まずは、ひいおじいちゃんに

ありがとうを伝えたい


ひいおじいちゃんが転職しなかったら

私は今ごろ木魚をポクポク叩いていたかも笑


こういう記憶も私があの世へ行ってしまったら

もうどこにも残らないと思ったので


せめてブログに残しておこうと思いました


元々武士の家系だったのですが

明治になり廃刀令のあと

納めていた領地内の山に寺を開設


昔は武士しかお坊さんにはなれなかったそうで

それまで使っていた刀を

寺の縁の下に投げ込んで

武士から僧侶にジョブチェンジしたらしい


ご先祖様よ

廃刀令はいいんかい!

という壮大なつっこみはおいといて・・


そして時代はながれ

そのお坊様の中から

音楽に魅了されてしまった僧侶が出現します


それがひいおじいちゃんです

ひいおじいちゃんは毎日木魚を

ポクポクポクポクたたくのが

嫌で嫌でしかたなかったそうな


それで何を思ったか領地内に小学校を開設

晴れてそこの校長に就任します

今でいう起業ですね


そして校長なのに

何故か音楽の先生も兼任するという

傍若無人ぶりを発揮します 笑


バイオリンが得意だったそうで

写真も残っているけど

すごくイケメンで

浮気もしてたらしい(コラー😡⚡)


そのひいおじいちゃんの後を継いだのが

おじいちゃんなのだが・・・


これまた破天荒な性格で

寺の縁の下に

投げ入れてあった刀をひっぱりだしてきて


領地内のたわわに実った稲を

刈り取る前に

刀で斬って全部だめにしてしまうしまつ

いわゆる悪ガキ大将だったらしい


領内の農民は

ひいおじいちゃんが領主だったので

涙を飲んで黙認するしかなかったそうな

(ひどいはなしや~😭)


音楽好きはひいおじいちゃんから

おじいちゃんに引き継がれます


おじいちゃんはピアノマニアでした

昔の言葉でいうとピアノキ○ガイ


そしておじいちゃんは手先が器用で

物を作るのが大好きでした

ピアノ好きがこうじて

ピアノがつくりたい!

壊れたピアノを直してみたい!


そう思ったおじいちゃんは

こんな田舎ではなく東京にいこう!

と東京に土地を買い家を建て

店を建てピアノ屋をはじめるのでした


そしてここで第二次世界大戦(大東亜戦争)

が勃発!


おじいちゃんは広島の呉軍港に

配属されてしまいます


かの有名な戦艦大和を含む

連合艦隊の軍艦の整備をすることになります

手先が器用なおじいちゃん


ここでも色々と無双します

長くなるのでここでは割愛します


そして広島に原爆がおち

おじいちゃんは爆風をもろに浴び

被爆しますが運良く生還しました

後遺症は残りました


敗戦が濃厚になった頃

東京は連日のB29による空襲で

焼け野原となり、

おじいちゃんが建てたピアノ屋は

あとかたもなく消滅しました


戦争から帰ってきたおじいちゃんは

それを見て愕然とするしかなかったそうです


しかしここから

おじいちゃんの反撃がはじまります


根性でピアノ屋を再建してしまいました

「負けてたまるか!」

これが死ぬまで

おじいちゃんの口癖でした


扱うピアノは多岐に渡り


国産ピアノはKAWAIからエテルナ

外国からは

スタインウェイ、

ベーゼンドルファーなどのピアノを

新品、中古を問わず輸入し


壊れていたら修繕します

もちろん調律もします

バラバラの状態から

ピアノを組み立てていくのを見るのは

壮観でしたし圧巻でしたね


巻き線でピアノ線を巻き

弦をつくりピアノに張っていました


この頃には父も生まれて家を手伝っていましたし

私も物心ついた時には

国産海外産問わず色んなメーカーの

ピアノに囲まれて育ちました


まだ小さすぎた私は

おじいちゃんの膝の上にちょこんとすわり

おじいちゃんと一緒に

ピアノを弾いていたそうです


おじいちゃんは

色んなピアノの音を聞かせてくれました

「この音はどのメーカーの音かな?」

「べーじぇんどりふぁー」


みたいなほほえましい会話が

毎日のように繰り広げられたらしいです


おぼろげながら覚えているのは

スタインウェイの音は単音だけでも

音楽を奏でていました

ベーゼンドルファーは固い音のイメージ


昭和の頃

ピアノは庶民のあこがれ、上流階級のたしなみ

でありピアノは飛ぶように売れ

また、修繕、調律の依頼も

半年待ちという時代でした


しかし

おじいちゃんが老齢の頃になるにつれて

ピアノの需要はなくなっていきました


日本の住宅事情に

ピアノがマッチしなくなってきたのです


また、ピアノに替わる新たな楽器の登場も

ピアノの衰退に拍車をかけました


エレクトーンというものがまず最初に出来

おじいちゃんも父も

めちゃくちゃ嫌っていました 笑


あんなもんは楽器じゃない!と


そのうち、グランドピアノから

アップライトピアノに需要が変化し


そろそろ潮時だなって時がきます


おじいちゃんは

原爆で受けた体の具合の悪さもあり引退し


今度は私の父が

ピアノを売っていた場所を改装し

ピアノ教室を開きました


もちろん私も強制的にそこに通わされました


自宅だったので

凄く嫌だったのを覚えています

恥ずかしいんですよね何故か


よく分からないんですが 笑


あの頃は男でピアノやってると

女みたいとか友達にからかわれたりしたので


今は男でピアノ弾けるのカッコいい

みたいな風潮ですが

あの頃は女子の習い事

という認識だったのです



おじいちゃんは、ピアノの鍵盤の数と同じ

88歳でこの世を去りました。


おじいちゃんの人生は

壮絶な人生だったと思います


思い出すと涙が出てきます。


あ、目から汗が・・・


涙は心の鼻血だっての!

(アニメ「とらドラ」より)





おあとがよろしいようで 笑

ありがとうを伝えたい人


 

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