初に名前が呼ばれて担任から薄く細長い紙を受け取ったエレミヤという女子に、
ゴモラが訊いた。
「どうやった?よかった?」
「え?ぜんぜんだめやった。観る?そのかわりゴモラ君のも見せてね」
たまねぎのような栗毛の髪が、揺れた。
媚のつもりだろうが、仰々くて絵にならん、とゴモラは感じた。
快諾して覗くと、校内席次が120番、私立文系クラス席次が
80番、全国席次が8万番台だった。
これ、いいのか?悪いのか?
解らずほめるつもりが、珍妙な顔をひけらかしてしまう。

例のヤハウェが答案用紙と成績表を貰って席に帰る中途、
「どうやった?」
と意地悪い眼をしながらソドムが訊いた。
「え?」
腑に落ちない顔だったからだ。
納得いかないとき、人はこういう、
甘くも辛くもない顔になる。
ソドムが叫んだ。
「1番違うやんか、3番か、おまえより偉いヤツおる
んやな」
「理工系クラスにおったんやろ」
負け惜しみを聞いたのは、ソドムだけではない。
急場にエリートは弱いというが、
秀才も即応力が乏しいものなのだろう。
会話の妙も知るはずもない。

さて、ゴモラの名が呼ばれて、
教壇までゆくと、担任が不審な面持ちで、
「わしゃ、なんか信じられんのじゃ」
と甲高い声で成績表を見据えながら嘆く。
「何をですか?」
「おまえのこと、考えなおさなあかんかも知れん」
謝る理由が皆目見当つかないゴモラは、
「意味がよう判りませんけど」と返すしかなかった。
「これや、これ」
成績表をゴモラに示して、
「国語はわかっとったが、まさか英語がここまでとはな」
透けるほど薄い成績表には、校内席次「1」、私立文系席次「1」、全国席次8620番。
科目別全国席次は、国語が2460番、
英語が14623番だった。
「いったいおまえは校内テストまじめに受けとらんかったな?」
「まぁ、実力通り、違いますかね、これは」
と言う自負が微妙に震えていたのは、
本人も驚きを隠せなかったからだろう。

席にもどる直前、約束、エレミヤがやってきた。
「きゃー、ゴモラ君凄い!!」
あまりの嬌声に、しょげ返っていたヤハウェが傍にきて、
恐る恐る覗き込んだ。
その目は、恐怖の色にとらわれた。
わなわなわな、言葉を送れない唇は、
震えて声帯の音だけをもらす。
したり顔したソドム、ほかの者も周りに駆け寄り、
成績表を手から手へ。
彼等彼女等にとってもこれは椿事だったからだ。
騒ぐ輪の中からひとり、
離れてゆくヤハウェは自分の席に戻ると、
言い様のない口惜しさに、泣いた。
頬伝う涙は、ソドムが校内席次14番だったことをだれかれなく吹聴したとき、大粒になった。
握りつぶされた成績表にある全国席次は58734番。

遅刻ばっかりしてるくせに、
エスケープばかりしてるくせに、
煙草吸って酒飲んで喧嘩ばっかりして、
女といつもいつもいつもいちゃいちゃしてるくせに、
どうして俺が、こんな不良に負けるのか!
ヤハウェは、口惜しくてたまらなかった。
臥薪嘗胆、今に見ておれと臍を思いきり噛む。

5ヶ月後、第2回の旺文社模擬テストが行われた。
志望校を定めるための大事な試験になるからだろう、参加数は、20万を超えた。
現役だけではなく、予備校に通う浪人生も多数受験する。
本番さながらの国・英・社三科目だ。

ソドムが聞こえよがしにひとりごちる。
「また良かったらどうしよう」
どうしようもあるか、ゴモラが胸の内で応えた。
どうもソドムは、
劣等生どもの期待を一身に集めている気でいるらしい。
マグレは2度は続かない。
それが試験というものだ。

それを聞き捨てるヤハウェは5ヶ月の努力を思い出していた。
毎日8時間勉強した。
国語は勝てないにしても、日本史なら負けない。
だが、不安は去らない。
その正体がもしかしたら「もってうまれたもの」にあるのか、
ふと、よぎった疑念を打ち消した。
そんな筈はない、あれは、マグレに決まっている。
たまたま英語がよかっただけで、
今度はそうはいくまい。
落着け、俺は負けない。
自己暗示をかける。
感情を抑制できるものは理性だと人は言う。
それは、違う。
感情を抑え込めるのは、更なる感情だけだ。
それを知らないヤハウェは、知らずに、緊張の糸に、
縛られていった。

終わった。
昼食の騒音の中で、
ヤハウェは外食に出かけようとするゴモラを呼び止め、訊いた。
「どうやったゴモラ?」
「あ?全然やったな」
「難しかったな?」
「ああ、さすがにな」
しめしめ、とヤハウェは、
この日のための特製弁当にぱくついた。
母さん、やったよ、俺は復讐を遂げた。
安心してくれ、試験すらすら解けたんだ!

ガリ勉は、謙譲の心を解さないものらしい。

成績表が配られる日がやってきた。

担任が宣言するように言う、
「明日の放課後から、進路指導を出席番号順に行う」
ひとりひとり名前が呼ばれ、教壇で成績表を貰う。
悲喜こもごもの寸劇が空気を容赦なく明滅させた。
ヤハウェが呼ばれた。
動悸が昂じる。
だいじょうぶだ、四肢を励まし、
はらわたを叱咤する。
校内席次2番、全国席次42780番。
希望校として記入した、
阪大、市大の合格率は30%にも届かなかった。
静かな波のように、おもむろにうねるものが脳裏を去来する。
現実認識というものが。
おれは本番に弱い。
高校入試もそうだった。
揺れながらかすんでゆく視界に
教壇に向かうゴモラの後ろ姿をとらえた。
まさか、と、疑念と妬心が遠くでもたげる。

「おまえ、陰で相当勉強しとるんやな、進路指導が楽しみや」
担任のへらずぐちなど聞いていない。
ゴモラは視ずに席へ戻った。
エレミヤとソドムがやってくる。
「きゃー、ゴモラ君また一番やん!!」
校内席次、私立文系席次ともに1番。
全国席次5840番。国語1270番、英語9560番、日本史7630番。
「俺も17番やったんや」
校内席次しか念頭にないソドムが賀する。
早稲田、慶応、上智大学文学部、合格率は70%を超えていた。
「凄い、凄いぞゴモラ。うちの学校から早稲田合格した奴なんかおらへんぞ」
見てくれこの結果を!
ソドムはわが事のように大声で喧伝した。
いいやつなのだが、どうにも節操がない。
ヤハウェは誰はばからず号泣した。

いったいに、ゴモラは担任が感嘆したように陰でヤハウェ以上に勉強したのだろうか?
答えは、翌年2月に出た。

ソドムとゴモラとヤハウェは、揃って浪人した。
予備校に通ったヤハウェは、翌年島根大学に合格、
通わなかったソドムは近畿大学、
一年小説ばかり読み耽ったゴモラは関西大学に合格した。
この三人にとって模擬試験とはなんだったのか、
いまだに思い返すこともない。

この実話は、努力だけでは足りないもの、
運や才能だけでも足りないものを教えてくれた。