自灯明寺

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釈 正輪 オフィシャルブログ


【悲田院】

 NHK大河ドラマ「光る君へ」(第16回 華の影)を観ました。

 今回のドラマで印象的だったのが、最古の福祉施設「悲田院(ひでんいん)」です。

 この時代、「西暦5年(994年)」京の都には、天然痘や麻疹(はしか)などの疾病が頻繁に流行り、多くの犠牲者が街にあふれたと『栄華物語』の最初の記事には、このように書かれています。

 「いかなるにか今年世の中騒がしう、春よりわづらふ人々多く、道大路にもゆゆしき物ども多かり(どうしたことか、この年は世の中が騒然として、春から病に倒れる人が多く、都の大路にも忌まわしいもの、つまり遺体があふれている)」

※栄華物語(別名栄花物語ともいわれ、全40巻からなり、正編は時の権力者・藤原道長が物語の主軸になっています)


 もがさ(痘瘡)と呼ばれた天然痘は、昭和52年(1977年)に地球上から根絶されたと、今では考えられています。

 天然痘の歴史を調べてみますと、古くは古代エジプトやギリシア、ローマ帝国に始まって、世界各地で大流行を繰り返し、日本では半島や大陸との交流が活発になった、奈良時代になってから、流行するようになったといわれています。
正暦4年(993年)に九州で流行しはじめ、同5年4月ごろから京都でも猖獗(しょうけつ)を極め、当時は、感染症についての知識など皆無ですから、対策といっても加持祈祷くらいしかありませんでした。

 疫病は猛威を振るうに任され、この時は、都のあらゆる路頭に死体が転がり、そのうえ堀水も死体でふさがり、犬やカラスは死体の食べすぎで飽食状態になり、人口の半数が死亡したとも、『日本略紀』や『続日本記』には記されています。

 さて、今回のドラマ内で「悲田院」が出てきましたが、悲田院とは、大寺院の塔頭の一つで、病者や貧窮者、また孤児等を収容・救済した施設をいいます。

 悲田院の歴史については、仏教に帰依していた聖徳太子が、仏教の福田(ふくでん・布施)思想に基づき、四天王寺に「四箇院(しかいん)」を設置したのが始まりだと云われています。

 「四箇院」は仏法修行の道場である「敬田院(きょうでんいん)」、病者に薬を施す「施薬院(せやくいん)」、病者を収容し、病気を癒す「療病院(りょうびょういん)」、身寄りのないものや年老いたものを収容する「悲田院(ひでんいん)」の四つで構成されていました。

 後にその精神は興福寺にもみられ、天平2年(730年)光明(こうみょう)皇后が、皇后宮職に施薬院を設け、同じ頃悲田院も置かれたと云われています。そしてこれを継承して平安時代には、施薬院別院として、東西に二つの悲田院を設置し、貧窮者を救済すると共に、死体埋葬なども行い、運営には藤原氏の封戸(ふこ・スポンサー)があてられていました。

 わたしくしが、太子の他に尊敬する人物に、「光明皇后」があげられます。
それは光明皇后の実践した施療は、「あまねく人々を救えば、未来永劫、疫病の苦しみから逃れられる」という仏典をよりどころとして、万民を救済したからに他なりません。

 光明皇后は、聖武天皇の皇后で孝謙天皇の生母にあたります。
両親は、藤原不比等と県犬養橘三千代(あがたのいぬかいのみちよ)、夫である聖武天皇の母、藤原宮子とは異母姉の関係です。

 光明皇后でよく知られる話は、浴室での施療(蓬蒸し風呂?)をしたという実話です。
奈良市の平城京跡に隣接して、光明皇后が病人の治療のために建てたとされる法華寺があり、この中に浴室が残されています。これは古くから「からふろ」と呼ばれており、現代のサウナ風呂のような蒸し風呂だったようです。

光明皇后は「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという誓願を立てました。ところが、千人目の人は全身の皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めたため、皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという逸話が残されています。

 勿論この話は光明皇后を称賛した逸話でしょう。しかし、わたくしが関心を持ったのは、光明皇后は時の日本国のトップであり、然も女性だったということなのです。

 ドラマ「光る君へ」の主人公まひろ(後の紫式部)も、苦しむ病人たちを見捨てることができず、看病するうちに自身も倒れてしまうのです。

 女性はいつの時代も、慈しみをもった母性母情が備わっています。名誉栄達だけに生きる男社会では駄目なのです。

 慈愛深き日本人の女性たちが、この国を変えてくれることを切に願って止みません。

           合掌

            釈 正輪 拜




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【散り逝く桜】

 今年は少し遅く咲いた桜ですが、週末の都内の桜は散り始め、葉桜になりました。
桜前線の北上にともない、東北地方ではこれからが満開となります。
桜の花びらを見ると、つくづく日本に生まれてよかったと思います。

良寛(りょうかん)禅師は、辞世の句にこのような詩を詠んでいます。

  散る桜 残る桜も 散る桜

            良寛

 越後(新潟県)に生まれた良寛は、良寛和尚(おしょう)さんと呼ばれて、地元の人々から慕われていました。とりわけ子どもたちは、良寛が大好きだったようです。良寛もまた、子どもたちを愛しました。それは良寛は、「子供の純真な心にこそ誠の仏の心が宿る」と考えていたからでした。

 ですからいつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて、無邪気に子どもたちと遊んでいたといわれています。

 このような逸話が残っています。
ある日の夕暮れ時です。良寛は子どもたちと隠れん坊をして遊んでいました。いつもは鬼役をかって出るのですが、その日は自分も隠れることになり、田んぼの納屋に実にうまく隠れました。日が暮れてすっかり暗くなりましたが、鬼だけでなく、子供たちみんなは、良寛だけを探すことができません。諦めた子どもたちは家に帰ってしまいました。翌朝早くに農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて大きな声を出してしまいました。そうしたら良寛は、「静かに!そんな大声を出せば、子供たちに見つかってしまうではないか」と言ったというのです。

 いかがです。良寛にはこのような類いの話がたくさん伝えられています。子供向けの童話などにも紹介されることによって、良寛和尚に対する親しみ深い印象は、現在にもこの地方にしっかり伝わっています。 

 良寛は人生の儚さをよく知っていました。
先の詩は、私たちの命を散り逝く桜に例えているのです。命が燃え尽きようと、永らえようと、それもまた散り逝く命に変わりはないと言い切っているのです。
桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負っています。人の命とて同じなのです。

 今週の日曜日、調布市にて龢法(茶道)の教授をしてまいりました。そのお宅のお茶室からは、見事な桜が見えるのですが、あいにくの葉桜となりかけていました。しかし私には、一枚一枚とゆっくり散る小さな桜の花びらに、なんともいえぬ哀愁を感じるのでした。

 亭主が用意してくださいました和菓子の名は、「葉桜」。如何にも叙情的な嗜好に感服いたしました。

 私は満開の桜より、その命を精一杯生き抜いた散り際の桜や、残りし桜に日本人の潔(いさぎよ)さなる「武士(もののふ)」の気概を惟います。
「咲いたからには散るのは覚悟」とは、実に厳粛な道理なのです。

 さて、良寛は「桜」を通して、人生の「諸行無常」を言い残しています。
どんなに愚かな自分でも、生かされている限り、命が尽きるまで、精一杯生きてやる。その覚悟を持ちなさい。と、自分にも人にも言わんとしているのです。

 良寛の師である国仙(こくせん)和尚は、良寛に印可(師家と呼ばれる禅宗に於る師が、弟子がその道に精通したと認めた場合に与える許可のこと)を与える際に「良寛」と「大愚」という二文字を入れて、「良や愚の如く、道うたた寛し」と、「大愚(だいぐ)良寛」と名付けました。
良寛和尚はその「大愚」の名をとても気にいっていたといわれます。「大きな愚か者」一般にはそのように解釈されるでしょうが、「執着すべきものは何も無い」と自覚して、妄想煩悩の無明の境地から脱した良寛和尚こそ、人生の達人だったのです。

                 合掌

 災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には、死ぬがよく候。

 うらを見せおもてを見せてちるもみぢ。

              良寛大愚

             釈 正輪 拜







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【誠心誠意の対応に、人生の道が開ける】

 以前にもお話させて頂きました幕末の剣豪、千葉周作について続けたいと思います。

 剣豪として、幕末にその名を轟かせていた千葉周作は、「少し剣術の心得のある三人に囲まれたら、絶対に勝てない」と言っています。

 一人の剣客が、一度に何十人も斬るというのは、映画やテレビ、講談上でのフィクションです。

 では、三人以上に囲まれたらどうしたらよいか。千葉周作の必勝法があるのです。
それは逃げること!
「逃げるしかない」と千葉周作は言っています。
逃げて逃げて逃げまくるのだと言うのです。
そして、相手との距離が取れたら振り返って、先頭の一人を切る。そこでさらに逃げ、また振り向いて一人を切る。それを繰り返しているうちに、後のものは逃げ出してしまう、というのです。
「なるほど」とわたくしも思いました。 

しかしこの「逃げる」は剣豪千葉周作だけに限ったことではないようです。
二天一流の開祖、剣豪宮本武蔵もやはり逃げて逃げて逃げまくったといわれています。
逃げるが勝ち、という言葉もあるほどですから。

苦難や災難は逃げても、向こうから幾度となく襲ってきます。そんな時は、しっかり現実を受け止めるしかないのです。その中で最良の方法を見出し、こつこつと対応することが、難を逃れる最短の道でもあります。

 人生とてまさに同じです。
人生には時として、一度に災難が降り注ぐことが往々にしてあります。
地震、台風、噴火、洪水などの自然災害に、築いてきた一切を失い、途方に暮れてしまうことがあります。

 病気や交通事故、愛する人との死別や離別、不安や子どもの心配、人間関係の拗れなど、生きる光を失い、涙の海に沈むこともあります。

 なぜ病気がちなのか、どうして災難が続くのか、なぜ出世できないのか、自分だけが不幸の主人公のように思えて、全てを投げ出して、どこかへ逃げ出したくなるものです。


 このような話があります。
喉が渇いて水を探していた愚かな男が、清流の豊かな川を発見しながら、一向に飲もうとしない。
「なぜ飲まぬのか」と尋ねると

「飲みたいのはやまやまだが、水量が多すぎて、とても飲み干す事はできないので困っているのだ」
などと言ったので、みんな大笑いしたといいます。

川の水を飲み干すことができずとも、喉の渇きは癒せるように、一切は自分の蒔いたもの、蒔かぬ種は生えぬと反省し、一つ一つ誠心誠意できることから着実に対応してゆけば、思わぬ道が開けてくるものなのです。

           合掌

             釈 正輪 拜   










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【災害に於ける心のケア】

 能登半島地震の被災者の方からの相談です。
これは珠洲市で激しい揺れを経験された檀家さんの話です。

 自宅は幸い無事でしたが、今までに経験したことのないような揺れで、十一歳の娘はそれ以来一人で留守番が出来なくなり、親と離れるのを怖がるようになりました。また、五歳の息子も、スーパーなどの大きな建物の中に入ることを怖がり、「早く出たい!」と言います。
子どもたちには、どのようにケアをしてあげたらいいのでしょうか教えてください。

          (五十代女性)

 新年早々能登半島を中心に、日本海側最大級といわれる大きな揺れと津波に襲われました。
被害に遭われた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

 子どもの心のケアは、これからが大切です。必要なインフラの復旧、食糧や生活必需品の調達とともに、必要となってくるのが、心のケアです。大人でさえ大変な恐怖感に襲われたのですから、子どもたちの不安や恐怖は計り知れません。そのうえ子どもたちは、なかなか自分の辛さを言葉にして表現することが出来ません。

その結果、何ヶ月、さらには何年もしてから、その時のトラウマ(精神的な外傷)が表面化してくるということがあります。
事実、東日本で被災された方々も、未だ言うに言われない不安に襲われています。

 地震からすでに二ヶ月あまり経とうとしていますが、心のケアは寧ろこれからが本番と言えるのです。

 このような大きな災害に見舞われた時の子どもの心のケアについて、わたくしはこのようにお話をしました。

 先ず、少しでも安心感を与える、子どもに分かる言葉できちんと状況を説明する。
このような災害時の心のケアのために、何より大切なのは、「安心・安全」という感覚です。
子どもが不安がったり、怯えたりした時には、抱きしめたり、側にいたりするようにして、少しでも安心感を与えてほしいと思います。

 一人で留守番ができなくなることも、このような災害に遭えば当然有り得ることです。
子どもには分かる言葉で、現在の状況を説明してあげてください。
大人はニュースなどで、それなりに現在の状況を把握していますが、特に小さい子どもは、何も知らされていませんから、子どもに分かる言葉で、

「大きな地震で家が壊れちゃうかもしれないから、避難場所に行くからね」とか、「ここは海からだいぶ離れているから、津波は来ないから大丈夫だよ」など、状況を説明してあげてください。それによって、過剰な心配をしなくてすみます。

 このような災害に遭った時に、子どもが出してくる特徴的な行動があります。

 特に小学生の低学年までに、そのような傾向が見受けられます。
一つは、甘えが酷くなります。親からくっついて離れない、親がトイレに行くにも後をついてきます。
保育園でも先生の側を離れない。抱っこを求めたり、赤ちゃん返りをすることもあります。或いは、急に喋れなくなる。おむつが外れたのに、おねしょをするようになるなどは、子どもの不安の表れなので、しっかり受け止めて、安心感を与えることが必要です。

「甘えるんじゃないの!」とか、「自分で出来るでしょ!」などと、突き放すような言葉を言うと、かえって甘えが酷くなったり、長引いたりすることがあります。寧ろ、そのような甘えをしっかり受け入れて、安心感を与えると、早く回復していくことが多いのです。

 またもう一つの傾向は、逆に、災害の後に、我儘になったり、怒りっぽくなったり、癇癪を起こしたりするようにもなります。

 このような行動は、災害のストレス反応とは考え難いため、親もただでさえ精一杯なので、子どもの我儘に、ついつい腹を立てて叱ってしまいます。子どもは不安な時には、我儘や癇癪という形で、サインを出してくることもあると知っておくとよいでしょう。

 他に気をつけることは、災害のテレビや動画を頻繁に見せないことです。
わたくしは以前、東日本の避難所で、幼児が地震ごっこや津波ごっこをしている様子をよく見かけました。親は止めなさいと注意をするのですが、それは子どもたちが、自分の辛い体験を、遊びの中で浄化して、不安を和らげようとする行動でもありますから、あまり禁止しないほうがよいのでは、と話をしたことがありました。

 子どもたちが登校をしぶったり、不登校になったり、腹痛、頭痛を頻発に訴えるようにもなります。

 いままで子どもについて話をしてきましたが、実は被災者、被災地の大人も、多大なストレスを抱えています。

 この原稿を書いているわたくしは、丁度、福島県南相馬市に慰問で来ているところです。
被災者の方々は、二ヶ月、三ヶ月と時間の経過とともに、複雑な精神状態に落ち入ります。
その頃には、心の疲れが顕在しやすく、災害が起こって間も無くは、同じ被害を経験した者同士の連帯感が生まれ、それが強くなります。一種の高揚した「ハネムーン期(ハイテンションの状態))になるようです。
能登半島で被災された方々は、その時期に差し掛かっていると思います。

 ところが、そのような時期が過ぎて、インフラも復旧し、元の生活が始まろうとした時に、今まで蓄積した心の疲れが出てきます。
絶望感にとらわれたり、国や行政、近隣住民に対して怒りが湧いてきたりします。いわゆる「幻滅期」の状態に落ち入ります。

 最近聞いた言葉ですが、「はさみ状格差」といわれる、地域によって、インフラの整備の復興格差が、広げたはさみのように時間とともに拡大を生じる現象が起こるのです。その結果、今度は、人と人との怒りのぶつかり合いが起こってしまいます。
メンタルヘルスにも多大な影響が及ぶこともあります。

 この相談をされた方のように、わたしたちは、子どもの被災やトラウマを心配しますし、それは大切なことなのですが、実はこの相談をされた親御さんも、また被災者なのです。
子どもと同時に、大人の心のケアも、忘れてはならない大切なことなのです。

 大人が倒れてしまっては、子どものケアが出来ません。ですから大人のケアも大事だとわたしは考えます。
そのためには、人に話を聞いてもらう、人に助けを求める。ときには負担を肩代わりしてもらう、そしてしっかり休みを取る。自分自身を癒す時間を持つことが、子どものためにも必要なことなのです。

              合掌

 被災した地域が一刻も早く復旧され、被災された人々が一日もはやく安寧に暮らせ、親子ともに心穏やかに過ごせる日々が来ますよう、心より念じております。

       釈 正輪 九拜





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【「煩悩具足の凡夫」それを識ることこそ菩提 】

 親鸞ほど現実を直視した僧侶も他にはおりません。
親鸞は、自らのことを「愚禿釈親鸞(ぐとくしゃくしんらん)と名のり、その名のりのもとに生涯を送りました。「愚禿」とは、頭を剃った愚かな自分という意味です。わたくしは、そのような、自分に正直な愚禿釈親鸞が好きなのです。

 今回は、この世の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、虚言(そらごと)、戯言(たわごと)であり、まことのことは一つもない。と言い切っている、親鸞の深い現実直視から得た、「生きる人間の真実の姿とは何か」を、ご一緒に考えてみましょう。

 わたしたちは日頃、いろいろな出来事に悩み戸惑いながら生きています。そんな中で、他の人に対して怒りや憎しみ、妬みなどの思いを感じることもしばしばです。而も、その思いは一瞬たりとも止むことがありません。難しいのは、自分の意志や努力によって、このような悪き感情を消し去ることが不可能なことです。

 しかし、そんな問題を抱えながら、生きることを余儀なくさせられるのが、わたしたち凡夫にほかなりません。ところがわたしたちは、自分が抱える問題を、自らの力で解決できると安易に考えたり、逆にそれを直視せずに当然のこととして済ませていこうとします。
実はここに本当の「愚かさ」があるのです。

 親鸞は二十九歳の時に、浄土宗の開祖法然と出遇います。先にお山(比叡山)を下野した法然が明らかにしたのは

「凡夫であるという事実に目覚め、ただ念仏するとき、全ての者が救われていく」

という教えでした。 
お山を下りた法然のもとには、立場の違いを超えて様々な人間が集い、釈迦の説く「阿弥陀如来の世界観」である、すべての者が平等に救われる世界の実現を目指していました。
親鸞はこの出遇いを契機として、それ以降、凡夫である自らに向き合いながら生きていきます。

 わたしたちは日々、様々な問題を抱えていながらも、それらを無視したり、外見では誤魔化して、自分ではない自分を演じて生きています。

 親鸞が自らを「愚禿」と名乗ったのは、自らと真正面に向き合い、自らを偽らずに生きていこうとする、親鸞自身の決意の現れと同時に、その親鸞の生き方は、わたしたち一人一人に、「あなたは今どのように生きているのか」と問いかけ続けているのです。

 実は親鸞は、自身の愚かさを知ったのではありません。仏(阿弥陀)を疑い、仏(阿弥陀)から逃げている親鸞をも、阿弥陀如来は包んでいるではないか。親鸞はその真実を知ったのです。

 親鸞の告白が、現代(いま)に伝わり、響いているのは、凡夫の自分自身に出遇い、阿弥陀如来に救われた人の言葉だからなのです。 

 親鸞聖人は、自分(愚禿親鸞)のような、愚かなものが阿弥陀の救いの中にあるのだから、誰もが阿弥陀如来に救われると説いているのです。

 わたくし(釈正輪)は、本当に煩悩の塊、凡夫の他なりません。しかし親鸞聖人の苦しみが、阿弥陀に救われたことを知ることで、わたくしも救われてよいのだと思えるようになりました。

               合掌


悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)
誠(まこと)に知りぬ
悲しきかな、愚禿鸞
愛欲の広海に沈没し
名利の太山に迷惑して
定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず
真証の証に近づくことを快(たの)しまざることを恥ずべし、傷むべし、と。

(『顕浄土真実教行証文類』信巻より真宗聖典251頁)

まことに知りました。
悲しいことに、この愚禿親鸞は、
愛欲の広い海に沈み没し、
名利心の大きな山に迷い惑って、
阿弥陀仏の浄土に入ることが約束されていることを喜ばず、真実のさとりに近づくことを快いとも思わず、恥ずかしいことです、傷ましいことです。

              釈 正輪 拜


 

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