日本では、「開かれた学び」が必要とされる時代にあって、自己評価を、開かれたものにすることで、教育のあり方や、教育に対する見方を大きく転換できる可能性がある。

 

*学校での学習コンテンツが、社会で求められるスキルに直結している時代はほぼ終わったといえる。
*テクノロジーの進展などと合わせて、学齢期に(基礎を)身に着けられるスキル、身に着けるべきスキルは多様化・大量化している。
*学び・労働・遊びの境界は、どんどんあいまいになり、一つのデジタルコンテンツをとっても、いずれの成果とすべきか明確にしきれないコンテンツはいくらでも存在する。
*ITの世界で顕著なように、社会一般でのコンテンツを作成する(業務を遂行する)にあたっても、テーマや目的に沿って、面識のない人と情報を共有することは、どんどん広がっている。


※まだ、ロジックはクリアでないのだけれど、必要なパーツはだいぶそろった気がするので、書き散らかしてみます。つづく。

スゴいことになって来ましたね〜
「学生のレポートがChatGPTで作られたと完全に証明する方法は今のところない」ですって!!

Q1.さて、みなさん、どうします??
「バレないならやっちゃえばいい??」
いや、わかりますよ。教員って、これを支持しちゃいけない立場なのは。でもですよ、「Googleで調べればわかることなんか、試験で聞くな!」ってことで(ちょっと雑)、センター試験は変わっていきました。
じゃ、「GPT先生に聞けばわかることよりも、明らかに劣ることを、レポートで書く意味は何ですか?」とか、、、(ロジック変?)
いやいや、ICT導入国、特に私が要チェックと考えるロビイング大国(アメリカ、イスラエル、スイス)なんかは、「せんせー、GPT先生に聞いたら、こんなこと教えてくれました~!!せんせーの話とどっちが正しいんですか~!」ってな質問が、小学生が当然にすべき質問になります。
「問の立て方」とか、どひゃーって思ってたら、「タルムード」では、2000年前(もっと前)から、「問え」って書いてあるようなないような(不文律を含む)って話らしいですからねぇ。

Q2.アランチューリングの祖国イギリスで脈々と続く「チューリングテスト」あるいは、「中国人の部屋」で指摘される、「意識とは何か?」の問題が、段階的に「シンギュラリティ」のステージに近づいてきています。(もはや、問題なのか、問いなのか、Questionなのかです。。。)
AI星新一も、京大のAI俳句も、この途中過程であったことがクリアです。

Q3.さて、「身近な生活」どうします?NHKさんが、Twitter分析を得意とされているのは、ある程度・ある種(←読み飛ばしなく!)の「客観性」があるから、、、まあ、わかります。
さて、これから、どしますかね。特に、「議会」。「なぜGPT先生が言うことに従わないんだ!?」・・・(反論できず、、、)
「選挙公約!私は、すべて、GPT先生の言う政策を提言・実行します!!世界で最適化された政治を実現します!!」

Q4.羊のドリーやらで、「医療倫理」の領域は、「人間の領域を超える」と警笛を鳴らしました。明確な答えは私も知りません。同様の問題が、よりイメージしやすいところに降りてきた気がしています。そして、Q1に戻ってみると。。。いや、大事な問題であるには違いないのですが。。。
「何が起こるのか?」って??そっすね~、何かが起こると言えば起こるようだし、起こらないとも言えなくもない??

ただ、個人的には、ワクワクしてます^^
だって、これまでの10000年の人類が見たこともない変化を見ることができるのだから。
もしかしたら、『銀河鉄道999』のエンディングみたいに、、、「個人さえもシステムの一部である」とか思い知らされるだけかもしれない。でも、そんなこと、どっちにしたって、大して私の人生には影響しないだろうなって思う。だって気づくのなんて、最後の最後の最後だろうから。

そんなことよりも、知らずに人のことを踏みつけることのないように、そんなことだけは考えていたい。
気づかずにいたことに、ふと気づくことも起こりやすい世界になっていくだろうとは思う。見たくないものに目を伏せ続けることもやりやすい時代になっていくと思う。

 

讃井康智@ライフイズテック取締役(最高教育戦略責任者) (@sanu0822)のTwitterから孫引き

 

*日本を出て、アメリカへ

私は、日本で20年間、中高数学教諭として勤務し、アメリカで1年間、日本人補習校に勤務、その後、カンボジアのキリロム工科大学・キリロムインターナショナル小学校・キリロムパインリゾートに来ました。

実際のところ、アメリカに出るとき、「アメリカでなければならない理由」はそんなにクリアでなかったのですが、チャンスが巡ってきた上に「人生でやれるならいつかやりたいこと」だったので、知らないことだらけでしたが、渡航を決断しました。(実際のところ、就職が決まってから、NYの家賃が高いことを知り、住宅探しに苦労しました。)

でも、アメリカも、カンボジアも、行ってみて初めて知ったことがたくさんあり、本当に行って良かったし、もっと早く行くべきだったと思いました。

 

日本を出てみて一番大きな気づきは、国境を頻繁に越えている世界の人が本当にたくさんいるということです。もちろん、英語を中心にコミュニケーションを取り合っています。

これは、日本の中にいただけでは、より情報が偏ってしまうため、ぜひ、日本の皆様には、日本国外を見てほしいし、可能なら、私がご案内申し上げたいという思いで、カンボジアでの仕事を続けています。

 

*キリロムをできるだけ短く説明

勤務先のキリロムは、リゾート施設・全寮制とのシナジーを利用しながら、子どもから大人までの「学び・事業づくり」をサポートする事業です。中心となるスキルは、「英語・IT・プロジェクト運営」です。一言で説明しきれない幅の広さですが、創設者の「世界に出て活躍する日本人を生み出したい」という思いが、年齢・経済的背景・語学力に対して「広く多面的に実現される場」とご理解ください。

 

*カンボジアで見えるもの

カンボジアというと、「クメールルージュ・地雷・貧困」と、マイナスのイメージが強いのは事実です。確かにそういった要因が影響して、発展が遅れたこともあるでしょう。「クメールルージュで4人のうち3人のおじを亡くした」というタクシードライバーにも会いました。他方、都市部の建築やインフラは、日本では想像できないスピードで近代化を推し進め、パンデミックが明けつつある今、さらに加速していることが容易に体感されます。

「数年前まで留学する人などいなかった」ところに留学者が押し寄せて、競争が激化している近隣の国もあります。カンボジアにも、そんな日が遠からずやってくることが、伝わってきます。

日本国内に居続ける人を煽るつもりは毛頭ありませんが、少なくとも、「本当は海外に出た方が良いかも」と思っている人の手助けはできる・しなければならないと思っています。