さて「聖地高野山」の拝観を終えた後もう一軒のお寺に立ち寄りました。
このお寺を知ったきっかけは、ブログ友達のりおんさん から情報を頂きました。
りおんさんのブログ見ていなかったら素通りしていた所です。
高野山で少しゆっくりし過ぎました、拝観終了時間ギリギリの4:50着。
危ない所でした。 (;´▽`A``
「慈尊院」
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、
弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が高野山開創に際し、
高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、
一切の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。
慈尊院名は、本尊弥勒菩薩(国宝)の別名「慈尊」に由来します。
承和元年(834年)、「我が子が開いているお山を一目見たい」と、
讃岐国善通寺から高野山を訪れた弘法大師の母公は、女人禁制のため入山を許されず、この慈尊院で暮らしておられました。
弘法大師は月に九度(9回)、高野山からお母様に会いに来られました。
そうしたことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。
-九度山町役場 産業振興課-
大師堂
「多宝塔」
県の指定文化財、平成24年7月吉日に完成いたしました。
本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。
5月21日まで高野山開創1,200年を記念して、弥勒堂の御開帳。
定期御開帳は21年に一度、前回は平成5年。平成17年3月3日~9日の7日間、高野山世界遺産登録記念ということで、特別開帳されました。以後、10年ぶりの御開帳です。
「弥勒堂」
国の重要文化財に指定されています。
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。
お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。今も弘法大師のお母様の御利益をいただきたいと、多くの女性が訪れます。
国宝、「弥勒菩薩座像」
写真は撮れないので、Webから引用、少し小ぶりの見事な仏像です。
女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。おっぱいの形をした絵馬を奉納する事でも有名。
通称、「おっぱい寺」呼ばれているそうです。
次回御開帳は21年後、2038年
生きてたらもう一度お参りに来ようと思います。
慈尊院の拝観料に、「みろく館」の拝観料も含まれている為、
拝観時間を過ぎていたのですが」、ご厚意で時間延長して頂きました。
ありがとう御座います。
慈尊院に纏わる秘仏、高野山開創1200年記念大法会に合わせて、4月8日(水)
橋本新聞ニュース http://hashimoto-news.com/news/2015/03/11/27026/
産経ニュース http://www.sankei.com/west/news/150408/wst1504080061-n1.html
高野山の麓、和歌山県九度山町の世界遺産慈尊院で4月8日、
高野山開創1200年記念大法会の関連行事として御所車の「お練り」が行われた。
公募に応じた子供約40人が「ちびっこ遍路」として御所車(長さ7m、幅2.2m、高さ3.5m)を引きながら、高野山の僧侶ら約150人と共に参道約700mを練り歩いた。
御所車には、慈尊院が登場する小説「紀ノ川」の作者・故有吉佐和子さんの長女の作家・大阪芸術大教授、有吉玉青さん(51)が乗った。
みろく館のスタッフの皆さんと記念撮影。
真ん中の方は、弘法大師のお母様と一緒に四国から出て来られた
4家族の中の末裔の方だそうです。
岸和田市に1泊してお参りした「高野山開創1200年大法会」、
有意義な2日間でした。全ての、見た物、人との出会いに感謝 m(_ _ )m