1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >> ▼ /
2011年10月31日 20時37分27秒

JAZZ ディジー・ガレスピー ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「たしかにガレスピーは損な役を引き受けていたといっていいのかもしれない。パーカー、パウエル、モンクといった、ひと癖もふた癖もある『人畜有害』なヒーローたちが勝手気ままにふるまっていた当時、比較的まともなバランス感覚を持っていた彼が、否応なくスポークスマンの役を引き受けざるを得なかったというところがある(ポートレイト・イン・ジャズ)」

モンクやバド、また、バードこと、チャーリー・パーカーの演奏が収められているCDは、見つけ次第かなりの枚数を買ったのだが、彼らとともにビ・バップ革命の主導者であった、ディジー・ガレスピーのレコードやCDを、自分はほとんど持っていない。いや、今は手元にない。わずかに、チャーリー・パーカーと共演したセッションで彼の音を耳にするぐらいである。
村上さんが、「ポートレイト・イン・ジャズ」の中で紹介している、ニューポートのライブ盤を、僕も随分以前に購入した事があるのだが、ディジー・ガレスピーを聴くというよりも、共演しているリー・モーガンやウィントン・ケリー聴きたさに入手したようなものであった。アルバム自体は、迫力に満ちたよいできのものであったと記憶する。

バードやモンク、バドは、彼らの音楽が精彩を放っていただけでなく、彼らがことごとく、破滅的な人生を送ったという事実に、ジャズリスナーの多くは惹かれるのではないか。創造された芸術作品だけでなく、彼らの生き様自体が、呪術のごとく人を魅了するのだ。

一方、ディジーが損な役を引き受けているのも、彼が、長く、また、比較的まっとうな生涯を送ったことと、彼の演奏した音楽の多くが爆発的なエネルギーを発散させた、いたって健康的なものであったからではないか。

数年前に、世界で初めて発見された、チャーリー・パーカーの映像とは、ディジー・ガレスピーとともにHot Houseを演奏するものであった。動くチャーリー・パーカーを見たときには驚いたが、当時、バードの演奏を真っ向から受けてたつことができたのは、ディジー・ガレスピーだけだったことを証明する映像でもある。

2011年10月30日 08時28分24秒

JAZZ ナット・キング・コール ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「スミスの艶やかなヴァイオリンは、歌詞のひとことひとことを、まるで噛みしめるように丁寧に、丁寧に歌い上げるナット・キング・コールのうしろで、それにつかず離れず、でも潤沢に奥深く、人の心の震えを歌い上げる。この曲を聴くと、また恋をしたくなる——ような気がしないでもない(ポートレイト・イン・ジャズ)」

社会人になったばかりの頃に、会社の先輩から、
「ナタリー・コールの『アンフォゲッタブル』、聴いた? あれは、かなりいいよ」
と聞かれたのだが、僕は、「アンフォゲッタブル」はおろか、ナタリー・コールがどんな人物であるかさえしらなかった。
「まだ聴いていないです」
と答えた僕に、翌日、先輩は「アンフォゲッタブル」を手渡しながら、
「有名な曲をたくさん歌っているし、タイトル曲では、ナット・キング・コールとデュエットしてるよ。聴きやすい」
と言った。
ジャケットのモノクロ写真に映った女性がナタリー・コールであることは、ともかくとして、ナット・キング・コールとは何者なのだろうと思いながら、ディスクを受け取った。

帰宅して、ディスクをCDプレーヤーのターンテーブルに載せた後、アルバムにあるライナーノーツを読む。ナタリー・コールとナット・キング・コールとは、親子だとある。そして、「アンフォゲッタブル」はすばらしい出来であった。また、タイトル曲で聴かれる、二人の歌は時間を超えた傑作であるといってよいものだ。

以来、村上さんが紹介している「アフター・ミッドナイト」をはじめとして、ナット・キング・コールのアルバムを数枚ほど耳にしたのである。いま僕の手元にある「ラブ・イズ・ザ・シング」も含めて、そのどれもが素晴らしいものであることはいうまでもない(「はずれ」のアルバムがない人であるが、それは、どれを聴いても同じであるという意味でもある)。

そんなわけで、僕の好きなナット・キング・コールの一曲は、当然の事ながら、娘ナタリー・コールとのデュエットした「アンフォゲッタブル」となる。歌詞もよい。

 
2011年10月29日 07時32分30秒

JAZZ ジェリー・マリガン ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「たしかレコード・ジャケットの写真で、最初にジェリー・マリガンの姿を目にしたとき、なんだかひどく眩しく感じたことを僕は覚えている(ポートレイト・イン・ジャズ)」

最近発売されるジャズCDのジャケットを見ても、これといって感心させられるようなものが見当たらない。ジャケットに使われている写真の多くが、まるで記念写真のようだし、それぞれが凝ったデザインであることは、分かるのであるが、打ち出したいスタイルがない上に、ジャケットから音がちっとも聴こえてこない。

ジャズのジャケットで、有名なものでは、ブルーノートから発売された、ソニー・クラークの「Cool Struttin」があるし、総じてブルーノートのジャケットは、眺めているだけでも楽しい。
ブルーノートが東海岸の雄であるなら、一方西海岸の雄は、パシフィックジャズ(Pacific Jazz Records)だろう。

僕が初めて手にした、ジェリー・マリガンのアルバムは、「カリフォルニア・コンサーツ」である。漆黒の闇をバックにして、大きなバリトンサックスを抱えたジェリー・マリガンと、トランペットを構えたチェット・ベイカー、チコ・ハミルトンのドラム、そして、ベーシストらが、薄暗いステージの上で演奏をしている写真がジャケットに使用されており、いまにも彼らの演奏する音が聴こえてきそうな気がするぐらい、惹きつけられる一葉である。このような写真が撮れるのも、ジャズが黄金時代であったおかげであるといえばそれまでだが、それだけでなく、被写体である演奏者と、写真を撮った撮影者との両者が、強烈な美意識を持ち合わせていなければ、このようなジャケットは作れまい。
あいにく、「カリフォルニア・コンサーツ」が手元にないのであるが、LPで手にしたいアルバムの一枚である。

「カリフォルニア・コンサーツ」のジャケットの写真があまりに印象に残っていたので、ジェリー・マリガンといえば、「ああ、あの写真ね」で終わっていたのであるが、僕の友人にジェリー・マリガンが好きという人がおり、その方の言葉から、再び彼を思い出し、購入したCDが「オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテットVol.1(Pacific Jazz Records)」であった。ロサンゼルスにあった小さなクラブ「ヘイグ」に出演していたジェリー・マリガン・カルテットを聴いた一人の青年リチャード・ボックが、彼らを世に紹介しようと考え、録音したことにより、1952年に創設された会社がパシフィックジャズである。その記念すべき初めてのEPシングル盤がマリガン・カルテットを録音したものであった。

バリトンサックス、トランペット、ベース、ドラムといった、いたってシンプルな編成である。西海岸ジャズ特有の上品で、かつ知的な雰囲気を漂わせているだけでなく、同時に、内にはらんだ熱気がひしひしと伝わる演奏である。何より、マリガンとベイカーとの音色の対比が絶妙である上に、ドラムのチコ・ハミルトンがブラシで彼らを煽る構図が、このカルテットの聴き所だ。
このアルバムのジャケット写真は、何気にユーモラスだが、自分たちの音楽への絶対的な自信が彼ら一人ひとりの表情に表れている一葉だ。

2011年10月27日 20時50分39秒

JAZZ カウント・ベイシー ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「『カウント・ベイシーの音楽を聴く』という行為にも、もちろん哲学が付属してくる。それは、カウント・ベイシーの音楽は事情が許す限り大きな音で聴いた方がいい、ということだ(ポートレイト・イン・ジャズ)」

かつて僕がまだ20代の前半だった頃、ジャズを聴きだして数年ほどが過ぎた頃のことだ。まだ、デューク・エリントンもルイ・アームストロングもほとんど聴いた事がなかったのだが、ジャズのお勉強がてら、カウント・ベイシーのCDでも買ってみようと思い立ち、カウント・ベイシー楽団が1937年から39年にデッカに録音したものをコンプリートに集めたボックスを購入した事がある。

ボックスに収められた一曲一曲に耳を傾けながら、ライナーノーツを丹念に読むのであるが、そもそも僕は、何かを読みながら音楽を聴くといった芸当ができない。活字を読み始めると、活字だけに没頭してしまう。おまけに、一曲の演奏時間が3分足らずのものばかりなので(録音された1930年代当時は、LPではなくSPだったので)、気がつくと、数曲の楽曲が終わっており、あわててCDプレーヤーの曲数の表示から、現在演奏されている曲目を探すといった有様であった。活字を読むために、たいそうなCDのボックスセットを購入したようなものだ。そんなことを数回繰り返した僕は、自分がカウント・ベイシーとは縁がないと思い、そのボックスを惜しげもなく売却してしまった。それ以来、長い間、カウント・ベイシーを聴いていなかったのであるが、ある日、EPICから販売された「Lester Leaps In」のかわいい猫のジャケットをレコード店の棚に見た瞬間、思わず衝動買いしてしまった。
Tower Records:Lester Leaps In (CD)
http://www.tower.com/lester-leaps-in-basie-cd/wapi/109729105

そんなわけで、僕の手持ちにカウント・ベイシーは、この一枚しかないわけである。が、このアルバム、かわいいのはジャケットだけではない。1939年から翌40年に録音されたこのアルバムには、オール・アメリカン・リズムと呼ばれた、フレディ・グリーンのギター、ウォルター・ペイジのベース、カウント・ベイシーのピアノ、ジョー・ジョーンズのドラムをバックに、レスター・ヤングのテナーサックスにバック・クレイトンのトランペット。この時代に、このメンバーで録音したのだから、悪かろうはずがない。スイングジャズの王道といった演奏である。

それにしても、現代では、You Tubeのおかげで、ボックスセットなどをご大層に買わなくても、手軽にカウント・ベイシー楽団を試聴することができて、なんとも、よい時代である。

2011年10月26日 21時04分04秒

JAZZ エリック・ドルフィー ポートレイト・イン・ジャズ (村上春樹 和田誠)

テーマ:JAZZ
「僕らは多かれ少なかれ、みんな宇宙の場末に生きているのかもしれない。エリック・ドルフィーを聴くたびに、そう思わなくもない(ポートレイト・イン・ジャズ)」

「コンプリート~」であるとか、「完全版~」といったコピーに、僕が弱いのは、自分の蒐集癖に依るところが大きいと思う。

エリック・ドルフィーがプレスティッジに録音した音源をコンプリートに集めた「コンプリート・プレスティッジ・レコーディングス」を買ったのはもう15年も前の事である。この10年ほどの間に、多くのジャズのCDを売却したり、人に譲ったりしてしまい、現在、その大半は僕の手元にはないのであるが、手元に残った数少ないCDの一つが、ドルフィーがプレスティッジに残した録音を集めたこのボックスである。エリック・ドルフィーの音楽と、彼という人間への興味が尽きず、手放す事ができないからである。

僕のドルフィーを知ったのは存外早く、ジャズを聴きだして間もない頃に入手したジョン・コルトレーンのヴィレッジバンガードのライブ盤によってであった。未だかつて耳にした事がない奇妙なフレーズ。マイルズ・デイビスが、彼の音楽を「馬の嘶き」と評したこともうなずける。
だが、いわゆるスイングはしている。哲学者である浅田彰が、エリック・ドルフィーが「バード(チャーリ・パーカー)と同じベクトルを持つ」といったのも、あながち間違いではない。
もっとも、ベクトルがバードと同じであるとはいえ、彼の前に彼のように楽器を鳴らした人はいなかったし、彼の後に彼のように楽器を鳴らした人もいない。

「コンプリート・プレスティッジ・レコーディングス」の中でライナーノーツを書いている、ジャズ評論家の青木和富が、エリック・ドルフィーと宮沢賢治とを重ね合わせて、彼らはともに「不思議なうすら笑いを浮かべ、どこか彼方を見つめていた表現者」であるとする言葉が、なぜか僕にはしっくりとくる。エリック・ドルフィーが、ジャズの系譜に属さず、過去から現在に渡ってぽつんとたった一人で孤立しているように、宮沢賢治もまた、日本文学のどこの系譜にも属していない。彼らはどこからも影響を受けず、また、同時に彼らをまねできる者を一人も生まなかったのだ。

不遇なジャズミュージシャンはたくさんいるが、エリック・ドルフィーほど、実力があり、また有名でありながら、過小評価されてきた人も珍しいのではないか。チコ・ハミルトンやジョン・コルトレーン、チャールズ・ミンガスのバンドでの活躍や、レナード・バーンスタインのコンサートへの参加など、生前の彼はさまざまな場面で演奏を聴かせているにも関わらず、自身のバンドを率いることができたのはほんの一時の事であった。
当然、経済的に恵まれず、困窮する事もしばしばであり、その日の食事にも事欠く事があったにも関わらず、貧しい友だちには食事をごちそうする。そして、楽器を練習する合間には、庭にある木々に向かってフルートを奏で、小鳥たちとの会話を楽しんだ。どの逸話も、彼の柔和にして、軽やかな人柄を伝えるものである。

彼の晩年の作品である「ラスト・デイト」には、演奏が終わった後に、彼の肉声が録音されている。
「音楽は、それが空中に放たれてしまうと、二度とそれをとらえることはできない」。
そう言い残した彼は、1964年6月29日、ベルリンで客死する。36歳であった。

アルバム「OUT THERE」のタイトル曲である、「OUT THERE」を聴いていると、ジャケットに描かれた不可思議な世界に向けて、彼の放った音が次々と飛翔している様を思い描いてしまう。恐ろしく屈折したメロディーが、どこまでもどこまでも、いつ終わるともなく続き、聴き終わったときには、とんでもない場所に自分が連れて行かれてしまった気分になる。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >> ▼ /