期待 | しょうぐんの放浪日記

期待

周りには、人間関係のしがらみで悩んでいる人が多いが、

一つこういった自分の考察を日記に書こうと思う。


それは「良い意味で期待はしない」ということ。

人間社会で、「期待」という文字が使われない分野はほとんどないだろう。


一つ捉えてみると。

「相手に期待する」という行為は、しがらみをひとつ作ってしまっていると

解釈できないだろうか?


※能動側→期待する人  受身側→期待される人

まずは、マイナスな要素から。

1,予測していたリアル(期待)から、かけ離れていた時
能動側:不満・不快・予定の強制変更  受身側:能動からの負の連鎖

2,枷になってしまう。
能動側:信頼下降  受身側:能力下降


そして、プラスの要素。

1,やる気向上。
能動側:利得増加  受信側:効率アップ


突き詰めていけば、正負両者の項目は増加するだろうが、
それは各自考察して欲しい。あくまで自分の見解によるものである。



項目が少なく極端な話の様だが、この2点を見てどう判断できるだろうか?

能動側の勝手な損得勘定から、正負の連鎖は起きていることが推測出来る。



期待するからには何らかの意図(願望)があるはずからして。

これでは、勝手に期待(依存)してそれがダメだったから、

勝手に憤慨し、相手に負の要素を、

まき散らしていることにならないだろうか?



何をやっていくにしても、人生を共にするにしても。

「それ[だけ]に依存する」というこれ程、恐ろしいことはないんじゃないだろうか?



何が言いたいかというと、この能動(選択する側)は期待・願望という想像の間接的要素を

かえすことで、気づかないことが多くあるようだが。

「責任が必ずしも、受身側だけにあるわけじゃないということ」

それだけに依存してしまって、不正解の対策を練っていない責任は、

選択者側にあるのだ。

それも気づかず、互いに言い分はあるだろうに

「蓋を開けてみたら、理想と違っていた。なんてやつだ」と、

受身側を一方的に批判してしまう。




だからこそ、期待(願望)はするが、期待(依存)はしない方が良い。

これらの問題から「良い意味で期待はしない」という考察が生まれた。



「こんなはずじゃなかった、全部あいつのせいだ」となっていないか、

確認してはどうだろうか?



まぁ自分的にはかっこいい記述の仕方で来ましたが、まぁ要するに(言い方)です(笑)



嘆いているだけで、そこに留まってしまい。その先を見いだせずにいるのなら。

まずは根源を見定め、受け入れることで、改善を図ることは出来るはずです。