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このブログ、もともとは、ネット広告代理店時代に、
アメーバのブログタイアップ企画を受注したのがきっかけでした。

企画を後押しするような記事書いて、クライアントに喜んでもらおうと。
(やらせという意味じゃなく。ベタベタ営業的な意味で。)なつかしい。

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掲題の件、もう1年以上経つので、徒然に書いてみます。
ほぼ、自分用メモです。


反省が多くなるので、ネット広告代理店が悪いみたいに誤解されかねない表現が混じるかもしれませんが、当時の自分の心の持ちようや在り方が悪かっただけであり、ネット広告代理店が悪いわけではないのは、先に弁明しておきますね。


今、振り返って一番違うのは、問題解決に取り組む「意識」だと思ってます。
当時は「仕組み」を作ろう、「Win-win」の関係を作ろうという意識で仕事してた気がします。

クライアントと媒体の立場や目的を理解し、利害を調整して、両方にメリットのある形を作って、その企画や調整に汗をかいた分、おこぼれ(=マージン)をもらう。

どうしたら、CPAだけを見られずに媒体を売ることができるのか?
どうしたら、CPCやCPMが高くても媒体を売れるようになるか?

という問いと

どうしたら、成果報酬に近い形でクライアントに広告を提供できるのか?
どうしたら、より安く効果のある広告を仕込めるのか?

この2つの問いを高いレベルで両立させることこそ、
自分の存在価値だと思っていたし、それが世の中への貢献だと思ってました。

クライアントも媒体もハッピーにして、自分たちも潤う。
それは、尊いことだというのは、今もそう思います。

ただ、この発想だと、どうしても欠落してしまう、・・・一般論にして話するのはやめよう。

自分個人が、根本的には、こういう発想で仕事をしていたネット広告代理店時代に、
見落としていた、もしくは気付いてはいたけれども、優先度が低かったのは、ユーザ。

生活者、消費者という方がいいのかな。


当時の自分にとっては、CPCやCPAの母数でしかなかった、

というのは言い過ぎかもしれないけど、

ちゃんとリアルに生活している、個別の人生を背負った体温のある人間を具体的にイメージしてネット広告に携わっていたか、というと、胸を張ってそうでした!と言い切ることは出来ないなぁと思うのです。

「ユーザ心理」みたいな言葉は、使っていた気もするけど、
それは、とても表層的な、流行の言葉として、例えば今でいう「草食系」みたいな
思考停止ワード的な使い方してたなって思う。

LPOとかEFOとか、当時はすばらしい事のように語っていたけど、
仕組みや仕掛けにフォーカスして、数字で捕らえよう捕らえようとすればするほど、
一人一人のユーザを見失っていた気がする。リスティングや行動ターゲもしかり。

リスティングのタイトル説明文を改善すると、CTRがあがってQSが溜まってCPCが下がる、
という思考をしている時に出てくる「初心者向け訴求」というアイディアは、
人間への深い洞察というよりは、確率論や各種数字などのファクトから帰納的に導いていた気がする。

(しつこいけど、私個人に限っての話です。)



転職して、「ユーザ中心」という概念や価値観に準拠する事を強制される日々を送っている中で、
そういう、うまい仕掛けや仕組みを作ろうとする意識に対する違和感を持つようになる。

この辺の感覚の変化はまだまだ発展途上だし、上手く説明できないけど、
今は、とにかく何事もユーザ視点で考えるようになった。

自分をその場に置く、もしくは想定されるターゲットユーザに自分を憑依させてその場に身を置く。
その時に感じる事や普通に考えることをリアルに想像する。周囲の人間がどう思うか聴く。
ユーザは何を思い、どういう行動を取るのか?
その理由を深く深く追及する、みたいな思考を、無意識的にするようになった。


ただ、その結果、表層として出る成果はCVRが○倍になりました、とかなわけです。同じです。

クライアントも媒体社もハッピーにする事で、おこぼれ(コンサルティングフィー)意味では大差ないし、成果を上げた時に、世の中に与えている価値のベクトルというのはほとんど変わっていない。

実作業ベースでも、外から見ると、大して変わった事はしてない。
クライアントのビジネスを理解して、競合や、消費者を調査して、数字を分析して、クリエイティブを考えて広告やサイトの企画や戦略を考える。

だけど、「どこに立脚して、どんな切実さでそれを目指すのか?」という思考のプロセスにおいては、全く逆のアプローチなんだと思ってます。

自分は不器用なので、この違いは頭で理解することは出来ず、実際にそういう文化の中に身を置いてみて、1年経ってようやく客観的にわかってきた、という感覚なので、本当にあってるかまだわかりませんが。。


近いのは、日本で英語を勉強して話せるようになるのと、実際にアメリカで生活をして、英語で生活する、という違いかな。英語を話したいのか、切実にコミュニケーションしたいのかという違いはあるけど、両方、話しているのは英語なので、外から見たら変わらない、みたいな。そういう感じ。違うかも。


なので、転職する前は、「すごいノウハウ」があるもんだとばっかり思ってたけど、そんなものは無くって、実際の現場にあったのは、文化とか、理念とか、価値観とかでした。

それは、言葉にしてしまうと、「ターゲットユーザについて考えよう」みたいな、あったり前の事なので、大したモノではないと受け止められちゃうんだけど。


この辺をもっと掘り下げて、分析すると、来月に控えた、前職の人に向け講演のメッセージが明確になりそうなので、引き続き考えます。

お気づきの点などありましたら、コメントなどいただけますと幸いです。