★ 糸州安恒先生遺訓 | 首里少林流円心軸 Syuri Syorin Ryu Karate

首里少林流円心軸 Syuri Syorin Ryu Karate

首里少林流の奥義を継承・・・原流に学べ
Okinawa Karate(Traditional karate)


   仲村先生伝

奥技は凡技にあり、凡技は奥技に終る。なるならぬの鍵は鍛錬が握る。
首里少林流は佐久川寛賀(1762~1843)を流祖とし、松村宗棍(1809~1890)から糸州安恒(1830~1914)に受け継がれ、普及発展の時代となり小学校、中学校に正課として指導育成され、富名腰義珍、摩文仁賢和、知花朝信、花城朝茂、屋部憲忠、城間真繁、他多数の空手家が輩出した。

戦後、空手が本土に進出し、富名腰義珍、本部朝基、摩文仁賢和、屋比久孟伝が大阪、東京その他各地で空手の指導に活躍するが、本部朝基の東京での空手指導はヤマトグチ、つまり標準語が判らないので通訳がついたが、両方の顔を見ての話術は、空手を習う人より苦労したとの事である。(通訳の方が苦労したと言う意味でしょうか)

又、富名腰翁の東京での空手談義は、実技の指導より学者の論理が先に出て、浅学の者には理解しにくかったようである。空手は型に始まり、術に入り、道に至るというから、実技をもっと広く公開すべきと思うし、空手談義より実技の方にもっと充実した写真と説明があって然るべきであろう。

“学者の空手、空手の学説”などといわれる様に、始祖より受け継がれた名称も鉄騎、観空、岩鶴寺に変わったものもある。

普及発展に功罪はないのか?大上段で号令する人、地味で無言の活動をする人、実技と学説等々、普及発展の良否が問われるのである。

普及ばかりに熱中していると、当然質の問題が問われてくる。普及する側の技量見識の程度にも、問題があり、自己満足で通している人、公平無私で道を求め、武道空手のために自己啓発するひと、自己の利を内面でかくし持っている人、技より学説を先に立てて道を説く人等々、色々な人がいる。

勿論、学説と技術とは一体のもので、どちらに片寄っても後進の障害となり、道は誤らなくても技を誤る基となる。学者然としていても、武は技、術は道に至るのである。“術のない道は売り物”と島袋太郎さんは言われている。

浅学の者でも武道を志し、懸命に努力を続ければ、おのずと道は開けて、学説の道も開けて来るのである。

空手は武道であり沖縄が誇る文化である。沖縄師範学校の空手教官、屋部憲通翁の在米中の息子の招きにより渡米の途中、ハワイとロスアンジェルスで空手の実演をし、紹介したとあり、普及発展に功をなした。

沖縄の少林流空手は、松村宗棍先生以来普及発展し、今や世界の空手となりつつあるが、その少林流空手は先ず首里少林流から泊手となり、中頭で北谷屋良の型と分派されていったものである。

この少林流空手は、現在世界各国に発展しているが、はたしてそのまま評価して良いのか?技術面や精神的問題も、沖縄本来のものとは違う方向に行っている面もあり、このまま発展したら、将来空手道に禍根を残す事になるのではないか・・・・。

空手は目に見えない所に技があり、これを理解し解明するには永い年月を要する。
指導者としての資格はそれからであり、数より質の問題が問われている。

私は空手を始めて65年、道場を開設してから20余年になり、空手を志す人達の道しるべとして、浅学で言いたりない所もあるが、後進の方々の修業の一助になれば幸いだと思っている。
武とは、現実の世界で相対に生きている故に、他の生き物を犠牲にして我が身を養う事実を避ける事は出来ないが、武心の徳によって、人にそなわる神性、仏性、明徳の境地を発現せしめる力が円武であり、円は廻って無限であり、“剛柔、陰陽、呼吸に三大要素は武の極意なり”とある。

沖縄は空手の本場といわれているが、本場とは何か?
力で終始する空手、技と技をこまぎれにする、これは前にも言ったが伝導の継続ではない。
昔は型に始まり、型に終ると言ったが、型を鍛錬し、熟知するまでに予備運動、補助運動によって強靱な身体となり、力と早さを増してくる。

空手は型に始まり、術に入り、道に至る。

日本本土の少林流はどうか?スポーツと武道を混同し、小手先だけの早さと表現を巧みにしている所があり、特に欧米の少林流は力まかせの感がある。

少林流が軽視される点は、手先だけの早さ、足もとからの力が上体に及んでいなくて、腰がから廻りしている点で、回転と腰を入れるという事は違うし、他流も視野に入れて修業すべきだと思う。

空手の型には分解と理論と解説があり、これがなければ、ただの手足の運動である。
型は勿論、技の一つ一つから成り立っているから、始点があり、接点がある。その技の原因と結果を指導者は“分解”として説明する。しかし、指導者によっては、分解は各人各様に違う所がある。

分解があって型があり、型があって分解があるのであり、創作者は技の一つ一つを基に、原因と結果を結合させて出来ているのであって、その点において特に説明不足があるように思う。

首里少林流は、中部少林流と区別するために、知花朝信先生が小林流に変えられたもので、首里少林流と同様のものである。