1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >> ▼ /
2010年07月31日 16時11分59秒

二〇一〇年七月三一日

テーマ:日記
今日は七月三十一日。一九四四年のこの日、偵察飛行に向かったサンテグジュペリがそのまま行方不明になった日である。彼の作品でも読もうかと思いながら、図書館に行ったのだが、棚を見ている間にそんなことを忘れてしまって、自分が借りてきた本は、黄文雄の著書「大日本帝国の真実」である。かなり読み応えのある本である。すばらしいと絶賛したい。

この季節になると、書店では文庫本のフェアーと、戦争関連の書籍が店頭の一角を占める。戦争関連の書籍は次の三種類に分類できる。
一 戦争において使用された兵器や戦闘の事実だけを描いた、いわゆる戦記物
二 大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)の戦争責任は日本にあることを主張し続けている、いわゆるイデオロギー本
三 資料に拠って歴史的事実を探り、解釈を加える歴史書
一はともかくとして、三は向学のため読むことはよいことだと思う。だが、問題は二である。実は二に当てはまる書籍が案外多く出版されており、またその著者には、●●大学教授などという肩書きを持った人だったり、比較的著名な作家であったりするから、質が悪い。歴史に関する学術的な考証さえせず、ただイデオロギーだけを伝播する目的で書くのであるから。だめな本をここに列記してもいいのだが、数え上げると切りがなさそうである。少なくとも先の大戦を「太平洋戦争」と表記している書籍の場合には、もう警戒した方がいいだろう。「太平洋戦争」とは戦後GHQが命名したものである。あの戦争は「大東亜戦争」であると、わが国は名付けているのだから。「大東亜戦争」と「太平洋戦争」とでは、戦争の意義がまるっきり異なる。サンフランシスコ講和条約によって独立を回復したはずのわが国において、未だに「太平洋戦争」と表記する人の数が多いのだが、どうなっているのか? GHQによる検閲が行われた時代は終わったのである。

ところでサンテグジュペリはどうなったかというと、三年前にもこんなものを書いていました。
母への手紙・若き日の手紙 サンテグジュペリ
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10041734988.html

五年前には、
母への手紙 A. サン・テグジュペリ
http://ameblo.jp/syo-hyo/entry-10003065951.html
彼が母に残した手紙の文章を引用しています。
2010年07月31日 07時24分30秒

薔薇 グスタアフ・ヰイド

テーマ:その他の文学
自分のささやかな楽しみは、仕事の帰りに書店に立ち寄り、書籍や雑誌をぶらぶらと立ち読みすることである。かつて大型書店で仕入れをしていたこともあり、また、出版社で編集や営業をしていたこともある自分にとって書店とは、くつろげる場所であり、なにより自分がいるべき「場所」という気がするのである。

店内をうろつきながら、何か買うわけでもないのである。目当ての商品があるわけでもない。財布の中に千円札の一枚でもあれば、さて何を買おうかと考えて、店内を物色するだけで、自分には楽しい時間を過ごすことができる場所である。さながら、一個の梅干しを見ながら、出てきた唾をおかずにして飯を食うという吝嗇な商人のようである。そして、金曜日の午後九時前の書店を後にした自分は、手ぶらでお店を後にして帰宅するのである。昨日に引き続き、鴎外の訳した「諸国物語」の話をする。

■「薔薇」
「諸国物語」の二番目は、前作と同じく、スカンヂナヰア(デンマーク)の作家であるグスタアフ・ヰイドの作品「薔薇」である。

裕福な家庭に生まれ、自由奔放で我が儘な「お嬢さん」と、その娘を溺愛する父親との関係を描いた物語である。なるほど、人物の造詣にすぐれた作品であり、特に、娘と父親との関係に物語の焦点を固定せずに、その仲介としてお手伝いの「ボヂル婆あさん」を創造したところに、作者の手腕が光る。

だが、この小説の結末は、二〇一〇年に生きる自分には、やや受け入れがたいものである。当時珍しかったであろう自動車の中に、「お嬢さん」は、自分の好きな薔薇の花をちりばめて、「技手(たぶん運転手のことだろう)」と「ヰクトル」とをともなって町に向かう。だが、「ヰクトル」が、「技手」がいない自動車を運転し、「お嬢さま」とともに屋敷に戻って来て、そのまま事故を起こして二人とも亡くなるという奇想天外な結末。自動車が珍しかった時代でしかありえないような物語であるといってしまえばそれまでだが、物語を劇的に終わらせたいという作者の作為が鼻につく。自我をむき出しにした「お嬢さん」と、我が儘な娘に手を焼きつつも、シャンパンを用意して、娘の帰りを待ちわびる父親、そして、その父親をたしなめながら、「お嬢さま」を可愛がる、お手伝いの「ボヂル婆あさん」の人物造詣に成功しているのだから、無理に事故を設定する必要もないだろう。むしろ、無事に帰宅した「お嬢さま」と父親、そして「ボヂル婆あさん」との掛け合いに、読者は物語の結末を期待したはずである。

二〇世紀初頭のデンマーク文学にどのような思想が流れていたのを知る術もないが、「心境小説」なる言葉を生み出したわが国の文学に親しんでいる自分には「尼」や「薔薇」を創作したグスタアフ・ヰイドの作風にいささかの「バタ臭さ」を感じてしまうのである。
2010年07月30日 21時35分50秒

尼 グスタアフ・ヰイド

テーマ:その他の文学
日々の雑感でも書こうと思いながら、キーボードを前にして、さて何を書こうかと思ったところで、毎日が判で押したような生活を送っている自分に雑感も何もあったものではなかったから、文字になるようなイメージがちっとも浮かばない。仕方ないから、また本のことでも書きます。

つい先日まで、鴎外の「伊沢蘭軒」を読んでいた。自分が所有する鴎外選集には脚注がなく、ルビも少ないため、かなりの教養がなければ読み進めることができない。漢詩が白文で綴られているため、ほとんど読むこともできず、読み飛ばしてしまう。そんなことが頻繁に生じると、さすがに読む気力が失せてしまい、先日、とうとう、挫折してしまった。ここで挫折するのも癪なので、鴎外の「諸国物語」を朝夕の通勤途中に電車の中で読むことにした。

「諸国物語」は、鴎外による翻訳小説集である。「これは明治四十三年から大正二年にかけての訳業中『現代小品』『十人十話』に採られなかった作品の殆ど全部」である三十三篇を集めて、大正四年の正月に刊行されたものである。

小堀桂一郎は、鴎外選集第十四巻の解説において、「この書物こそが散文の面での鴎外の訳業の頂点に位するものであり、或る角度から見ての近代日本文学に於ける散文の文章の最高峰をなすものでもある」と大絶賛している。

自分はこの三日ほどで最初の五つほどの短編小説を読んだだけであるが、時代にとらわれない物語の妙を感じる作品がある一方、前世紀の残照を感じさせる作品もあり、なかなか興味深い。


■「尼」
スカンヂナヰア(デンマーク)の作家である、グスタアフ・ヰイドの「尼」は、若く美しい尼僧にキスをしたいと妄想している男の物語である。男は自分の妄想を実際の行動に移すが、その結果は、男の思わぬものであった。

自殺を欲望であると考えている主人公は、自殺未遂を二度経験している。「わたしは鴉片(アヘン)を二度飲みました」。なぜ自殺するのかという理由が、「どうもああした欲望の起こった時は、実際それを満足させる外には策はありません。しかもなる丈早く満足させるですね。どうせそれまでは気の落ち着くことはないのですから」と説明されている。つまりこの男は異常なのである。常軌を逸しているのである。この異常性が、後の突飛な行動への伏線となっている。

二十世紀初頭に創作された本作では、退廃的で退嬰的、死と性欲への衝動がむき出しとなって描かれている。鴎外によって紹介された大正三年当時のわが国では、類を見ない小説であったと思われる。
2010年07月29日 00時02分46秒

世界の十大小説 Ⅲジェイン・オースティンと『高慢と偏見』

テーマ:イギリス文学
■ジェイン・オースティンの生涯
オースティン家は古い家柄であり、比較的身分の高い名家である。だが、ジェインが生まれた一家は彼等の親戚が有していたような資産をゆずり受けなかったため、社会的には成り下がっていた。

ジェインの父であるジョージは外科医の息子であったが、若くして父が亡くなったため叔父であるフランシスがジョージをタンブリッジ中等学校に入学させる。ジョージはオックスフォード大学のセント・ジョンズ・コレッジに進み、コレッジの研究生となった後に、ハンプシャアの村スティーヴントンの牧師に任じられた。彼が結婚したカサンドラ・リーは、ハープスデン教区の牧師であったトマス・リーの娘であった。彼らは、六人の男の子と、カサンドラとジェインの二人の女の子を授かる。

ジェインは一七七五年に生まれた。彼女が二六歳の時、父親は職を辞し、その地位を長男のジェイムズにゆずった。父は一八〇五年に亡くなり、母親と二人の娘はサウサンプトンに移り住むこととなった。ジェインは姿形がひじょうに美しく、魅力的な人物であったと伝えられている。姉のカサンドラを生涯にわたって慕った。二人は一緒に暮らしたばかりでなく、ジェインは死ぬまで彼女と寝室をともにし、二三日おきに互いに手紙を書き合う仲であった。一八一三年から一五年までに「高慢と偏見」、「マンスフィールド・パーク」、そして「エマ」を相次いで出版する。一八一六年には、「説きふせられて」を執筆する。だが、田舎では治療できない病を患ったジェインは、ウィンチェスターで暮らすこととなったが一八一七年に他界し、遺骸は同市の大聖堂に葬られた。姉カサンドラは一八四五年に死去。

モームが指摘するように、ジェインは小説の中に異常な事件を描くことを苦手とした作家であった。日常生活にある普通の感覚に基づいた言動を描くだけで、ここまで美しく物語を創作することができた彼女の手腕こそ、モームが彼女の作品の一つを世界の十大小説とする理由である。

岩波文庫からは、「ジェイン・オースティンの手紙」が発売されており、手紙を通じて作品創作の舞台裏が見えてくるかと思いきや、ジェインの手紙は、ゴシップや日常生活の些末な話題が手紙の中心をなしているが、機知に富んだ、そして、皮肉を交える、鋭敏な感覚を持った観察者としての彼女の一面を伺うことができる書簡である。

さしたる事件も、奇怪な物語もなく、現実身のあるハッピーエンドの作品を書いても、物語にしっかりとした奥行きを持たせることができる、希有な作家が、ジェイン・オースティンである。
2010年07月28日 20時32分48秒

あとがき~宮沢賢治との四ヶ月間~

テーマ:番外編
■あとがき~宮沢賢治との四ヶ月間~
・とりあえず終わった。
ブログに「あとがき」というのもなんだが、やっと終わった。三月三十日から、賢治の一作品ずつに対して感想を書くという作業を始めた。賢治の童話作品のすべてが収められている、ちくま文庫の順番に沿って書くことにした。今日でその作業も終わりである。約百ほどの雑感を書くことに約四ヶ月もかかってしまったが、異稿と生前発表初期断章、初期短篇綴等を除く、彼の散文作品のほぼすべてに関して、何らかの拙文をものしたわけである。やれやれという気持ちである。


・なぜ宮沢賢治について書いたのか
宮沢賢治という作家は、長い間自分の中において謎の多い人物であった。彼の語るイーハトーボのように捉えどころのない存在である。

幼い頃から読書をしていなかった自分は、大学生になってから突然純文学から読書を開始したため、童話であるとか、子供向けの物語をほとんど読んでいない。宮沢賢治の諸作も例外ではなく、学校の教科書で読んだ作品以外に接したことはない。だが、彼の「雨ニモマケズ」と題する詩(これを詩作品とするには異論があると思うが)は、学生の頃からどこか気になる作品であった(ここに描かれた人物に興味を持たない人などいるだろうか?)。余談だが、このブログを始めた二〇〇五年から、プロフィール画像には宮沢賢治を使っている。当時、山折哲雄の「デクノボーになりたい 私の宮沢賢治」を読み、表紙にあったこの写真を気に入り、使用した。気がつくともう五年も使っているわけである。

賢治の散文を読み解くことにより(当初雑感を書くという考えはなかった)、「雨ニモマケズ」に描かれた彼の思想を知りたいというのが、今回、賢治をまとめて読んだ理由である。だが、結論から言うと、彼の描いた散文世界は広大であり、そこここに「雨ニモマケズ」に表された彼の思想のパラフレーズを見つけることはできたが、その源泉を見つけるに至らなかった。


・これら記事の今後とこれからの賢治論。
このブログに書いた記事は、別のブログにまとめている最中である。作業は進んでいないが……。
宮沢賢治論
http://ameblo.jp/miyazawakenji/

作品の一つひとつに番号を付し、カテゴリーはタイトルごとに五十音順にして検索しやすいものにしている。また、賢治の年譜を今後このブログに掲載する予定である。


・その実、舞台裏は……。
賢治の作品を読み出したのは、今年の一月になってからのことである。まさか、彼の全童話に関して感想を書くなどということなどまったく考えずにただ読んでいた。全作品を読み終えたのは、五月末頃であったと記憶する。だが、いざ感想を書くに当たって数回、読み返さなければならない作品の方が多かった。
作品を読み進めていくと、彼の作品の中に腑に落ちない点が見えてくる。学生時代からの悪い癖で、そんなときに自分は作品論をまとめた書籍を図書館で借りたり、書店で買ってしまうのである。そうして、偶然買った一冊が「宮沢賢治の全童話を読む(學燈社 二〇〇三年五月)」であった。異稿や初期の短篇に関するまで、賢治の全作品を網羅して解説している本書は、これから賢治を研究しようと思っている方には必携書であるといえる。本書がなければ全作品に関して感想らしきものを書くことはかなり困難であったと思われる。

思い起こせば、学生時代から學燈社の「必携シリーズ」にはお世話になりっぱなしであった。作家論や作品論の研究の視点、最近の興味深い論文のタイトルがコンパとにまとめられており、また、スタンダードとなった論文がそのまま掲載されており、著名な作家を研究する際には欠かせない一冊である。

次に便利であったのが、ちくま文庫版宮沢賢治全集である。異稿は今回取り上げなかったが、ほぼすべての異稿が所収されているだけでなく、童話を収めた第五巻から第八巻までには、天沢退二郎の解説と、現存する草稿に関する研究成果が所収されており、これだけでも本全集を購入する価値があると言っても過言ではない。

ちくま文庫からは、夏目漱石全集をはじめとする個人全集が文庫版として刊行されている。これらは、自分が大学生であった一九八〇年代ぐらいから随時発売されはじめた。漱石、鴎外、太宰、泉鏡花のほぼ全作品を文庫本で読めるという大変良心的な出版物である。だが、残念ながら現在では、その多くが絶版となっているものも多く、入手が困難である作家の全集も少なくない。自分が賢治の全集を購入したのは、今から一五年ほど前であったと記憶する。三鷹市下連雀にあった「げんせん館」という古書店にて、「春と修羅」をはじめとする詩が収められている、一巻から四巻までを千円ほどで購入したと思う。五年ほどかけて、拾い拾いしながら読んだ。五巻から十巻を買ったのは、このブログを始めた二〇〇五年頃でなかっただろうか。実は購入したままほとんど読まずに今年の一月まで棚にしまったままにしてあったのだ。放置したままになっていた賢治全集を見つけ、また、ちょうどその頃、このブログを再開したことが重なり、一月一日から順番に読み始めたわけである。

感想を書くに当たって、なるべく私の主観だけで書くことを心がけたが、ちっとも解釈が思い浮かばない場合や、自分の解釈に自信がない場合には、研究者の解釈をなるべく多く取り上げたが、そのほとんどが「宮沢賢治の全童話を読む(學燈社 二〇〇三年五月)」からと偶然図書館で借りた書籍からの引用である。文学研究者のような時間を過ごすことができるなら、一つひとつ丹念に論文の原典をあたりたいのだが、さすがにしがないサラリーマンでは、そのような時間はない。また、本文の引用は、「青空文庫」に拠った(「青空文庫」にないものに関してはちくま文庫の本文を自分で入力した)。そのため、ちくま文庫と一部表記が異なることがあるかもしれないことをお詫びしておく。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >> ▼ /