年老いたJWな親の悲しみ |  捨て犬の詩

 捨て犬の詩

未成年の頃いた JWから離れて40年あまり
昨年 強固な証人であった母が 突然断絶を
しました。
今は、かつて無い 穏やかな時間の流れを感じられる日々。

 私が まだ在籍してきた頃、年長者は尊敬されるべき人達でした。日々の生活の事は ご家族がされていましたが、長老とか立場に関係なく 皆さん 年老いて活動しづらくなったかたの 送り迎えや 公演や集会の内容を テープにとってあげたり 日々の祈りの中でも その方のことを祈っていました。 私の親も食事の時の祈りにも その方のことを祈っていました。


 両親とも まだ会衆が 会衆としてその機能を果たしていない頃からの証人です。 片親が亡くなった時などは 今の会衆の礎を作ってきたのは 私の親だと話してくれました。


 しかし 日本という国が老齢化が進むと同じく 組織も老齢化が進んでいる。 昔尊敬された人々は 今 組織にとって若い証人たちにとって それは 邪魔なお荷物になっている。そこには 尊敬も 敬意もない。

 両親は 離れた私とは違い その世界にずっと身をおいてきましたから 組織、会衆の変貌を見てきたはずです。


 まして 今残る片親は 亡くなった親より 長くそれを見てきました。年長者に対する扱いが 急速に変わるのを見てきました。片親が亡くなった時の様に 自分が同じようにしてもらえる事が無いのを知っています。


老齢の証人が どういう結末 最期の時期を過ごすかも 見てきました。何時しか 「動けなくなったらお終いよ!惨めなものよ」それが 残る親の口癖になりました。


 最初のうちは 長老も雑誌とかもっては行くくけれど・・そのうち見向きもしなくなる。


 だから とにかく健康には気をつけて来た親。

 人一倍 健康である事に気を払い 確かに 同年代のお年寄りに比べて 若く見えます。

 

 しかし どんなに頑張っていても 歳にはかなわない。

 ちょっと前までできた事が 出来なくなる。

 誰かに連れて行ってもらわなければ 集会にも奉仕にも出られない。


 普段の私的な生活の部分も 誰かの手を借りなければ難しい事が増えてきている。


 昔と違い お金を介した証人の助けしか受けることが出来ない現実。 車で送り迎えをしてもらうのに ガソリン代以上、いや タクシー代以上の代金を要求し 食事を提供させる。


 お金や物を渡さないと 自分が集会にも いけないことを知っている。それは エホバとの関係 忠節を保てない行為だと思っている。


 私に 彼らが お金目当てだと 何度愚痴ったことか。・・なのに

  若い人達は お金が無いから 少しでも助けてあげないといけない。に 成ってしまう 親の思考回路。

 (けして 我親が特別裕福なわけでは有りませんよ。ただ 父親は普通に仕事をして 定年を迎えましたから 有る程度のたくわえを持っています。)


 公的な 介護を受けるようになっても 実際にケアをしてくれるその人達は パートで勤める エホバの証人。


 おちおち 気を許して 掃除とかさせられない。見張っておかないと 何をされるかわからない。 そんな愚痴を聞いた事も有ります。(確かに 年寄りの・・意識過剰もあるでしょうが まったくうそだとはいえないと思います)


 電話だって 履歴を見ることも可能。手紙だって見ようと思えば見られる。 (法律違反になりますが)


 パートとは言え 仕事上知りえた 親の私生活を どんなものを持っているだとか、 私から荷物が来ていたとか たとえ証人としてふさわしくない事が有っても それは 職務上知りえた事。それを 会衆や長老に話すという事は 業務違反だと思いますが・・ 自ら 仕事を失うようなものだと思いますが) 色々を 見張られているといいます。

 それでも一人で生活をする以上 ケアの力は必要。

 ケアマネージャさんが 証人以外の方をよこそうとしても断る。

 他に受けられるケアもあるのだけれど 安心してそんな エホバの証人のケアは頼めないと言う。



 普通に考えたら わずかな年寄りのたくわえのお金に ハイエナの様にまつわりつき 色々な私的な事まで監視をされ それに気が付いている。その時点で そんな組織が 普通じゃないって理解するはずですが・・・



 塔によって 培われた信仰とは おそろしいものです。

 そんな状況にあっても 疑う事を知らない

 私に時折ぐちりながらも その人達は 不完全でよくなろうとしている人達だから 仕方が無いんだ。 間違った事をしていたら エホバが見ていて 彼らに罰を与えるから。



 そうまでして エホバにしがみつく

 永遠の命を 夢見る

 組織に 人生もお金も 子供も 全て奪われ

 少し離れてみれば なんとおろかな様と見えますが

 

 私にしたら 子や孫と笑って すごす時間のほうが 価値が有ると思うのだけれど・・・その思いは 親にとって 私がエホバへと導かれた愛情の様に 押し付けの愛情なのでしょう。



 エホバの証人の老後

 特に 組織によって 家族から切り離された 一人暮らしの哀れな証人の老後にしか見えないけれど 今はどうか 親の言う幸せを最期まで感じて 夢を見続けて 人生の最後を迎えられるよう願うしかないのでしょう。



 親に 無理やりにでも現実を突きつけ 愚かしい事だと気づかせるには あまりにも 年老いてしまいました。

 いや 本人もどこか気が付いているのに、それは 親の人生そのもの 自分を否定する事になるのですから、認めてはいけないことなのでしょう。

 塔は 組織は 2世、3世と呼ばれる子供達の 一生を 従順という言葉で 無茶苦茶にしてきたけれど それをしいた 一世と呼ばれる親からも 全てを奪い 要を成さなくなったらすてさる。

 


人から 思考を奪い去り 心も命も 持てる物の全てを奪い去り 引き換えの神の愛によって 存続している。