ネパールの朝は早い。明け方5時半頃にはもう外は騒がしくなり、目が覚める。人々の話し声、子供達の駆ける足音、車のクラクション、バイクのエンジン音、ラジオから流れる笛太鼓、犬や鶏の雄たけび、物売りの呼び声、ヒンズー寺院の鐘の音。そしてこの辺りの家が皆一軒一軒4,5階建てだからか、鳩の羽音や鳴き声もよく聞こえる。日本ではとても起きられない時間帯なのだが、そこは3時間15分という時差のためか、昨晩11時前には就寝したためか、気持ちよく起きられるのだった。
 
とは言え、5時半といったらまだ陽は昇っていない。僕はヘラカジ先生に送られ、通りのタクシーを拾って国内線の空港へと向かった。ダサイン祭りで生贄にされるヤギを連れた人々がこんな時間からバザールに向かう様子が車窓から見られたが、それ以外行く手を妨げる車も人もいないので、あっという間に空港に到着した。その小さな空港は大きなバックパックを背負った欧米のトレッカーでごった返しており、フライト時間の表示も何も無いカウンターで少し不安気に皆それぞれの飛行機を待っていた。頼りになるのはたまに「○○行きの××航空、出発しますよ~!」と大声を張り上げる係員だけ。彼等に搭乗券を見せて、いつ乗れるんだ、と何度も確認してるうちにやがて僕が目指すルクラ行きの飛行機がやって来る。結局一時間遅れであった。

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実はルクラ行きの飛行機は僕が搭乗するアグニ航空以外にも何便かあり、それぞれが10分ぐらいの間隔で数珠繋ぎに出発する。一機の定員はわずか10人ちょっと。綺麗なスチュワーデスが一人一人にアメ玉を配ると、入口のタラップを片付け、扉を閉じた。次の瞬間、彼女が慌ててまた扉を開く。その向こうには締め出されたパイロットが立っていて、機内は大爆笑。そんなこんなで機体はやがてカトマンズの上空へ舞い上がった。雲の下、盆地の周りに広がる山々が見える。まるで抹茶アイスに銀色のパウダーをまぶしたように、山の中に点在する家々の屋根が陽の光に反射して見える。


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9時になるちょっと前、元々低空を飛んでいた機体は更に低空を飛び始め、山の谷間を通り過ぎようとした瞬間、ドシン、という音と共にいきなり到着。こんな断崖に飛行場があるなんて。我々がタラップを降りると、そのすぐ後にカトマンズへ帰る乗客が乗り込み、飛行機はものの10分ちょっとで再び飛び去って行った。正にバス感覚である。まるで山村の小学校の校舎と校庭のように小さなルクラ空港。その周りを大勢の地元民達が取り囲んでいる。しかし空港の外に出ても、他の観光地では当たり前のようにまとわりついてくるはずの客引き、ガイドの類は全く皆無であった。ってことは、あれだけ詰め掛けてきている地元民って、ただの野次馬?

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周囲が全て雲に包まれた「天空の里」ルクラ。デコボコした石畳の道を歩くと、チベット風の幾何学模様ののれんを下げた家々が連なり、軒先では日本人そっくりなシェルパ族と思われる人々が何もせずにしゃがんでいたり、突っ立っていたりする。観光客も多く来ているのに、誰一人として客を呼び込もうとする様子は無い。あまり仕事熱心でないのかな、と一瞬思ってしまうのだが、こちらが何かを必要として店に顔を出すと、子供から老人まで皆きちんとした英語で熱心に対応してくれる。非常に慎ましやかな人達なのかも知れない。さすが世界のエベレストを有するこの土地。観光地の鏡なのである。飲み物一本とチョコレート一個を買った僕。持っている荷物は小さなナップザック一個。靴は地元で買い物に行く時に履くドタ靴。上着は無く、長袖シャツだけ。ほとんど那須高原へハイキングに行くぐらいの恰好である。さぁ、これでトレッキング始めちゃおうかな~、なんて思いながらも少し不安はある。

 
ポーターはいらないが、ガイドぐらいはやはりいるかな?いや、そもそも僕はどこまで行けるのか?とりあえずの目的地は標高3,500mのナムチェという町だ。コースとしては、ルクラ(2,800m)→パクディン(2,600m)→モンジョ(2,800m)→ジョルサレ(2,800m)→ナムチェ(3,500m)という順序に山中の各集落を拠点としながら自分のコンディションでその日の目的地と泊る場所を決めないとならない。そしてカトマンズへのフライトは三日後早朝なので、あさっての夜にはルクラに戻ってないとならない。
 
ふと一軒の店を発見。そこはトレッキングとは全然関係の無い、カセットテープ屋であった。例のごとく、アジアンポップス好きな僕は、ネパール・ポップスの流行チェック&コレクション補充に立ち寄ったのだった。するとこの店の主人、ニル・クマールは流暢な英語で非常に親切に応対してくれた。ネパール・ポップスについてはそれほど詳しくなかったが、元山岳ガイドだったとのことで、トレッキングに関するいろいろな情報を教えてくれた。小学校三年生になる娘ニサライはとても賢くて、父親をよく手伝っている。僕がニル・クマールといろいろ話をしていたら、コーヒーまで持ってきてくれた。「山の民」のホスピタリティだなぁ~!何か、山登りよりこうした出会いの方が楽しいよなぁ~、なんて思いもよぎったが、ずっとここで彼等の仕事の邪魔してるのも悪いし、何しろ「そこに山があるから」、とりあえず出発するとしよう。


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「楽しんで来いよ!戻って来たら、ルクラの町を案内するよ。」
 
ニル・クマールに送られ、いよいよルクラを後にすることにした。彼の話で安心したのは今日の目的地パクディンはむしろ下るので、特にガイドも必要無さそうなこと。不安なのは、モンジョ辺りに「エベレスト国立公園」入口のチケット売り場があり、そこから先は事前に取得した許可証が無いと通れないということ。僕はその許可証を持っていない。ひょっとすると、僕のトレッキングはモンジョで終わるかも知れない。
 
ま、行ってみないとわからない。ダメならダメでその時どうするか考えよう。近くのお堂で巨大なマニ車をよいしょ、と押して安全を祈願。前の方をゆっくり歩く巨大な荷物を背負ったシェルパのポーターの後に続きながら、いよいよ鳥のさえずりに迎えられ、ヒマラヤの玄関をくぐったのだった。


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【ネパール豆知識】
ネパールは明らかにインド人風の人や、日本人と見紛う人も普通に混在している多民族国家。主な民族は下記五種類に分かれる。
 
1) バウン(チェトリ)族・・・ネパールの多数派民族でネパール語を母語とするヒンズー教徒。見た目はインド人に近く、王族や政治家はほとんどこの民族。民族って言うか、カーストをそのまま民族名にしており、人種的・言語的には同じなのに、バウン(ブラフマン・・・僧侶階級)とチェトリ(クシャトリア・・・武士階級)を分けていたりする。首都カトマンズはネワール族の土地なので、意外と少な目に見えるかも。
 
2) マデシ族・・・南部の平原地帯に住むこれもまたヒンズー教徒でインド系。二番目に多い民族だが、カースト的理由なのか中央から迫害を受けがちなため、分離独立運動も盛んと見られている。最近同民族出身者が副大統領になり、彼等の母国語であるヒンディー語の方言で就任演説をしたことが物議をかもした。
 
3) グルカ族・・・本当はこういう民族はいないので、当のネパール人はピンと来ないかも。元々西部のライ、リンブー、グルン、タマンといった各部族をイギリス人が「ゴルカ地方諸民族」という意味合いで総称したもの。日本人によく似た顔立ちで、仏教徒が多い。居住環境が熱帯雨林から高地山間部まで幅広いため、灼熱の地でも、極寒の地でもものともせず勇敢に戦う「最強の軍隊」として、イギリスがグルカ兵部隊を編成したことでも有名。
 
4) ネワール族・・・カトマンズ盆地の先住民。実は首都カトマンズの多数派はこの民族。首都住民の多数派が少数民族って国は恐らく世界でもネパールぐらい?見た目はチベット系とインド系の間ぐらいなので、美男・美女が多い。友人kaibauさんや、ヘラカジ先生一家もこの民族。仏教徒が多いが、ヒンズー教徒もいる。木工・石刻技術に優れており、首都の寺院や王宮のきめ細かな建築はネワール様式と呼ばれる。
 
5) シェルパ族・・・東部ヒマラヤに住む山地民族。その生業から、ガイドやポーターをそのまま意味する言葉になることが多いが、れっきとした民族。チベット仏教徒で、言葉もチベット語の方言。ではヒマラヤにいるチベット風の容姿の人は皆シェルパ族かと言うと案外そうでもなく、3)のグルカ族(ライ族やタマン族)だったりもする。