お盆休み中の、ある一日。
ドライブがてら 河口湖自動車博物館 へ行って参りました。
自動車博物館に併設されている飛行舘には多数の飛行機が展示されていますが、
2機の零戦と、そして復元中の 一式陸上攻撃機22型 が展示されているのです。
東名に乗り、厚木から御殿場まではスイスイ来たが下道におりたら大渋滞…(*_*)
高速降りて東富士五湖道路を経て、約2時間半かけてやっと到着。
富士山はほとんど雲の中に隠れていました。
河口湖自動車博物館です。
併設の河口湖飛行舘。 どちらも毎年夏、8月だけの一ヶ月間の限定開館です。
1000円払って、さぁ中へ!
(自動車博物館とは別料金なので、ご注意。)
内部は、携帯でのみ撮影が許可されております。
写真はクリックで拡大します。
一式陸攻の巨大な胴体が格納庫奥に横たわっています。
この機体12017号機は三菱航空製作所水島工場(岡山県倉敷市)で
昭和19年5月に完成したもの。
この一式陸攻は、1984年にヤップ島で発見された後部胴体を元に
1987年から少しずつ復元が進められており、8年かけて1995年に後部胴体の復元が終了。
この間、機首部分の入手に関しては世界各地より情報収集が試みられましたが、
現存する同型G4M2(ジーヨンエムツー)は皆無で、ついには新造が決断されたそうです。
機体は2010年に初公開され毎年8月、復元の過程を見ることができるのですが、(来てなかったですが、)
今年は胴体が完成し、上部銃座風防および機銃、尾部機銃が装備されたとのこと。
細部に至るまで正確に復元された全長20mにも及ぶ精悍な機体をみることができます。
日の丸の左隣りに、機銃掃射用の窓があります。
主翼の付け根です。
茶色い部分は主桁といい胴体を貫いて左右の主翼をつなぐ部分です。
一式陸攻では燃料タンクを兼ねたものだったそうです。
翼の上の小さい四角は、昇降用の足掛け。
91式航空魚雷(800kg)を抱いております。
コクピット
上部旋回銃座および機銃です。
九九式二十粍(ミリ)二号機銃。
上部旋回銃座は一式陸攻の航空技術遺産としての形態を示す大きなポイントでしたが、
図面入手の可能性は全くなかったそうです。
しかし解決策として鹿屋の二式大艇の上部銃座を調査したところ、
一式陸攻のと幸いにも同じ形式(一式大型動力銃架二二型)であることがわかり、
3回にわたって鹿屋への訪問が行われ、スケッチ・計測作業そして図面おこしがなされ、
正確な復元が可能となったそうです。
1984年にヤップ島で発見されたこの機体ですが、
機体回収にあたっては州知事や島の関係者、大酋長など6名を東京にお呼びして、
これから造る航空博物館の説明や靖国神社を訪問し理解を求め、
数ヶ月に渡る交渉を経て、機体持ち出しの了解を得ることができたとか。
前半部は新造となります。
境目。
つぎは特徴的な前部風防です。
これは尾部。
一式陸攻22型の三菱火星エンジン21型。主翼付近で発見されたもの。
世界唯一の、復元された一式陸攻です
胴体前部が完成し翼が付く日が楽しみですね。
つづく
iPhoneからの投稿
ドライブがてら 河口湖自動車博物館 へ行って参りました。
自動車博物館に併設されている飛行舘には多数の飛行機が展示されていますが、
2機の零戦と、そして復元中の 一式陸上攻撃機22型 が展示されているのです。
東名に乗り、厚木から御殿場まではスイスイ来たが下道におりたら大渋滞…(*_*)
高速降りて東富士五湖道路を経て、約2時間半かけてやっと到着。
富士山はほとんど雲の中に隠れていました。
河口湖自動車博物館です。
併設の河口湖飛行舘。 どちらも毎年夏、8月だけの一ヶ月間の限定開館です。
1000円払って、さぁ中へ!
(自動車博物館とは別料金なので、ご注意。)
内部は、携帯でのみ撮影が許可されております。
写真はクリックで拡大します。
一式陸攻の巨大な胴体が格納庫奥に横たわっています。
この機体12017号機は三菱航空製作所水島工場(岡山県倉敷市)で
昭和19年5月に完成したもの。
この一式陸攻は、1984年にヤップ島で発見された後部胴体を元に
1987年から少しずつ復元が進められており、8年かけて1995年に後部胴体の復元が終了。
この間、機首部分の入手に関しては世界各地より情報収集が試みられましたが、
現存する同型G4M2(ジーヨンエムツー)は皆無で、ついには新造が決断されたそうです。
機体は2010年に初公開され毎年8月、復元の過程を見ることができるのですが、(来てなかったですが、)
今年は胴体が完成し、上部銃座風防および機銃、尾部機銃が装備されたとのこと。
細部に至るまで正確に復元された全長20mにも及ぶ精悍な機体をみることができます。
日の丸の左隣りに、機銃掃射用の窓があります。
主翼の付け根です。
茶色い部分は主桁といい胴体を貫いて左右の主翼をつなぐ部分です。
一式陸攻では燃料タンクを兼ねたものだったそうです。
翼の上の小さい四角は、昇降用の足掛け。
91式航空魚雷(800kg)を抱いております。
コクピット
上部旋回銃座および機銃です。
九九式二十粍(ミリ)二号機銃。
上部旋回銃座は一式陸攻の航空技術遺産としての形態を示す大きなポイントでしたが、
図面入手の可能性は全くなかったそうです。
しかし解決策として鹿屋の二式大艇の上部銃座を調査したところ、
一式陸攻のと幸いにも同じ形式(一式大型動力銃架二二型)であることがわかり、
3回にわたって鹿屋への訪問が行われ、スケッチ・計測作業そして図面おこしがなされ、
正確な復元が可能となったそうです。
1984年にヤップ島で発見されたこの機体ですが、
機体回収にあたっては州知事や島の関係者、大酋長など6名を東京にお呼びして、
これから造る航空博物館の説明や靖国神社を訪問し理解を求め、
数ヶ月に渡る交渉を経て、機体持ち出しの了解を得ることができたとか。
前半部は新造となります。
境目。
つぎは特徴的な前部風防です。
これは尾部。
一式陸攻22型の三菱火星エンジン21型。主翼付近で発見されたもの。
世界唯一の、復元された一式陸攻です
胴体前部が完成し翼が付く日が楽しみですね。
つづく
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