前々回のエントリーでグリンピースそして捕鯨問題をフックにして、合法性と国民益の問題を書いたのですが、実際捕鯨問題というのはあんまり興味がないのですが、これってまとまんのか?という位議論が迷走しすぎております。

実際にどうかというのは自分は知りませんが、各々のデータを観たり、言っている言い分を聞いていると、余計わからなくなって来ます。

しかし得てして実際に表面上に噴出している問題点というのは囮であるパターンも多く、複雑にする事によってスペシャリスト達の独壇場にもなります。

複雑で混沌とした所に囚われていると、本質が見え難くなってしまいますので、今日は全く推論で、妄想の類いだと思って頂いて結構ですが、すこしこの辺の構造を整理して考えてみようかなと思う次第です。

実はこの問題というのはあんまり興味がないという事もあって、違法性?何が悪いんじゃコラ!!とグリンピースの肩を持つかのような書き方をしたせいか、勘違いされてしまった部分もあるので、反論とかそういう事ではなくて、どういう風に見えているのか、どういう風に自分は考えているのかというのを書いておきたいと思うわけです。

それではおっぱじめます。断っておきますが妄想ですよ。

この問題というのはおそらく役人の利権なんだろうという事は推察出来ますし、天下りも含め、それなりの権益でもあるのだろうというのは想像出来るのですが、実際問題として、それほど大きな問題だとも思えないという事もあるし、あんまり細かいとこまで目くじら(鯨だけに)を立ててもしょうがないような気もしていたわけです。

この国が抱える腐敗した権益構造の問題点で言えば、遥かに国民生活に密接なプライオリティの高い問題が沢山あるように思えます。だから興味もわいてこないわけなんですが。でも、いつもの如くというか、この国の問題点すべてに言える事ですが、やっぱり共通項があるような気がする。

まず気になる点は、鯨肉の値段です。供給が限られているわけだから、値段が上がるのは分からない話ではないのですが、調査捕鯨にしろ、学者どもの補助金にしろ、税金が出ているわけで、鯨肉を売った金は研究費や調査費用に充てられるなんて事を政府は広報しておるわけですが、ここがどうも胡散臭いと感じるわけです。

だって税金で調査、研究をしているんだから、食の為というのは無駄にしないという事が前提であるわけで、そうであるのなら、安いというかただ同然で流通させないと、権益になるに決まってます。いくら儲かるのかもわからないわけですから。しかも元手は税金ですからただ。打ち出の小槌なんじゃないかとも思える。まあ役人の打ち出の小槌にしちゃ小さい気もしますが。

直接儲けているのか?間に何かを噛ませて儲けているのか?いずれにせよ怪しいニオイがするわけです。薄汚れたドブのニオイが。商業捕鯨から、調査捕鯨に切り替わった時点で、何が起こっていたのか極端な言い方をすると捕鯨が国営化されたという見方も出来る。

それに鯨肉を食べるという習慣が失われつつあるわけで、多分多くの国民も別に無くても困らないと思っているでしょう。であれば安く流通させ、消費者が鯨肉旨いじゃねえかという風になれば、国民の関心も得られるはずです。

それだけじゃなくて、需要があれば供給が生まれる、これはある種、経済学の基本ですが、まあ最近は資源ナショナリズムなどもあり、リカードの比較優位仮説も結局の所はあるプレサポジションが無ければ回らないという、ようするに金でものが買えるという前提が無いと回らないわけで、本当かどうかは知りませんが、少なくとも現状のコンセンサスでは資源や食料の枯渇が叫ばれるようになり別の構造に変化しつつあるので、必ずしも需要があれば供給が生まれるという時代ではないのかもしれませんが、日本人の需要が旺盛で外貨獲得のチャンスになれば、マーケットに参入してくるプレイヤーはいてもおかしくありません。

貧しい国でそれが外貨獲得源になれば悪い話ではないと思う人もいるでしょうし、何しろアメリカ人なんて利益に敏感な連中ですから、捕鯨に対するまなざしだって変わっても不思議じゃない。

その元栓の所を国家が牛耳って独占している状態であれば、日本に捕鯨を認めても、諸外国に何も利益は無く、ただ単に日本の役人の権益でしかないという構造が見えてくるわけです。まぁ妄想ですが。

鯨肉をとって消費するという事は、当然、肉の需要は下がる、肉を日本に売って外貨を稼いでいる国々は何も得る事は無いわけです。現状の日本ではそれほど鯨の需要もありませんので、そこに投資しても回収の見込みも無いわけで、だったら肉を売りつける戦略の方が効果的でもあるでしょう。マーケットへの参入障壁もあるし、参入しても回収出来なければそんな事したいと考えるアホはいません。

しかし日本の需要が鯨肉の流通価格を下げて向上し、しかもマーケットに参入が自由になったら、資金が流れ込んで来て、例えば捕鯨船が言われているようにあまっていたりするのなら、再生のチャンスにもなるんじゃないかと、思ってしまうわけです。まあ、妄想ですが。

しかしこれは日本の構造問題すべてに共通して言える事ですが、外資の参入を拒むという体質があります。ようするに値段を高いまま維持し、需要を低く抑え、入口を管理し、捕鯨で困っている人達がいるのは、反捕鯨派の連中の仕業だという状態にしておく事によって、誰が一番得をするのか?と考えると、穿った見方になるかもしれませんが、やっぱりここも同じなんじゃないの?って気がするわけです。穿った見方と言うか、シンプルに見ればそういう風にしか見えない。まぁ!妄想ですが!!

シーシェパードの問題が大騒ぎされた際、シーシェパードが船籍を置く、旗国のオランダ、そして寄港したオーストラリア、それぞれの駐日大使を呼びつけて抗議したわけですが、肝腎のシーシェパードの本部があるのはワシントンなわけで、アメリカ政府に抗議するのが一番優先される事なんじゃないかと普通であればなるわけですが、そんな話は出てこない。つくづくズッコケる話です。

結局ポジションなんじゃねえかと。まぁ!!モウソウですが!!

昔自分が子供の頃は、鯨の竜田揚げなんかが給食で出たりもしていたわけですが、たいして人気はありませんでしたし、大人達も鯨なんていうと、あんまりパッとしないぜって感じだったように思います。やっぱり肉だぜというか、鯨かよガッカリというか。それがある時点を境にして高級食材に変貌を遂げるわけです。需要が全くゼロになれば捕鯨の理由も無くなるので、高級食材で旨いのだという風潮になれば、需要は減っても無くなりはしません。

今思い返してみればちょうどその頃、鯨食の見直しが随分巷で叫ばれていた記憶もある。旨いという事を喧伝する為に馬鹿な芸能人なども加担してメディアで大騒ぎしていた記憶があります。その時はちょっと前まであんなに人気がなかった鯨肉が取れなくなるとなると、こんなに大騒ぎされたりするのかと、なんか胡散臭さや浅ましさを感じたもんですが、今思い起こしてみると、それがキャンペーンだったようにも感じる。

その頃働いていた所の先輩なんかも、鯨なんて別にたいして旨くもねえし、ちょっと前まであんなに人気がなかったのになぁ、なんて言っていたような気がする。

もともと供給は細っているので、それでも需要があれば大本を牛耳っている所は総取り出来るわけです。

しかも仕入れ価格は税金でただ。まあ最初は本当に捕鯨再開という目標を掲げて始まった捕鯨推進という力学なんでしょうけれど、その当初の志が(あったのかは知りませんが)だんだん変わってるんじゃねえか?って気がするわけです。マァ!!もうそ、ってしつこいのでそろそろ真面目に書きます。

伝統が失われているとか、食文化の危機だとか言ったって、必要であれば残り、不必要であれば残らないわけで、今の国民がそれほど重要に感じているのかと言えば、無くなるよりは無くならない方がいいけれど、まあ別に高いし、食わなくても食うものいっぱいあるし、って感じが多いのではないでしょうか。輸入した食料の三分の一を捨ててる国ですからね。自給率が4割り切っているのに。

捕鯨を生業にして誇りを持っていた人々の職を奪い、どうのこうのって話もよく出て来ます。だけど、こんな事言い出したら、そこら中に誇りを奪われた人がいるでしょう。大規模店舗規制法緩和によって大きな店ができたり、コンビニの乱立や、道路、バイパスを通す事によって、町の中心街が移動し、地域の商店街はシャッター通りばかりになってしまったりしているわけです。これは地域の公共性を壊してしまっている。個人に分断されてしまっている。おかげで体感治安なんていう言葉が出て来て、セキュリティ利権花盛りです。

その商店街をぶっ潰す事によって、出て来た大規模店舗も今度はネットの普及によって、ネット通販なんかに押されている。そうじゃなくとも地方では無計画に乱立してしまい、実際潰れている所だってあるわけです。

IT技術やテクノロジーの発達によって職を失っている人なんて大勢います。農家だってどんどん減っている。外国の安い人件費に依存するようになって、工場の技術者も職を失っている。料理人だってクソマズい店が増えたおかげで割を食っている。ファミレスだのが出来たおかげで、個人経営の定食屋だのラーメン屋だのもどんどん潰れている。

誇りがあるかどうか別として、時代の流れによって職を失っている人なんてそこら中に掃いて捨てるほどいる。そういう構造に突っ走っていながら、何で捕鯨の所ではそういう事に脚光がやたらと浴びるのか?恣意的な力学を感じざるを得ません。

そういう人達を無視しても構わないとか言いたいわけじゃなくて、そりゃセーフティネットは重要ですが、誇りがどうのこうの、可哀想だのなんだのと、恣意的にフォーカスを当てている。だったら助けりゃいいだけの話じゃないのかって気がするわけです。

捕鯨の問題は恣意的であると言っても、世界の枠組みですので、力学も大きく流れに逆らうのは容易ではないのでしょうけれど、商店街がシャッター通りになったり、農家が減ったり、地域が空洞化したり、なんてのは基本的に国家戦略に問題があったからで、バカな政府の責任です。

それにこれは道路問題にもいえる事ですが、例えば道路を作る事自体は悪い事だとは自分は思いません。捕鯨の伝統を残す事もまあ別に出来るならやればいいと思います。だけど、そうであるのなら、例えば地方分権をどんどん進めて行くとかしないと、車に乗る人口も、職を継ぐ人材もどんどん都会へ集中し、地方が空洞化しているわけです。

そういう所を手当てする政策なんて全然打つ気もないし、分権化でなくとも、高速料金を無料化するとか、いくらでも方法があるわけで、そういう事を全くしないで、加工貿易主体の中央一極集中型の産業構造からの転換も全く進んでいないのに、地方地方と叫んで票集めに利用しても、中身がなんにも無い。

ようするに政策に合理性が全く無い。中央一極集中というのは安全保障上重大な問題を含んでいます。戦争とかテロとかそんな大層な話ではなくても、地震が起これば今の日本の構造では完璧に麻痺します。

都会に住んでいる若者であれば車に乗る必要も無い。実際に車離れも起こっている、自家用車の保有台数はどんどん減っています。転がり落ちている。老人が多いので、それが車に乗らなくなるという事も一因ですが、昔の子供に比べて、今の子供は物への執着が無い。車への憧れも無い。ものに執着する代わりに、携帯のような情報に金と時間をかけている。しかも景気も悪い、物価も上がっている、車の維持費も高すぎる。よくガソリン税が安いという根拠を政治家やバカ知識人が叫びますが、そこだけを切り取ると嘘じゃありませんが、車一台の維持費の平均で見ると、主要先進国と比較すればダントツです。アメリカの4倍のコストです。

こういう戦略を一方で取りながら、なのに道路を作ってどうすんだ?というのと同じで、捕鯨の伝統が!!なんて叫んでいても、人がどんどん流出してしまうような構造を維持しておいて、そんな旗を立てても何がしたいのか意味がわからない。

パイがどんどん減っているのに、そこからより多くぶんどる事しか考えていない。この国の政治家の頭の中は、織田信長以前の構造と変わらない。今何世紀だ?って話です。国を富ませる事を何一つしないで、たかる事しか考えていない。これじゃ希望も全く無くなる。どんどんしぼんで行くような構造にいかに寄生して権益を貪るかという発想ばかりです。

探鉱を生業としていた人が職を失って行く過程で、そりゃ探鉱で働きたいと思うのは当たり前でしょうが、石炭が出なければ、炭坑夫としては仕事は無いわけで、他の仕事をするしか無い。だから無理であれば別の手当をするしかないのに、炭坑夫の誇りの為に、石炭なんかでないのに、探鉱を再開させねばならないと言っている人が仮にいたら、頭おかしいんじゃねえかと普通はなります。

外的な要因で捕鯨を生業にしていた人の職が失われているわけですから、無いわけじゃないから再開させるべきだと言っているのかもしれませんが、事実上すぐにも無理だし、将来的にも希望は乏しく感じる。だとすれば別の縫策で手当てするしかない。知らん顔しているのに都合のいい所だけで、弱者を救えとか言っても説得力にかける気がします。

道路が必要だ!中国の脅威!捕鯨に誇りを持っていた方々が!全く同じような響きに聞こえる。

極論すれば捕鯨推進に莫大な税金をかけているのなら、そういう人達を補助金で救ったほうが効果的だし安く済むような気がするわけです。

まあ一応漁獲量が減るという事も根拠になってますので、捕鯨推進を止めるという事も難しいのかもしれませんが、漁獲量は減らないと言っている人もいるわけで、いずれにせよ、わかっていないのに費用対効果で考えるとどうなんだろうと思ってしまうわけです。

ヒースローでの中間報告ではアイルランド提案(沿岸での商業捕鯨を認め、公海で禁ずる等の97年に提案された妥協案)が水面下でどうたらこうたらって話もありますので、これがどうなるのか?という事も含めて自分の言ってる事が単に妄想に過ぎないという事がわかればそれでいいのですが。

つづく!!