沖縄二高女看護隊 チーコの青春 -2ページ目

沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄戦で犠牲になった沖縄県立第二高等女学校(白梅の塔)の生徒の物語です。

期末試験が終わった12月11日、また悲しい事件が起きました。

当時、沖縄には「ケービン」と呼ばれて親しまれた軽便鉄道が走っていました。那覇を基点に北は嘉手納まで、東は与那原まで、南は糸満まで通っていました。

10月10日の空襲で、汽車も駅も線路も破壊されてしまいましたが、ようやく復旧されて、軍の専用列車になりました。一般の人は乗れないのですが、兵隊さんたちの好意によって、遠くから通っている生徒たちは内緒で利用していたようです。

その日の午後5時半頃でした。糸満へ向かうケービンが稲嶺駅の近くで大爆発を起こしました。

沖縄の南部を守っていた第9師団が台湾に移動になって、沖縄から出て行ってしまい、北部を守っていた第24師団がケービンを利用して南部に移動していました。武器や弾薬を積んでいて、その弾薬に火がついて爆発してしまったのです。そのケービンに帰宅途中の女学生が10人乗っていて、その内の3人が二高女の生徒でした。2人は亡くなってしまい、1人は重傷を負ってしまいました。

次の日の昼、教頭先生からその事を知らされて、私たちは呆然となりました。昨日まで一緒にいた級友が急に亡くなってしまうなんて、とても信じられません。作業をしながらも、涙がとめどなく流れました。


昭和19年12月の出来事

12月1日、閣議、中等学校の新規卒業予定者の勤労動員の継続を決定する。
12月6日、日本空挺部隊、レイテ飛行場に強行攻撃をかける。
12月7日、東海地方に大地震、津波(死者998人、全壊26130戸)。
12月7日、生フィルム欠乏で40%の映画館、配給休止の宣告。
12月9日、第二野戦築城隊によって首里の司令部壕の築城が始まる。
12月8日、全国に《一億憤激米英撃摧期成大会》が結成され、一億憤激米英撃摧祈願祭が行われる。
12月10日、ドゴール将軍、モスクワでドイツを対象にした《仏ソ同盟条約》に調印する。
12月上旬、第9師団、沖縄から台湾に移駐する。
12月11日、大里村稲嶺駅付近で軽便列車で輸送中の第24師団の弾薬爆発。
12月15日、大本営、第10方面軍に対し第12・第82師団の派遣を内報する。
12月17日、B29、名古屋に来襲する。
12月19日、大本営、レイテ島での地上決戦方針を放棄する。
12月21日、『爆音による敵機の聴き分け方』放送。
12月23日、泉県知事、公用の名目で空路、沖縄を去る。
12月26日、第9航空軍が創設される。
12月26日、那覇市の一部の地域に電灯がつく。
12月31日、アンガウル島、ペリリュー島の日本軍が玉砕する。
12月31日、第10方面軍司令官安藤利吉大将、台湾総督を兼ねる。
12月、   石垣島海軍警備隊司令井上乙彦大佐が着任する。
12月、   米国宣伝放送(中波、サイパン島発)受信。
       第32軍と県学務課による、中等学校生徒戦場動員計画、成る。

この年、中学生には通信訓練、女学生には看護教育を施す。

・軍事費、国家財政の85%強に達する。
・食糧増産のため学童も動員して空地を徹底的に利用。
・戦況悪化で流言が激増。
・金属不足により、5銭・10銭が紙幣に。
・硫黄マッチ登場。
・陸軍報道局編『必勝国民読本』、松村秀逸『宿敵米英を撃て』
・流行歌『若鷲の歌(若い血潮の予科練の七つボタンは桜にイカリ)』『同期の桜』
『ラバウル小唄』『ラバウル海軍航空隊』
・日本映画『日常の戦ひ』『狼火は上海に揚る』他戦記、増産映画が盛ん。


沖縄軽便鉄道は死せず  軽便鉄道  一兵士の記録

灰田勝彦大全集  田端義夫大全集


那覇の街はすっかり焼け跡になってしまいました。家を失った人たちは掘っ立て小屋を立てて、暮らし始めました。

私たちも家の跡地に小屋を立てました。父は首里の祖母の家に行けって言ったけど、首里から学校に通うのは大変だし、父と一緒に小屋で暮らす事にしました。小屋を立てる時、弟の康栄の先輩、安里さんが手伝ってくれました。

安里先輩は野球部の投手で、女学生たちの憧れの的でした。勿論、私も陰ながら憧れていました。その先輩が毎日、首里から那覇にやって来て、私たちの小屋作りを手伝ったくれたのです。家は焼け落ちてしまったけど、安里先輩と一緒にいられて、毎日がウキウキとしていて楽しかったのを覚えています。

焼け落ちた学校も、若狭町の焼け残ったお菓子工場を仮校舎として授業が始まりました。壊滅してしまった陣地の構築作業も始まりました。

県立病院も焼け落ち、患者さんたち一緒に宜野湾村に避難していた姉は陸軍病院の看護婦に志願して、南風原にできた陸軍病院に行きました。


昭和19年11月の出来事

11月1日、マリアナ基地のB29、東京を初偵察する。
11月1日、たばこが隣組配給となる(男子は1日6本づつ)。
11月2日、新聞、2ページに削減(週14ページ)。
11月4日、第32軍高級参謀八原博通大佐、沖縄守備軍から1兵団を抽出して比島方面に転用する件に関する台北会議に参加し、反対意見を具申する。
11月6日、米艦載機、ルソン島全域に来襲する。
11月7日、閣議、《老幼者や妊婦等の疎開実施要綱》を決定する。
11月7日、米大統領選でルーズベルトがデューイを破って4選される。
11月10日、厚生省、婦女子の徴用を実施、女子挺身隊の期間を1年延長する。
11月10日、女師・一高女、生徒を集め、授業を再開。
11月12日、女師は識名高射砲陣地構築作業に、一高女は上間高射砲陣地構築作業に、それぞれ動員再開される。
11月13日、大本営、沖縄から第9師団あるいは第24師団のいずれかを抽出する事を決定し、その選定は第32軍に委ねる旨を電報で指示する。
11月13日、日本野球報国会、プロ野球休止声明を出す。
11月14日、閣議、《労務調整令》《国民勤労報国協力令》を決定する(11月18日より施行)。
11月15日、太宰治『津軽』発表。
11月17日、第32軍、第9師団を台湾へ転出させることを決定し大本営に報告する。
11月24日、マリアナ基地のB29約70機、東京を初空襲する。
11月26日、第32軍、第9師団抽出にあたり《新作戦計画》に基づく軍命令を下達する。
11月27日、《戦勝食糧増産推進沖縄本部》が設置される。
11月、   石垣島で郷土防衛隊第506特設警備工兵隊(高良隊)が招集編成される。
11月、   この頃、沖縄県内の郵便業務、バス・自転車・トラック等により辛うじて営まれる。
11月、   空襲後、生徒の疎開願い相次ぐ。学校当局、これを阻止。


パパママバイバイ 戦争と子どもたち 大本営に見すてられた楽園 ルーズベルト秘録(下) 太宰治


この日は決して忘れる事はできません。突然、アメリカが沖縄に攻めて来たのです。それはあまりにも突然の事でした。

当時、私たちは勤労奉仕の陣地造りと学校の授業を交替でやっていて、私たちのクラスはその日は授業のある日でした。学校に向かう途中、飛行機が編隊を組んで北の方から飛んで来ました。その日は日本軍の演習があると噂で聞いていたので、朝早くから頑張っているなと思ったのですが、なんと、その飛行機は那覇港に爆弾を落とし始めたのです。

私たちは慌てて学校の防空壕に隠れました。空襲は7時頃から8時半頃まで続きました。敵機が消えたので、学校に集まった生徒たちは解散になりました。

うちに帰ると弟が待っていて、一緒に首里の祖母の家に避難する事になりました。首里に向かう途中で、また敵の攻撃が始まりました。大勢の人たちと一緒に首里まで逃げて、何とか無事に祖母の家に着きました。

その日のアメリカの空襲は五回もありました。1回目が7時頃から8時半頃まで、2回目が9時半頃から10時過ぎまで、3回目が11時半頃から12時半頃まで、4回目が1時頃から2時頃まで、5回目が3時頃から4時頃まででした。1回目から3回目までは那覇港と小禄飛行場に集中していましたが、4回目からは那覇の街も攻撃されて、那覇の街は灰燼と化してしまいました。勿論、私の家も焼けてしまいました。学校も焼け落ちてしまいました。

那覇の街が燃えているのを首里から見ていた私は涙が止まりませんでした。私たちが一体、何をしたというのでしょうか。どうして、那覇の街がアメリカの攻撃に遭わなければならないのでしょうか。

でも、悲しんでいる暇はありませんでした。那覇から逃げて来た大勢の人たちが城跡や学校の校庭に避難しているので炊き出しを手伝ってくけと頼まれて、私たちも行って、おにぎりを作り続けました。9時頃になって祖母の家に帰ると、姉がいました。姉の顔を見たら、急に悲しみがこみ上げて来て、大声で泣いてしまいました。姉から、父も無事だと聞いて安心しました。


昭和19年10月の出来事

10月3日、米統合参謀本部、太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督に対し琉球に1個またはそれ以上の拠点を占領せよと命じる。
10月3日、米機B24、沖大東島を銃撃する。
10月5日、宮古島の中・西飛行場が完成する。
10月5日、ニミッツ提督、配下部隊に対し、台湾攻略作戦を変更し、太平洋方面部隊は1月20日に硫黄島、3月1日に琉球諸島に数個所の拠点を確保すべき企画を明らかにする。
10月8日、既教育兵、与那原・読谷山・伊江島に召集される。
10月9日、八重山飛行場工事のため徴用された沖縄本島住民、帰途に遭難し500人の犠牲者を出す。
10月10日、米機動部隊の艦載機延約1400機が南西諸島を空襲、那覇市は90%が灰燼に帰す(罹災戸数1万 2000余戸、死傷者785人、損害は艦船15隻、500万発分の弾薬、県民1カ月分に相当する約4万4000袋の食糧米)。
10月10日、泉知事、南部に住む婦女子の即時北部避難を示達。
10月10~15日、南部の老幼婦女子、北部へ疎開。
10月10日、泉沖縄県知事、県庁を普天間に移す。
10月11日、第2航空艦隊の主力、九州方面から南西諸島の航空基地に移り始める。
10月12日、台湾沖航空戦が展開され、大本営は戦果がないにもかかわらず大戦果をあげたと発表する。
10月13日、那覇の通信事業、民家を利用して活動を再開する。
10月14日、B29など100機、台湾に来襲する。
10月15日、第26航空隊司令官有馬正文少将指揮の攻撃隊、台湾沖でハルゼー大将指揮下の艦隊を攻撃する。
10月15日、金の強制買い上げ実施。
10月16日、侍従武官坪島文雄中将、宮古島を視察する。
10月16日、陸軍省、《陸軍特別志願兵令》を改定公布し、17歳未満の者にも志願を許可する。
10月17日、第32軍、兵棋演習を実施する。
10月18日、大本営、《捷1号》作戦の発動を命じ、フィリピン方面に陸海軍の主力を投入して決戦を挑む。
10月18日、陸軍省、《兵役法施行規則》を改定公布し、17歳以上を兵役に編入する。
10月20日、戦況の悪化に伴い、東京の日比谷で《一億憤激米英撃摧国民大会》が開催される。
10月20日、米軍、フィリピン中部のレイテ島に上陸する。
10月21日、沖縄県庁に特別援護室が設置される。
10月21日、《10.10空襲》罹災者を優先する沖縄県内外移住事務が開始される。
10月21日、米統合参謀本部、沖縄攻略作戦計画《アイスバーグ作戦》を決定。
10月22日、宮古島の輜重兵第28連隊長横山伊一郎大佐、輜重兵学校長に転出する。
10月23日、第8飛行師団、連合艦隊司令長官の指揮下から除かれる。
10月24日、レイテ沖海戦が行われる(日本艦隊の突入作戦は失敗、連合艦隊の主力を失う)。戦艦『武蔵』沈没。
10月25日、レイテ沖で海軍神風特別攻撃隊(敷島隊)、初めて米艦を攻撃する。
10月25日、中国基地から飛来した米機B29約100機、北九州を空襲する。
10月25日、少額紙幣発行(5銭、10銭)。
10月29日、21歳~45歳の男子を防衛隊として召集する。
10月、牛島第32軍司令官、八重山島民の飛行場建設工事への協力に対し感謝状を贈る。
10月、この頃、護郷隊編成される。


沖縄戦の絵  沖縄は戦場だった  私の沖縄戦記  ウミガメと少年






謹賀新年

今年も「チーコの青春」をよろしくお願いいたします。

「あの花この花」は70年前の昭和15年の正月にヒットした歌です。西条八十さん作詞、古賀政男さん作曲で、二葉あき子さんが歌いました。

「チーコの青春」第三部の8.山第二野戦病院で、戦死した友達のためにチーコたちが歌いました。
那覇は兵隊さんでいっぱいになりました。学校の校舎も兵舎として使われ、二高女にも山部隊(第二十四師団)の兵隊さんが駐屯していました。

沖縄を守るために働いている兵隊さんたちを見ながら、私たちもお国のために働かなければならないと強く思いました。

そんな時、小禄飛行場(現在の那覇空港)の近くのガジャンビラ(筆架山)で高射砲の陣地造りが始まりました。私たち女学生も動員されて、汗と土にまみれて働きました。作業はきつかったけど、昼休みになると兵隊さんたちと一緒に歌を歌ったのが、楽しかった思い出として記憶に残っています。その時、面白い替え歌も教わりました。


昭和19年9月の出来事

9月1日、台湾に徴兵制が施行される。
9月4日、第32軍の長参謀長一行、宮古島の飛行場工事を視察する。
9月5日、人間魚雷『回天』の基地誕生。
9月6日、米機動部隊、パラオ島とヤップ島に来襲する。
9月9日、米機動部隊、ダバオを襲撃する。
9月9日、フランス臨時政府樹立(首班ドゴール)。
9月15日、第32軍、航空作戦準備強化のため地上作戦準備を1カ月休止し飛行場建設に専念する。
9月15日、米軍、パラオ群島のペリリュー島とニューギニア西方モロタイ島に上陸する。
9月15日、ダイヤモンド買い上げ開始(軍需省)。
9月17日、第32軍司令官牛島中将、宮古島守備部隊を視察する。
9月21日、米機動部隊、ルソン島クラーク飛行場を空襲する。
9月22日、台湾軍、《第10方面軍》と改称される。
9月27日、東京商大を東京産業大学、神戸商大を神戸経済大学と改称。
9月28日、最高戦争指導会議、ソ連の中立維持・利用をはかる《対ソ施策に関する件》を決定する。
9月28日、美術展覧会取扱要綱発表、公募展禁止、展覧会中止多数。
9月29日、米軍、B29で初めて沖縄の空中写真を撮影する。
9月30日、政府、《新国民運動実施要綱》を決定する。
9月30日、神仏基30万の宗教家によって《大日本戦時宗教報国会》が結成される。
9月、   独立混成第59・第60旅団の主力、宮古島の配置につく。
9月、   必勝食糧態勢の確立のため、県庁に『食糧配給課』を設置。


豪胆の人 帝国陸軍参謀長・長勇伝  図説特攻  特攻  特攻回天戦

人間魚雷回天