相互理解という幻を追いかけるーPoint Noire, Republic of Congo | アフリカさるく紀行

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アフリカ約30カ国を陸路で走破する。オーバーランドトラックによるアフリカ1周さるく旅です。「さるく」とは長崎の方言で、歩いて観て周ることを意味します。


 ガボンのランバレネからは鬱蒼とした木々が茂る道を抜け国境までコンゴ共和国への国境までたどり着きました。この国境あたりから広くリンガラ語が通じるようになります。わずか半年しか履修していないその場しのぎのリンガラ語ですが、全く知らない言語が話される地域と比べて、格段に心理的距離が縮まります。これは私が対話する相手も同じようで、挨拶程度でもその土地の言葉を使えると、一気に距離が縮まる気がします。


国境の小さな村で

 コンゴ共和国一日目はガボンからの出国に時間がかかったため、国境沿いでブッシュキャンプをする予定でした。かくしてコンゴ共和国へ入国して、20分ほど走ったときでしょうか、もともと多雨でぬかるんだ道ですが、見通しが悪い夜道でトラックがスタックしてしまい身動きができなくなりました。今日はここまでか、と思った矢先、たまたま通りかかった大型トラックの運転手がなんともテキパキと牽引してくれ、アッと言う間に抜け出しました。

 この間ものの5分にも満たなかったように思います。ジャングルでの初めてのスタックだったので、メンバーはみんな心配していましたが、あまりにもあっけない脱出でした。脱出の瞬間には近くの村の人も総出で見学に来ていて、大歓声がわき起こりました。私たちはその村の人に案内してもらい、1kmほど先にある村にテントを張らせていただくことになりました。

 “Mbote! Sango nini?”(こんばんは!調子はどうですか?)とリンガラ語で挨拶をすると、”Ee, Ozali Congolais!”(おー、お前はコンゴ人か!)と返事が返ってきます。わずか50人ほどの村人が暮らす村ですが、暖かく迎え入れてくれました。その夜はみんなで中国のアクション映画を見たり、一緒にご飯を食べたりと想定外の出会いを愉しみました。

 アフリカという場所にいると、こうして受け入れてもらえるようなことが当たり前のように錯覚しがちです。しかし、彼らは自分たちの厳しい生活があります。私たちの旅はその生活へと踏み込ませてもらって、ようやくなりたちます。そのため、ときに失礼だったり、無理を承知の上で、彼らにここに生かせてもらっているんだ、ということを強く感じます。現地のルールに無知な私たちが、はた迷惑なことすら多々あると思います。だからこそ、受け入れて頂けることに感謝しなければ、とも思います。

 私たちは知らず知らずのうちに権力をまとっています。私はコンゴを訪れる「力」がありますが、彼らが日本を訪れようと思っても権利はあれど経済的な理由で訪れられません。もちろん、「権力を脱いで」ひとりの人間として彼らと接することができれば、どれほど気持ちが楽でしょうか。しかしながら、私たちは社会の中でカタチづくられた権力から抜け出すことはできません。「権力を脱いだ」つもりになって、対等だと錯覚することは非常に危険ですらあります。

 私と村の人が同じものを食べても、同じ発言をしても、同じものをみつめても、権力は非対称なので、たとえ同じことをしてもその行動自体が表す意味はまるで違います。私はあくまでも「私」であることから逃れることはできません。だから、一番大事なことは自分がどのような権力をまとってしまっているかを見つめることです。

 その権力には薄汚いものや、汚らわしいものだってあると思います。自己嫌悪しながらも、自分の弱さや甘え、依存や無知をひとつずつ見つめることでしか、本当の意味で彼らを理解することはできません。その見つめるきっかけを、見つめる方のヒントを与えてくれるのがアフリカに暮らす人々だと思います。私は多くの人に支えてもらって、またリスクを与えながら勉強させてもらっています。いつも真摯に心から感謝して、それが相互理解への第一歩だと思います。


 
中国人27歳5カ国語話者週休二日長期休暇あり

 村を後にして数日。大西洋を海岸沿いに走って、コンゴ共和国最大の貿易港であるポワントノワールを訪れました。人の熱気溢れる市場を抜けて、海岸までおよそ1kmになると一気に風景が変わります。植民地時代に建造されたという駅舎を通ると、豪邸やリゾートホテルが立ち並びます。まさに別世界という感じです。浜辺から海を眺めれば巨大なタンカーや石油採掘のための掘削機、パイプラインが異様な存在感を放っています。

 テントを張ってしばらく、くつろいでいると「こんにちは」と日本語で声をかけられました。Yさんと名乗る中国人男性は、敬語まで完璧に使いこなします。彼は中国の国営石油会社で27歳にしてエリアのトップを任されているそうです。中国語、英語、仏語、ドイツ語そして日本語を流暢に操る彼は3年前にコンゴに来たのだそうです。当時は自分ともうひとりしか在ポワントノワール社員はいなかったが、石油採掘権を勝ち取ると一気に中国から社員が押し寄せるといいます。彼はその採掘権を勝ち取り、今や多くの社員を抱えるエリアのリーダーになったそうです。

 仕事の内容を聞いてみると、接待が忙しく、夜な夜な食事会があるそうです。仕事は忙しいけれども、週休二日は確保されており、半年に一度ひと月の帰国休暇(飛行機代は会社持ち)があるそうです。以前、日本の会社で働いていたことがあるそうですが、もう一度日本の会社で働きたいかと聞くと、こっちの方がずっと給料がいいし、しんどくないからいいとのことでした。また、中国は大気汚染がひどくて住めないよ、と一蹴していたのも印象的でした。

 日本ではどんなにエリートでも27歳が海外事業所のトップを任されることなどさらさらないと思いますが、中国はそれをしかも国営企業でさらりとやってのけています。能力がある者から次々に人材をつぎ込む中国型戦略の強みが見えた気がします。

 話しの最後に一番大変なことは何かと聞くと、ライバル会社との入札競争と言っていました。「どこがライバル会社なの?」と聞くと、「全部中国の会社だよ。中国人はみんな敵だよ。大変ね。」と言っていました。日本や欧州の企業は技術はすごいが、入札ではもっぱら中国企業との争いが主だと困り顔で述べていました。

 アフリカにおけるめまぐるしい中国の進出に関しては、欧米や日本、そして現地の人々からは「新植民地主義」といって批判を受けているが、ザンビア人経済評論家のダンビサ・モヨは「アフリカの付き合い方は欧米より中国が正しい」と言い切ります。中国は植民地のように政府を乗っ取る気はないし、経済にしか興味がない。そして、中国人労働者がアフリカ人から仕事を奪っているというが、それもどうも根拠がない。中国の進出を揶揄するのは出遅れた欧米の偏見であると喝破します。(日系ビジネスオンライン「アフリカの付き合い方は欧米より中国が正しい」ザンビア出身エコノミスト、ダンビサ・モヨ氏に聞く

 彼女はある意味正しく、ある意味間違っていると言えると思います。正しいというのは、経済学的側面から見て正しいだろうということです。中国は実に効率よく国家レベル、企業レベル、民間レベル、インフォーマルセクターのレベルまで関係を築きアフリカに入り込んでいます。そして、日本も含む欧米が行ってきたこれまでのアフリカ援助が効果的であったかというと、そうとも言えない現状があります。これらの点で彼女に返す言葉はありません。

 では、間違っている点は何か。彼女が述べなければならない、社会的弱者への言及が皆無であることです。ここでいう社会的弱者はアフリカの国家ではありません。経済学という数字が大切な学問だからこそ忘れてはならないのが、毎日草を刈ったり、ウシの世話をしたり、種を植えたりしている人々の存在です。私は実際には駆け足でしか旅をできませんが、それでも強烈なスコールや無数にまとわる蚊、草まけしたり、泥沼に足を取られたり、そんな経験をしてきました。そして、どれほどひとつの作物を作るのが大変なのか、そしてさらにそれを売るのが大変か、と途方もない彼らの労苦が実感としてわかったとき絶望に近いものを感じました。

 確かに国際競争の論理と国家(あくまでも国民ではありません)の成長のためには中国型戦略はアフリカにもたらすものがあるでしょう。しかしながら、本当に国を支えている多くの人々についての思いを忘れると、全てはアフリカから持ち出され、後の祭りになってしまうかもしれません。Yさんはもちろんのこと、アフリカ各国に君臨するリーダーやエリートたちは、ひとつの作物を作り、そして買ってもらう、という絶望に近い労苦をどれほど知っているのでしょうか。私ごときの経験では、とうてい胸を張って知っているとは言えませんが、それでも、想像を絶する労力が必要とされることは容易に理解できます。


 私が主張することが経済学の文脈でどのように捉えられるかはわかりませんが、人間の存在を見失った学問はあまりにも脆弱だと思います。私は、自分が一緒に暮らしていきたい人々のために、学問の力を使いたいです。社会的な評価を求めるのではなく、大切な人の心と共鳴できるような、そんな学問ができるようになりたいです。