前回の続きです。

さて前回、空気支配について云々かんぬん書きましたが、日本は昔からそうだったとも書きました。しかしそうであっても、多様性というのがもう少し許容されていたような気がするのです。

この国はもともといい加減な民族だったというのもあるし、海に囲まれていたが為に、わりと言葉の通じない外敵にたいする危機管理能力もずぼらでも何とかなった。呑気な民族と言うか、適当と言うか是々非々と言うか、宗教に対する寛容さ、いい加減さもひっくるめて、ある程度多様性を許容していた。

というか無理矢理それを矯正するよりも許容してしまって包摂してしまったほうが合理的な場合はそうして来た。

多様性を遮断してある価値観に強制的に従わせるというのは合理的ではないからです。あんまり教育されませんが戦前の亜細亜主義者も実はそうでした。

しかしここに西洋的な形式論理学が入って来ます。近代化させる為には不可欠だからです。契約の概念、二元論的に物事を決める発想です。

これが従来の日本的な論理性の無い情緒的な観念と融合してしまい、制度的に白黒つけなければならない局面では、曖昧な共同体的な丸くおさめる寛容さが残り、人の感情のように白黒つき難い多様性を必要とする部分には善悪二元論的発想が融合してしまう。悪循環負の連鎖が続いている。

この国は一応近代化を遂げたわけで、民主制を採用しています。ですから制度的な所は何が何でもルール主義でなければ世の中回るわけない。ルールを守ったかどうか、ルールが正しく機能しているのか、そしてそもそもそのルールが合理的なのかどうか白黒つける必要がある。グレーゾーン的な恣意性というのは腐敗の原因になりがちです。

しかし人間の感情的な内面は人それぞれ、いろんな人がいて当たり前、ほぼ単一民族である事から、そういう多様性に鈍感なのかもしれませんが、単一民族だって人はそれぞれ違う。

その違いが許せないのなら、もはや他者と社会を営む行為自体が出来ない脆弱な民度になってしまっている。傷ついただの傷つけられただの大騒ぎするのもここに原因がある。コミュニケーションが出来なくなって、すなわち外部との接触が上手く出来なくなってしまえば、文明も生まれない、進歩も無い、その先には滅びしかない。

多様性の無い動物は必ず淘汰されます。これは法則です。

最近聖火リレーで大騒ぎしました。メディアの平和の祭典だ的な報道、チベットの問題を暴動と言ってしまう鈍感さもヘドが出ますが、これと表裏一体の関係にあるのが、チベット問題で吹き上がる構造です。

中国に吹き上がる。チベットの人達可哀想という感情。人権を守れという感情論的な錦の御旗。中国批判をするポピュリズム政治家、バカコメンテーターにも虫酸が走ります。ハッキリいいます。そんな事をしても無駄なんだよ。

中国政府が聞くわけねぇだろって話です。自分の立場を表明する為に、人気を稼ぐ為にこういう問題を利用すんじゃねえよって感じです。

勘違いされると困りますので断っておきますが、自分はチベット問題は解決してほしいと思います。チベットに対する中国政府の統治の仕方も、どう見ても合理的には見えません。ダライ・ラマは仏陀ではない、共産党が仏陀なのだ的な、かえって逆効果なのではないかと思えるような、火に油を注ぐような事を平気でしています。

それにチベットの状況を知れば知るほど、非常に嫌な気持ちになる。中共のやり口は酷すぎます。これは大前提ですが、おそらく中国政府はどんなに外圧があったって、絶対やり口を変えないでしょう。だから感情論を切り離してどうすればこの問題を解決出来るのか?という事を考えねばなりません。

チベットの民衆や各国のデモはこういう抑圧は止めてくれという声なので、これは必要でしょう。他に方法が無いわけですから声を上げなければ始まらない。その声に連帯して、この問題に光を当てる事も当事国ではない我々に出来るチベットの方々に対する援助です。

しかしこれを吸い上げて、政治的な人気取りにしたり、バカコメンテーターの立ち位置の為のリソースにしたりと、啓蒙と煽動をはき違えて貰っちゃ困りもんです。

メディアに洗脳されて、平和の祭典である聖火リレーに、どんな主張であれ邪魔するのはけしからんじゃないか!!というような翼賛報道に洗脳された感じになるよりは、チベット問題を覆い隠そうとする談合クソメディアの欺瞞に怒りを感じ、中国政府のやり口に憤りを感じ、チベットの方々を救えと吹き上がっている方がマシなのではないか?と思う方もおられると思いますが、吹き上がる事と解決する事はわけて考えないとどうにもならない。感情論を優先させてスッキリしても永久に解決は出来ないでしょう。

あの問題に吹き上がって中国政府にルサンチマンを募らせて、感情的に何とかせねばならないと国民を煽っても解決出来っこ無い。政治家などがテレビに登場して中国政府に対しては何の効果もない内向けのパフォーマンスに利用している構造に乗せられちゃ意味がない。誰の片棒を担いでいるのか考えた方がいい。

愛国心の問題ともかぶりますが、民衆の声は真実でしょう。民衆が素朴に自分の郷土を愛する心は真実でしょう。しかしこれを吸い上げて、利用している不届きものに煽られる構造は非常に問題ありです。愛国心だってそれを国家が利用すれば嘘になる。国家権力を愛する事ではありません。これと一緒です。

光市の問題を利用して、己の立ち位置を表明する下らん連中や、視聴率稼ぎに利用する構造と全く同じです。本村さんの感情的な回復、司法の厳正な執行、この相矛盾する複雑なパズルをどう解きほぐせばいいのかを考える、啓蒙するのが報道ってもんですし、統治権力の責務です。

統治権力やメディア等のほざく大義、そういう連中にコントロールされている家畜共がほざく大義、感情論を切り離す事の出来ない大義は、一切合切下らない。全部嘘。この世に存在する大義なんてもんは全部この構造が生み出していると知るべきです。その上で吟味する必要がある。

まずは不可能性や矛盾点、下らなさや欺瞞を知った上でコミットしないと、騙されていた、悪いのは国民じゃない!!という事を繰り返すのみです。自分の立ち位置や信じるものに対して、メタ的な視点から全体像を俯瞰すると言う事が出来なさすぎる。これは反対意見を聞くという事にも繋がる。

冷凍ギョウザ問題でも散々吹き上がりましたが、全く効果はありません。こうやって吹き上がる事によって、ポピュリズムに支配されたアホな政治家どもは選択肢が限られてしまう。中国政府に弱腰だとか、中国政府の肩を持っていると吹き上がるバカがいっぱいいるからです。メディアでもそういう風に煽る。

ギョウザ問題でどんなに日本人が吹き上がったって中国政府は痛くも痒くもないでしょう。なぜなら日本は中国の安い製品や人件費無しには、もう国が回らないような構造にどっぷり浸かっているからです。どんなに吹き上がったってカードは向こうが握っている。

中国政府に直接文句なんて言えないくせに、下らん政治バラエティ番組で勇ましい事をほざくクズ、国民の感情をかき立て、リソースに利用する。こう言う奴はハッキリ言って、害虫以外の何者でもない。昔の右翼なら真っ先にぶち殺す対象でしょう。

安全保障の問題を何も考えずに出来もしない事を情緒的に吹き上がっても無駄です。我々に中国政府を従わせるような強制力は無い。強制力を持つ事も出来ていないのに、出来るわけが無い。

チベット問題もそうです。現に実行支配をしているわけです。どんなに世界中が吹き上がったって中国政府は痛くも痒くもないでしょう。どこの国でも中国経済に依存している構造にもはや組み込まれているからです。
チベットというのは中国にとっては安全保障上の弱みを諸外国に握られない為に不可欠の問題です。チベットを漢字で書くと、西藏、中国に取って何を意味するのか、西の蔵、読んで字のごとくです。水、食料、資源、これを諸外国に依存し何も出来ない日本のような構造にならない為に、安全保障上、彼らにとって必要なのです。チベットを押さえるという事は世界の水資源の47%を押さえる事が出来てしまう。

肝腎なのはチベットが必要であるだけで、チベット人は別に必要だと思っていないという事です。

それと世界の屋根と呼ばれる所を確保するという事にも非常に重要な軍事的な意味がある。陸上での侵攻をほぼ不可能に出来ますので守りには最適、ミサイル基地として利用すれば有効でもある。

そうでなくとも環境問題など新たに生み出した権利によって諸外国にイニシアティブを握られて、どんどん包囲されている。近代化の頭を押さえつけられてしまう。

話は脱線しますが、日本の水道というのは、非常に進んでいてそもそも日本の水がきれいだったという事もあるのでしょうが、先進国の中でもずば抜けていました。しかしこれがいつの頃からか、水道水は危険だ!!という啓蒙というか、デマゴギーに近い煽動が起こり、普通にミネラル・ウォーターを買うようになってしまった。

結果的に何が起こっているのかというと水道水の劣化が始まっています。飲む人が減っているし、分配する金も無いからです。近い将来本当に水道水は完全に飲めない状況になるでしょう。現に、今でも金のあるやつは水を買い、金の無い奴は水道水を飲んでいます。これがどんどん進んで行けばどうなるか?想像すれば簡単な話です。

金で水が買えるうちはまだいい。資源ナショナリズムがどんどん進んでいる状況の先には、水の争奪戦が待っています。おそらく近い将来その為に戦争なども起こるでしょう。中国はそこに先手を打っているわけです。

水は石油なんかよりも生命の根幹に関わります。その事に対して当たり前ですが日本は全く無策。日本というのは水が豊富な国であるという錯覚もありますがこれも嘘です。石油より先に水資源の枯渇のほうが先に起こるという説もあるくらいです。

現在でも農作物にしろ工業製品にしろ輸入しているという事は、バーチャル・ウォーター、農業用水や工業用水を間接的に輸入して消費している。生活用水よりも、農業用水や工業用水の方が圧倒的に使われています。猛烈な勢いで発展している中国にとって水というのは現在非常に重要な資源なのです。

それでもつづく!!