知りたくねえ | kanotomiuozarainenkokidesuのブログ 人呼んで筍医者 田杉白玄

知りたくねえ

江戸時代、女衒は貧農の幼い娘を買い取り、高値で女郎屋に売り飛ばした。苦界に身を沈めたのだ。日ごと夜ごと男と交わる女郎が年季明けまで、生き残るのは稀だと言われている。「先生、家の倅に嫁の来てがねえ。すっかり臍曲げちまってふて腐れてるんですよ。嫁に来てくれる人いませんかね。誰でもいいですから」「本当に誰でもいいのかい、二十七、八の大年増だ」「いいですよ」「その人は親孝行だが、事情があって、幼い頃に家を出たので、親の顔も名前も覚えていねえんだ」田杉白玄先生の言葉を聞いた、お寅婆さん、ちょいとの間、顔を歪めたが「先生、酒が飲みたくなった、冷やでいいから飲まして下さい」お寅さん、湯飲み茶碗になみなみとつがれた酒を一気に飲み干し、大きなため息をつくと「親孝行が気に入った、倅の嫁に下さい」「生い立ちは息子さんには内緒にな」「分かりました。善は急げ、明日の夕方、家に連れて来て下さい」と言うと帰っていった。家に戻ったお寅さん、倅に「明日、夕方、家に居ろ」「親方に嫌われてるから仕事もねえ、大工道具の手入れをしているよ」「そうかい、明日の夕方、田杉白玄先生がおめえの嫁を連れて来るから、その前に銭湯に行って、股ぐらを洗っときな」「嫁って誰だい」「それは、それはいい女だそうだよ、待ったかいが、あったってもんよ」翌日の暮れ六つ、田杉白玄先生が白無垢の花嫁衣装を身にまとった訳ありのいい女を連れて来た。貧乏長屋には不釣り合い、まさに掃き溜めに鶴の様だった。お寅の倅は慣れない紋付き袴で、ぎこちなかったが、大家の仲人で三三九度の祝言を挙げた。嫁を貰ってからは、お寅の倅は人が変わったように大工仕事に打ち込み、親方の信用を得た。でも人は嫁さんの噂が広がりだした。「おまえさん、あたしね。親の顔も名前も知らないの」「あっしも父親の顔も名前もしっちゃいねえ。おめえの昔のことなど知りたくねえ。涙はおめには似合わねえ」と言うと涙を口で吸い取り「おめえの涙はしょっぺえな、おっかさんもオメエが気に入ってる。あっしもだ、それでいいじゃねえか」嫁はこみ上げてくる涙を堪えきれず、いつまでも嗚咽していた。