しゅうぶんです(コイケ)です。

Kyushiminさんのブログを受けて、今回の話題とさせて頂きます。

彼のブログへは、このページの右欄にあるFavorite(お気に入り)というところにある「旧市民球場の在り方を問う」をクリックすると入ることが出来ます。

私のブログは、彼のブログと連動している感じにしたいとは思っています(いいのかな勝手に?)。







<その1>

私はこれまでに、若狭氏と何度か企画をしてきました。関係的には「右」と「左」、「赤」と「青」といった感じです。



例えば以前、「市民球場跡地利用市民シンポジウム」を開催しましたが、うまくいったと思っています。あれは、主に私と彼で考えたのですが、まあ、意見が合わずにかなり対立しつつも何度も議論を繰り返し、なんとかあそこにたどり着きました。

私のスタンスは、集客性に固執しなくてもよい。憩いの場。緑豊かな空間。誰でも気軽に立ち寄れる空間。被爆者の気持ち、球場の思い入れのある人の気持ち(球場の保存活用)を大切に。平和公園へ来ている人々との接点を持てる空間に。人間だけが閉じた中で楽しんでいるのではなく、人、虫、鳥、風、水、緑、花、そういった複合的な生き物が競演しているような空間を望む。復興資料館。カープ資料館。跡地が西練兵場であったことへの痕跡と意味も問う。中心街の外に住んでいる(佐伯区)一市民の感覚。都市計画、建築計画的、ランドスケープ計画的に高いレベルの空間に。などというスタンス。これは、3年以上、さまざまな市民、専門家の意見を聞いて、私の経験も加えてイメージをつくったものです。

ですから、地元商店街、イベント企画、集客性などの立場からすれば、水と油の様な関係かもしれません。だからこそ、両者がバランスをとって、良い企画が出来たのだと思います。でも、そのバランスが崩れた企画は、あまり良くないものになりました(AFHさんがよくご存じだと思いますが)。でも私(我々研究会)だけでも足りないし、バランスが悪いのもわかっています。



私のスタンスからすれば、市の案や進め方に対しても、サッカー場の案とも違ってきますが、だからこそ、何度も市と、若狭氏やセトラさんたちと、サッカー案の人達とも意見交換、議論をしていましたし、今後ももっとそうすべきだと思っています。



また、もう一つ別に、その上位の視点、プラットフォーム的、ファシリテーター的な視点も持とうとも思っています。だから、「市民球場跡地利用市民シンポジウム」では、様々な団体の案を発表してもらい、議論してもらっています。今後もその視点も大切にしたいと思っています。




広島市民球場跡地しゅうぶんのブログ


彼のことを「おかしな人」と表現されているところは、たぶん、以前は、市の案に、先頭切って反対していたのに、今では、逆に、推進している感じではないか(球場解体の件も含めて)というところでしょうか。

本人では無いので、その理由はよくわかりませんが、商工会議所との関係があると思っています。商工会議所は、球場は全て跡形もなく無くなっていいというスタンスで(主に上層部か)、ライトスタンドもじゃやまだという感じのようです。まあ、詳しくはよくわかりませんが。彼を通じて、商工会議所へ、オープンに市民とやり取りすべき、そうしましょうよと伝えてもらっていたのですが、ムリのようですね。もちろん、彼もそうすべきだと思っているようです。

私は、商工会議所の移転には、賛成しています。ただその場所や在り方は、もっと議論すべきだと思います。メリットとしては、原爆ドームにつながって、川沿いの空間が連続して魅力ある空間をして整備できる可能性があることです。

また、球場の電車通り側を残すことが出来れば、商工会議所が今の場所にあると、その両者存在で、球場跡地が裏のような空間になってしまい、平和公園から開かれた連続性が、減ってしまうからです。球場の電車通り側があっても、商工会議所や他の施設がなくなれば、かなり開かれて連続性がもてるからです。すぐには出来ませんが。

もし逆に私が、商工会議所の移転に反対するのであれば、移転案がかなり前にでている訳ですから、これまでにその当事者、商工会議所と議論しています。電話して会ってもらえなければ、何日でも待って、担当者を入り口でつかまえて話すなど、「もし反対を本気で考えている」のならそうしますが。なぜ、反対の人達はそうしてこなかったのだろうか。



ただ、市民球場も復興のシンボルですが、商工会議所も、復興の一翼を担っていた訳で、跡地周辺にいても良いと思います。移転に関しても、移転する当事者(商工会議所)の意見も尊重されるべきでしょう(それだけではありませんが)。とにかく現在は、商工会議所が、かなり跡地計画の「鍵」になっていると思います。



文字が多くて入らなかったので、次号へつづきます。