蘇先生へのありがとうのことば

蘇先生へのありがとうのことば

蘇先生へのありがとうという気持を綴っています

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初めてこのサイトに書かせていただきます。

蘇先生に知り合ったのは、7年ほど前です。

主人の通う整体の先生からの紹介でした。

その頃、私は、毎日体がだるく、自分の体がまるで鉛のように重く、ベットから起き上がるのも辛い日々でした。

少しの運動でも息切れをし、毎日理由もなくイライラして。ゆっくり休みたいのに、何故か常に動き回ってしまい、疲れていてるのに眠れない、、、等、色々な症状に悩まされていました。

人間ドックでは、毎回甲状腺が腫れている、と言われるも烽フの、某有名甲状腺専門医に行くと、

「腫れてはいるが、数値に問題なし。甲状腺の病気ではない。」

と言われ、病名すら分からず、苦しんでいました。

そんな時に、蘇先生を紹介され、受診すると、甲状腺機能障害の橋本病だと、すぐに診断してくださいました。

先生曰く、サイログロブリン抗体という数値が4000を超え、甲状腺も赤紫に腫れていたそうです。

処方してもらったチラージンと漢方を毎日服用すると、数週間で驚くほど、体の変化を感じました。

あんなに辛かった症状が嘘のように軽くなり、常にイライラしていた日々が、気持ちも穏やかに過ごせるようになりました。

あの時の驚きは、今でも忘れられません。

そのからは、夫婦そろって蘇先生のもとで、漢方治療を続け、5年後、子宝にも恵まれました。

いま、子供は1歳5か月です。

先生のもとで治療をしなかったら、あの体調で、子供を授かることは無理でした。

私にとって先生は、命の恩人です。

これから2人目を授かりたいと相談しようと思っていた矢先に、山口医院の問題が起こりました。

7年間、蘇先生に診ていただて思うことは、ただ一つ。

蘇先生は、そんなことをする先生ではありません。

そんなことをする必要もないんです。

なぜなら、先生の何万という臨床や研究から得た、計り知れない知識では、分からない病気も無ければ、何もごまかす必要が無いからです。

こんなつまらないことで、蘇先生に会えなくなってしまったのは、本当に辛いです。

漢方クリームの買い出しは、山口先生の弟さんが毎回中国に買い出しに行っていたと伺いました。

蘇先生は、漢方クリームにはタッチしていません。

山口医院への不信感はそれだけではありません。

山口先生や受付の方、看護師の態度には、毎回行くたびに違和感を感じていました。

みんな、同じように上からの傲慢な感じで、患者に親身になる人は居ませんでした。

受付の方は挨拶すらせず、看護師も監視のような鋭い目で私と蘇先生の診察を見ており、とても居心地が悪かったのを覚えています。

山口先生にいたっては、患者の目も見ず、患者と関わりたくないような印象すら受けました。

蘇先生が選んだ漢方の処方箋を書くだけなのに、態度は上からで、毎回不愉快でした。

一度、処方箋の記入ミスがあった際も、「こっちはやってやってんだからね。嫌なら他に行けばいい。」と言われ、とても腹立たしかったのを覚えています。

どうして蘇先生があんな病院に身を置くのか不思議でした。

その後、病院関係者は、みんな山口先生の身内だったと伺い、納得しました。

今回、山口先生は自己破産しましたが、息子さんが2億円で山口医院を買い取ったとも聞きました。

また、事件前には、蘇先生の知らないところで、勝手に蘇先生を病院の取締役にしていたとも聞きました。

あまりの腹黒さや、ずる賢さに呆れています。

私が望むのはただ一つ。

山口先生が蘇先生になすりつけた罪を謝罪し、蘇先生に早く帰ってきてほしいです。

蘇先生が戻ってくるには、先生の名誉回復が必要です。

蘇先生に助けていただき、人生が変わりました。蘇先生が居なくなってしまってから、色々な病院や漢方医を受診しましたが、やはり蘇先生のような知識豊富な先生には巡り会えません、、、、。

あんなすごい先生は他に居ません。

どうか日本に帰ってきてほしいです!!!!
メッセージを頂きましたので、投稿させて頂きます。

ーーーー

私は、「蘇川博先生に感謝する会」の投稿を熱心に毎回毎回よく読んでいます。

ずっと楽しみに見ています。皆さんよく頑張っていますね。本当に心強い存在です。

投稿の中には、どこまで本当のことを書いているか、どこまでウソのことを書いているか、いつも判断しながら読んでいます。

そう思って読んでいますと、だんだんだんだん感動が込められて書かれているように感じました。

僕は、花粉アレルギーの患者です。

花粉の時期は、頭痛がひどくなり、4~5週間マスクして、目が赤くなるし、苦しいです。夜は、耳も痒い、喉も痒い、口は本当にガラガラで苦しいです。

しかし、これらの症状は、蘇先生に診て頂いた5年間で、漢方を飲んでほとんど良くなりました。

そろそろ花粉の時期になりますから、とても不安になります。去年の花粉の時期は、まだ手元に残っていたツムラの漢方薬を飲んでいました。

今年は、花粉の時期は、どうしようかな。不安な気持ちが出て来ています。

この5年半位の間に僕が抱いていた蘇先生の印象は、落ち着いていて、大人しく、真面目な方ですね。

朝から夜まで一生懸命されておられる印象を持っています。

それなのに、説明会での書き込みはずいぶんひどく、読んで僕はとても悩まされました。

でもむしろ、蘇先生こそずいぶん苦しい思いをされておいでではなかったのではないでしょうか。

私は5年間に渡って苦しみを蘇先生に取って頂きましたから、このことは忘れられません。

また、「蘇川博先生に感謝する会」に掲載された投稿は、みな真実のことと思いました。

みな素晴らしいお話で、それを読んで僕はとっても元気になりました。元気をもらいました。

毎日夜仕事が終わって「感謝する会」の投稿を見ています。興味深い投稿は、何回も読んでいます。

今日は、勇気を出して僕も投稿しました。

蘇先生に感謝します。蘇先生、ありがとうございます。

今年の花粉はどうでしょうか。5年間落ち着いていた時と同じようであれば幸いです。
・ガンの母は、蘇先生に4年間命を頂きました。

メッセージを頂いたので、投稿させてください。

蘇川博先生、久しぶりですね。

この「蘇川博先生に感謝する会」へのメールは、蘇先生に直接お伝えしたいです。

いろいろ報告したいです。

1年ぶりですね。

私のこと、多分覚えておいでと思います。

実は、去年の11月に母が亡くなりました。

今年のお正月は、ゆっくりと静かに、母の残したものを整理して、蘇先生のことを、胸に一杯思い出しました。このお正月は寂しく悲しいけれど、蘇先生のこと、あなたの心、存在は私にはすごく深く、心から感謝します。

実は、私の母は、乳ガンから肺ガンに転移していました。

都内の大きな病院に入院し、抗ガン剤を投与していろいろと治療を受けました。

かなり副作用が出て、結局半年後に肺ガンに転移して、母は、

「病気に対してとても残念ですけれど、辛い治療はもうしたくないです。」

と、私に気持ちを伝えて来ました。

私は、民間療法を含めいろいろとインターネットで調べましたが、お金もすごくかかりますし、飲んでいるサプリメントも効かず、結局上手くいきませんでした。

肺には水がたまっているし、このままでは脳に転移する可能性が高いです。

肺炎を起こし2回入院しました。上手くいきませんでした。

結局都内の病院は、

「安静にして静かに様子を見るしかないですね。命はもって半年」

と宣言されました。

さらに、
「大きな病状の変化は、3ヶ月後位からですから、意識がハッキリしている内に、家族とゆっくりして安静にして下さい。これ一番理想の治療と思います。」

と告げられました。

しかし、娘としては、なかなかあきらめられないですから、いろいろインターネットで調べたり、実際調べた病院を訪ねたりしました。

その日はたまたま母がインフルエンザの予防接種である病院に来ていた時です。

その時担当して下さった内科の先生に母の病気の状況をお話ししましたところ、その医師は、

「そうなら漢方が良いと思うけれど、日本ではまだまだ漢方については勉強が足りないところが一杯ですから、私の知っているガンの患者さんが、横浜の病院に蘇先生という先生がいらして、蘇先生に診て頂いて、今もガンが安定していると聞いています。良かったら一度蘇先生に相談してみて下さい。」

と勧められました。

やはり医師から紹介されましたことは、すごく信頼感が強かったです。

早速次の日に、私は、母の代わりに一人で蘇先生の処に行きました。

予約なしでしたから、2時間以上待ちました。

診察室に入ると、私は蘇先生に、母の乳ガンのこと、肺に転移したことなど、細かに話しました。

蘇先生は、

「やはり本人に一回はお会いしたいです。

現在どういう状況か、どういう症状か、本人に直接聞きたいのです。」

と話されました。

私は、

「母は現在の状況をあまり望んではいません。

私の願いは、あと半年だけ母の命を長らえて欲しいのです。

それは私が今お付き合いしている方と上手くいけば結婚できるかも知れず、結婚式で私の花嫁姿を是非母に見せたいからです。私の父は、私が幼い頃に亡くなりました。

この後の私の幸せの全部は見せられませんが、せめて私の幸せのほんの一端、一部だけ、母にみてもらい安心させたいのです。

蘇先生、どうですか。この私の願いはわがままな願いでしょうか。

これだけ最後にお願い致します。」と話しました。

蘇先生は、

「そういうことは、判断することはできません。

人は、みんな状況、環境が違いますし、みんな体質、免疫力等が違いますし、年齢によっても違います。

お会いしないと判断はできないのです。

できれば、体力がある内に、連れて来て下さいね。」

と話されました。

すぐに家に戻って母に話しました。

私の印象では、蘇先生は信頼できる中国の先生ですから、良ければ母も診てもらいたいと伝えました。

それまで、母は、諦めていたと思います。

しかし、母は、娘の私の顔を見て、

「やはりもう一度行きましょう。半年でも良いですから、・・・。」

と言ってくれました。

それからすぐに、母を連れて蘇先生に相談に行きました。

最初は、院長先生との面談でした。

院長先生は、最初診察を断りました。

「内はそういうガンの治療は約束できませんよ。

どこまで治るか、保証できませんから。

内はアトピーの治療中心ですから。

途中万が一治療が失敗することもあることをよく考えてね。

アトピーは、皮膚で外から見えるものですけど、ガンは体の中のことでどこまで転移しているか、外からではハッキリ見えませんから。

よかったら、大きな病院でそのまま治療した方が良いですよ。」

と院長先生にそう言われましたが、

「私は、先日一度蘇先生に相談しました。

蘇先生を信頼していますから、お願いします。

今日は母も連れて来ていますから、待ってもいいですから、蘇先生に相談させてください。」

と院長先生に頼みました。

本当に、運が良かった、運が強かったです。蘇先生に診断して頂けました。

それから4年間です。

母は、生き永らえました。

この4年間がどれだけ母にとって素晴らしい人生だったか、・・・。

いつも母は、言っていました。

「この命は、蘇先生から頂いた命ですから、蘇先生は自分にとって自分の母のような方です。」

と。
本当にこの4年間は素晴らしい時間でした。

私は、結婚して、子供が2人できました。

2人の孫ができで、お祖母さんになれました。

今まで旅行などできなかったのに、大好きな沖縄と北海道にも旅行することができました。

家族にとって、最後にどれだけ幸せであったか。毎日毎日一日一日を大切に生きることができました。

蘇先生に診断して頂く日でない時は、できれば、中華料理の麻婆豆腐、青椒肉絲等を食べます。

母は、そういう勉強をして、少しでも蘇先生の近くに居たい気持ちでした。

母が書き残した青椒肉絲の作り方、○○が何グラムとメモをハッキリ覚えています。

母は、できれば、診察室で蘇先生と病気以外のことも話しができ蘇先生の近くにいたいという思い
で、中国に関することも勉強して、診察を受けに行きました。

例えば、中国の芸能人のことを勉強して、蘇先生の処に行きました。

しかし、残念でした。蘇先生は、芸能人のことは全く何も関心がなく、その話はできませんでした(笑)。

この4年間、母は、一回も怒ったことがありませんでした。本当の人生の幸せ、本当の人生の優しさを感じていました。心から蘇先生に感謝していました。

最初の半年が経った処で、大きな病院で詳しく検査してもらいました。

そうしましたら、検査の結果を見て、

その大きな病院の担当の医者は、

「たまたま安定しているけれど、次の半年にはどうなっているか、まだ分からない。」

と言いました。

ところが、さらに半年後にまた同じ病院で検査したら、すべて正常値になりました。

担当医はビックリしてしまいました。

そして、
「今まで僕は漢方を全く信用していなかったけれど、漢方スゴイです。僕も勉強しなければならないなぁ。」

と言いました。それを聞いて、私は、大変嬉しくなりました。

蘇先生の存在を患者だけでなく、蘇先生を知らない病院の医者にも伝わりました。

去年、蘇先生に診断してもらうことができなくなった原因は、いろいろと複雑ですけれど、私たちには関係ないです。

私は、トラブルが生じた後、病院に何回も行きました。

しかし、病院はドアを閉めてしまいました。

その瞬間、私は、心を閉めてしまいました。

その瞬間、涙が込み上げて来ました。

その瞬間、母は、もう死んでしまうと思いました。

治療方法はない、この道は全部閉ざされてしまいました。

駅に行くまではパニック状態でした。

電車が来てドアがしまり、母はこれからどうなってしまうのかと、絶望的な気持ちになりました。

せっかく4年間延ばした母の命を、ぜいたくしてあと1年延ばしたい。

蘇先生、どこに行ってしまわれたのですか。

私たちは、このトラブルと関係ないです。漢方クリームは一切使っていません。

院長先生、病院のドアを開けてください。お願いします。

たくさんの患者が助かった、この病院の優しさ、この病院の素晴らしさ、・・・。

いろいろなことを思い出すと、涙が止まりません。このまま家に帰って、母に何を話しましょう。

どういう風に話しましょう。

分かりません。

この4年間で母が蘇先生に頂いた信頼はあまりに深く、あまりに大きいですから、母は、他の病院の他の先生に診てもらう気持ちはありません。

信用することもできません。

もう、決めました。

結論は、蘇先生に教えて頂いたことをその通りにし続けよう、ということでした。

蘇先生に教えて頂いた食事をキチンと守り、蘇先生に頂いた黄色い紙に書かれたツムラの漢方薬の同じ番号を飲み続けることにしました。

それからしばらくして、去年の夏の後に、母は高熱が出ました。

肺炎で入院しました。

ガンが脳にも転移しました。

その時に、もう一度病院に行きました。

やはり、ドアは固く閉まったままでした。

その時は、本当に涙が出ました。

拭けども拭けども涙は止まりません。

院長先生、お願いします。

ドアを開けてください。

蘇先生はどこに行ってしまわれたのですか。

いろいろ教えて下さい。助けて下さい。助けて下さい。

でも何も返事はありませんでした。本当に寂しい、帰る道はなくなりました。

8月から母は、頻繁に入院して、結局上手く治療できませんでした。

とうとう、11月11日に母は亡くなりました。

亡くなった母は、何も辛いことはないような様子で、本当に幸せそうでした。

どんな人生でも残念なことはありますが、この4年間は残念な中にも幸せでありました。

この4年間があれば、どれ程幸せな物語を作ることができると思います。忘れられないです。

母が亡くなってしばらくしてようやく落ち着いて、去年の病院のトラブルの資料を見ました。

蘇先生は、世界一の技能をお持ちの蘇先生ですよ。

どこの病院の先生でも、母の命を助けることが出来なかった。

4年間母の命を延ばすことは出来なかった。

その世界一の腕をお持ちの先生が、どうしてわざわざご自身の開発された薬に「毒」を入れるのですか。

そんなつまらないことをどうしてする必要があるのですか。

そんなことをしないでも、十分力があります。私は、蘇先生を信じています。

私は、「蘇川博先生に感謝する会」のこの場は、唯一心が温まる場です。心の家です。

みんな、自分の細やかな感情を表現しています。蘇先生の存在を強く感じます。とても感動します。

実は、私は、2人の子供の母ですが、乳腺炎を患っています。

母が乳ガンでしたから、自分も乳ガンになるのではないかと心配しています。

どこの病院に行っても、しばらく様子を見て、様子を見てとしか言いません。

私の苦しさは、2つ。1つは、蘇先生に会えない苦しさ、もう1つは、将来の自分の病気に対する不安です。

蘇先生、助けて下さい。

どこに居ますか。

会いたくて、会いたくて、蘇先生、助けて下さい。乳ガンになる前にお願いします。

このメッセージを蘇先生に伝えて下さい。

蘇先生の未病の判断、未病の治療はどれ程に素晴らしいか、私のことをお願いします。

子供はまだ小さいですから、私のことを助けて下さい。

遠い所でも行きます。

私も、母も、天国に行っても蘇先生の愛を忘れません。

しかし、蘇先生にまだありがとうとは言いたくないです。

ありがとうというのは、もう終わるということです。ありがとうでは、ありません。

蘇先生、助けて下さい。お願いします。

私だけでなく、蘇先生に感謝だけでなく、蘇先生に会って病気を治して頂きたい方がたくさんいるはずです。

蘇先生、本当に体のお具合が悪いと聞いています。

体の病気であれば、あなたは自信を持って治せます。

大きなショックが原因で具合が悪くなったのであれば、心配しないで下さい。私たちが応援します。

「感謝する会」のたくさんの人達が応援しますから。




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