遠山寛賢先生

先日、関谷館長から「国際福祉空手道連盟 拳成館 黒澤貫太郎館長」に六段位の免許皆伝を致しました。その件をブログやSNSで御報告して頂きました際に、免状に記載されている「寛清流」とは?という、お御問い合わせを各方面から頂きました。




「寛清流」とは関谷館長が独自に興した流派名です。




関谷館長は、元々「剛柔流」の山口剛玄先生に師事しておりましたが、その後「遠山寛賢」という沖縄県出身の先生に出会い「沖縄正統空手道」という空手道の修業に励みます。



遠山寛賢先生は昭和期を代表する空手家の一人です。遠山先生の空手道は「沖縄正統空手道」というものですが、余程の空手通で無い限り、なかなか聞き慣れない名称だと思います。




各地に遠山寛賢先生の流れを引く、道場は有りますが、それぞれの「会派名」はあっても「流派名」はありませんでした。



遠山先生は「空手は一つであり、流派などない」と強く主張されていただけに、遠山先生に師事された先生方は、かなりの御苦労があったと思われます。




「沖縄正統空手道」に流派名をつけなかったことが、他団体のように大きな組織にならなかった原因の1つになっているのではないかと、個人的には思います。



極真会館創始者であられる大山倍達総裁も「空手に流派無し」というお考えだったらしく、昔は「極真会館空手」と名乗っていたように「極真会館で指導する空手」という意味であって「極真会館流」という事ではありませんでした。




「沖縄正統空手道」とは、基本的に現在の本土の空手とは別物です。しかし伝統派と呼ばれる流派やフルコンタクト系問わず、大多数の空手に携わる方々は、沖縄の空手に対して敬意を覚えていますし、鍛練方法や形などにも興味も在ると思います。







昨今、フルコンタクト系は伝統派を軽視しがちでしたが、現在ではオリンピック等の影響もあり、「形」など見直されつつあります。これも時代の流れであり、歴史は繰り返されます。

ちなみに極真系は「型」、剛柔流など伝統派系は「形」と表現されていますが、遠山先生は「型」でした。








そして遠山先生は東京に修道舘(しゅうどうかん)という道場を開館されました。






うちの「修心会館」という名称も「修道舘」から一文字を頂いたものです。




そして「寛清流」という名称の意味は
「遠山寛賢の教えを清く正しく守っていく」という関谷館長の想いが込められております。





修心会館ホームページのトップに記載されている「人生即ち空手道、努むれば必ず道に達す」という名言は遠山寛賢先生の御言葉です。











押忍





日本空手道武徳協議会
修心会館 師範 関谷敏宏