親しかった友人が76歳で逝去した。年は私より4歳先輩であったが、私を慕ってくれた人であった。今日100キロ先のお通や参加すると、友人の奥さんは私の訪問が予想外だったようで嬉し涙を流していた。私は亡くなった友人の「喜びと悲しみ」をよく理解していた。わたしがお通やの参加時の奥さんの喜びに接すると或いは奥さんの「喜びと悲しみ」も理解していたのかもしれない。
過日知人と死に何する懇談をした。この時2006年08月29日に書いた「死の瞬間は分からない」の概念をベースに話をした。実は以下の概念、生涯青春の会で何回も話をした。数人の高齢者から「死は恐れる必要がない」という概念に対してお礼を言われたことが何回もある。私にとって思い出深いエッセイであるので紹介させていただきます。
死の瞬間は分からない 2006年08月29日 高齢者情報
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9865814&comm_id=698599
過日知人と死に何する懇談をした。この時2006年08月29日に書いた「死の瞬間は分からない」の概念をベースに話をした。実は以下の概念、生涯青春の会で何回も話をした。数人の高齢者から「死は恐れる必要がない」という概念に対してお礼を言われたことが何回もある。私にとって思い出深いエッセイであるので紹介させていただきます。
死の瞬間は分からない 2006年08月29日 高齢者情報
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