人呼んで筍医者 田杉白玄 親はなくても子は育つ | kanotomiuozarainenkokidesuのブログ 人呼んで筍医者 田杉白玄

人呼んで筍医者 田杉白玄 親はなくても子は育つ

 江戸の庶民の子育ての期間は短い。物心がつくと奉公に出してしまう親は多い。上方では丁稚と言うが江戸では小僧、女は女中奉公だ。商家では何も知らない幼い子供に商いのいろははもとより、読み書き算盤、日常生活に必要な知識や経験を積ませ一人前の商人に育てていく。旧暦の七月十六日の藪入りにはお仕着せの着物に履物、何かしかの金と手土産を持たせ実家に送り出すのが習わしになっている。藪入りが間近の十三日。相模屋の番頭が藪にもならない筍医者田杉白玄を訪ねて来た。「先生、恐縮ですがお知恵をお借りしたいのですが」「御貸しするほどの知恵は持ち合わせませんが、どのような事でしょうか」「実は手前どもの小僧なんですが、昨年の藪入りにお仕着せの着物に履物、何がしかの金と手土産を持たせて帰したのですが、帰って来た時は裸足に褌一丁、驚いて追剥にでまあったのかと尋ねても押し黙ったままなんです。そして昨日、その小僧が番頭さん、今年の藪入りは帰りたくないから居させて下さいと言うんです」「その小僧さん、よっぽど辛い思いをしてるんだな。親の都合で間引きという子殺し、女が生まれると赤飯焚いて、女郎に売り飛ばすひでえ、親もいる。お仕着せの着物に履物、小遣いをふんだくられただけで、殺されなかっただけめっけもんだ。追剥が住む家に帰す事はない、居させてやればいい」「でも先生、親が何故、藪入りに帰さないのかと怒鳴り込んで来たら困ります。大旦那に迷惑を掛けてしまいます」「そんなことは番頭さんの裁量でなんとかなるんじゃないですか」「裁量と言われても、私は先生、番頭をしておりますが、いたって気が小さい、だから先生のお知恵をお借りしたいんです」「それなら、こうしましょう。藪入りの日の朝、小僧さんが具合が悪くなって田杉白玄の許に担ぎ込まれたてことにしましょう。そうすれば実家に行くに行けない」「でも親が怒鳴り込んで来たらどうしましょう」「来たらこちらに寄こせばいい、適当にあしらうから心配する事はねえよ」と田杉白玄余裕たっぷりに、にこやかに笑みをたたえた。それを見て相模屋の番頭さんも胸のつかえも落りた様で、顔の強張りもいくぶん和らいだ気がした。十六日。田杉白玄の許にくだんの小僧が番頭に伴われてやって来た。田杉白玄、満面の笑みをたたえ、小僧を家に招き入れた。「田杉白玄って医者だ。今日からおめえのお父っあんになりてえんだ。なれねえけどよ。なりてえんだよ。夏は鰻が一番だ食いな、旨えだろう、お父っあんは酒で鰻だ。ところでおめえ、象を見た事あるか、象を知らないのか、鼻が長くて体も大きい。門を通そうとして大きくて体半分しか通らない、それでその門の名前が半蔵門なったんだ。面白くないか、えっ面白い、じゃあ笑えよ。田杉白玄の気持ちが小僧さんにやっと通じたのか小僧さんの顔にも笑みが浮かんだが、その時、大きな声が鳴り響いた。「田杉白玄っていう医者はいるか、倅を返せ。「権助、小僧さんの床をとって寝かせろ、小僧さん心配することはない、じき追い返すから」「寝かせたかじゃあ一芝居するとするか」「居留守つかってるのか」「使っちゃいねえよ、おめえの倅が道で倒れていたから預かってるんだ」「そうか、もうよくなったんだろう連れて帰る」「さようですか、ならば高価な薬も投与しましたんで治療費として五両頂きましょうか」「何だと五両だと、そんなもの出せるか」「子供の治療費も出さず踏み倒す気か、おい権助、十手持ってる目明しの親分さんに来てもらってくれ」「なんで目明しを呼ぶんだ」「目明しが怖いか、もしかして、おめえ入れ墨が入ってるんじゃねえのか」「入っちゃいねえよ」「ことによると入れ墨消してるんじゃねえのか、消してたらおめえおしまいだぜ」「そんなことはないが五両は持ち合わせがない都合をつけてもってくるから、倅はしばらく預かってくれ」「預かると五両じゃすまない、もっと増えるがいいか」「ともかく今日の所は帰る」と言うと一目散に駆けて行った。