トークライブのレポもこれで最後
最後は、勝ち負け世界を抜ける方法
勝ち負け世界を抜ける方法、それは…
「お母さんを認めること。」
これだそうです。
きた…
きたよ、これ…
やっぱりお母さん
心屋さんも、最終的にはみんなお母さんとの関係に行き着くって言ってるんですよね。
でも私はなかなか直視できずにズルズル引っ張ってました。
が、ついに直視する時がやってきたようです。
お母さんを認めることがなぜ大事なのか。
それは、母が自分を生み出した存在だからです。
お母さんの否定をするということは、自分の生まれてきたルーツを否定するということ、
すなわち、自分の「命」を否定することになります。
お母さんを認めてない人は「おばけ」。
自分の体がまだ自分のものになっていない人です。
では、お母さんを否定したり責めたりして認められない人は、なぜ認められないのか。
それは、お母さんに「お母さん」という幻の肩書きを付けて見ているからです。
お母さんは「お母さん」ではなく一人の「女」。
私にとっての崇める「女神」ではなく、対等な一人の「女」。
それなのに、「お母さん」という肩書きをつけることで、過剰な期待をしたり、母はこうであるという決めつけをしてしまう。
そのせいで、こうであるべきなのにこうではなかった、という不満や責めの気持ちが沸いてしまい、母を否定します。
本来お母さんの役目は、お父さんから種をもらって私を産んだところで終了。
だから、産んだ後の「お母さん」という肩書きは幻で、「こうであるべき」という姿も世間が作り出した幻です。
母親はこうしなくてはいけない、こうでなくてはならない、なんていう決まりは1つもありません。
そして、お母さんをいつまでも責めている人は、自分の人生の責任をいつまでもお母さんにとってもらおうとしてる人。
私たちはもう大人です。
もう自分で自分を育めます。
お母さんの子育てが気に入らなかった。
じゃあ、一生それを引きずって生きていくの?
過去は変えられないけど、これからどう生きていくのかは、自分で選べます。
過去を言い訳に、お母さんのせいで今の私はこうだから不幸せだと言い続けるのか、
過去はこんなことがあったけど、これからはこう生きていくと決めるかは、自分で全て選べます。
それに、そうやって責める人は感謝がないんです。
お母さんに対してまでマウンティングしてるから、事実を直視できなくて感謝もできないんです。
負けたくないから、素直に感謝ができないんです。
お母さんは対等です。
勝つ必要も、負ける必要もありません。
お母さんは「女」。その事実に早く降参して、お母さんが対等な女であるということをまずは、認めてください。
短くまとめましたが、こんな話でした。
聞きながらもうね、全部がぐさぐさ刺さってきました。
全部、私のことでした。
あれだけ心屋さんや他の方のブログでも、お母さんを許そうとか認めようとか書いてあったのにできなかったのは、私が勝ち負け世界にいたからでした。
この問題を直視できなかったのも曖昧にして逃げていたのも全部、「お母さんに負けたくなかったから」。
原因はその一点でした。
私ね、お母さんの子育てのことずっと責めてたんですよね。
お母さんのせいで私はこんな人間になった、不幸。って思ってたんですよね。
なんで今の自分を不幸だと思うかというと、人と比べるからです。自分に自信がなくて人と比べるからです。
そしてその、比べていい悪いのジャッジをする基準はいつも「お母さんならどう思うか」なんです。
お母さんは喜ぶかな、なんです。
私はお母さんが大好きで幸せにしたかった、喜ばせたかった、でもできなかった。喜ばせられなかった。怒られてばっかりだった。
そんな自分に私は「やましさ」がありました。
お母さんを喜ばせられない私はダメだ、というやましさです。
やましさは劣等感を刺激するので、優越感を得ないとバランスがとれません。
だから私は、お母さんにマウンティングして優越感を得たんです。
(最低すぎて書いてて震えてきますが、最後まで書きます)
「お母さんの子育ては間違い」マウンティング、「こんな私はかわいそう」マウンティングです。
自分が不幸だということを、事もあろうにマウンティング材料にして、お母さんに勝って優越感を得てたんです。
(そもそも、私は不幸という材料はうんこなので幻です)
もともとはお母さんを幸せにしたかっただけなのに。ただ笑って欲しくて、喜んで欲しかっただけなのに。
私は自分の「やましさ」を誤魔化すために、お母さんにひどいことをずっとしていたんです。
お母さんに素直に感謝の気持ちが沸かなかったのも、自分を直視していなかったから。
やましさを誤魔化して何も見ないようにしてたから、感謝すらできてなかったんです。
もう、アホすぎて泣けてきます…。
でも実はね、自分を直視することができた出来事がトークライブの少し前にあったんです。
私ね、このトークライブに行く資金を払っちゃったら、家賃を払うお金がなくなっちゃったんです。
それで、お母さんにお金がないので貸してくださいってお願いしました。
そんなの「負け」だからしたくないことだったけど、自分を直視したら「お金がなくて家賃が払えない私」だったので、もう受け入れるしかなかったんです。
そしたら、返さなくていいよ、あなたが幸せに生きててくれればお母さんは幸せだから、って母が言ってくれたんですね。
怒られると思ったのでびっくりしました。
「やましさ」をさらけ出したら、違う景色が見えたんです。
お金は少し多めにもらえたので、そのお金で私は服や下着も買いました。
普段だったらその行動にも、せっかくもらったお金で服を買っちゃったっていう「やましさ」があったと思うんですが、私は服が買えたことが嬉しすぎて、ものすごく感謝が沸いてきて、お母さんにメールしたんですね。
服を買ったよ。お金をくれてありがとう!嬉しい!幸せ!って。
そしたらお母さんも、よかったねって喜んでくれて…。
そこでね、あれ?なんか私、いっぱい勘違いしてるかもしれない?って思って、お母さんのことすごく好きなんだって気持ちも素直に沸いてきて、お母さんに私の気持ち伝えたい!って思って…
その直後にこのトークライブだったんです。
だから、いろんなことが一気に繋がって、一気に腑に落ちました。
自分がなんでこんなに複雑な気持ちをお母さんに持ってたのかも、なんで認められなくて許せなくて、でもそれが苦しくて仕方なかったのかも。
私が感じてたやましさも、全部幻でした。
お母さんを幸せにできなかったのは幻でした。
お母さんは、私がいることが幸せって思ってくれてたのに、必死に幸せにしなきゃって頑張ってました。
なのに同時にマウンティングもしてたなんて…。
自分がこんなにひどいことしてるなんて、ずっとずっといろんなこと人のせいにして、言い訳して、誤魔化して生きてきたから、気付きませんでした。
勝ち負け世界にいると、本当に何もかも誤魔化して、何にも直視できません。
勝つことばっかり考えます。
自分に都合のいい言い訳の手札ばっかり増えて、自分を誤魔化したまま一生終わります。
私はもう、そんなの本当に嫌です。
大事な人にマウンティングしてまで勝って、勝った負けたで一喜一憂して、自分を守ることで必死になって、うんこバケツだけ満タンで、自分の中身は空っぽのハリボテ人生。
そんなのやだ
本当にいやだ
もうやめます。
私は、お母さんのことを認めます。
勝ち負け世界から抜けます。
「お母さんを認めます」ってなんか偉そうに見えるけど、上からマウンティングしてるわけじゃないですよ。
お母さんを一人の女だと認めるということです。
今までの子育ても、いいところも気に入らなかったところも、全部これでよかったんだって受け入れるということです。
「世間の作った幻のお母さん像」をきちんとできなかったお母さん、として見るのではなく、
私を育んでくれた一人の女性、として見るんです。
自分と対等であることを認めるんです。
お母さんに書いたお手紙でちゃんと伝わるかどうか分からないけど、今すぐ全部伝わらなくてもいいと思ってます。
私がマウンティングするのやめて、全てをさらけ出せるようになったら、きっと何もかもが変わってくるはずだから。
あぁ。この記事書くのしんどかった…。
お母さんにお手紙書くのもしんどかった…。
でも、気付けてよかった。
お母さん、今まで本当にごめんね。
それからたくさんたくさん、ありがとう。
トークライブ、行ってよかったなぁ。
お二人に出会えてよかった。
大好きになってよかった。
私の「大好き」っていう感覚は間違ってなかったんだなぁって思います。
長くなっちゃったので、最後にあともう1記事だけ、トークライブのまとめを書かせてください
長くて重いのに、ここまで読んでくださってありがとうございました