万教一源の探求(その74)・「全国戦没者追悼式」 | げんきにたのしくのブログ

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67回目の「終戦記念日」のことし8月15日、全国戦没者追悼式が日本武道館で行われました。式場中央には、「全国戦没者之霊」の標柱が設営されていました。

昭和27年の政府主催第1回全国戦没者追悼式では、「全国戦没者追悼之標」でした。調べてみますと、昭和49年までは「全国戦没者追悼之標」、昭和50年から「全国戦没者之霊」になって、ことしに至ることがわかります。

標から霊に替えたことに関して、国会では次のような討議がありました。

昭和51年8月12日の参議院内閣委員会における参議院議員野田哲氏と内閣官房長官井出一太郎氏の間でのやりとりです。


○野田哲君 八月十五日に行われる式典ですね、あの正面に表示される、従来は「戦没者之標」という表示をされておった、あれが去年突如として「戦没者之霊」、こういう表示に変わりました。これはいかなる理由によるものなのですか。
○国務大臣(井出一太郎君) これは厚生省の関係者がおりますれば一番明確にお答えできると思いますが、従来八月十五日、この記念をいたすべき日を卜してずっと行事をやってまいりましたことは御指摘のとおりで、これはまあひとつ定着をしておるわけだと思います。で、そういう場合に、「標」という字でございますね、この従来使ってまいったものを「霊」という字に置きかえた。あるいは宗教的にこれに対して議論がないわけではないと思いますが、これは国民一般の常識からいたしますれば、「戦没者之霊」ということは、むしろこの方が常識にかなうと申しましょうか、「標」というのは何か無理があるのではないか。大方の世論も、むしろその方がふさわしいというふうな声もございまして昨年そういうふうに変更をして儀式を行ったと、こういうふうに私は承知をしておるわけでございます
○野田哲君 官房長官、これはね、大方がそうだからそうしたということでは困るんです。困る。憲法の規定からいっても、これは宗教信仰の自由という侵すべからざる規定があるわけですからね。少数の人が信仰している宗教、思想であってもこれを否定してはならないんです。そうでしょう。多数の者がいるからそれによるんだということであれば、少数の信仰、これを否定することになるわけです。そうでしょう。この「標」というのを最初に使ったときは、「霊」というのも出たけれども、「霊」というのは、大方の者がこれでいいんじゃないかと言われても、これはやはり特定の宗教的な用語、使い方になっているんです。だから現に日本宗教連盟理事長の方から八月一日に厚生大臣あてにも、こういうやり方は困ると、こういう要請書が出ておるわけです。もともとスタートのときに、これは日本国民全体が合意し、国民全体の、どんな宗教の人も合意されるべきものとして政府が主催をしていくということで、「霊」という案もあったのを「標」という形でずっと今日まで続いてきた。三木内閣になって、去年初めてこれをいきなり「霊」という字に変えられた。これに対しては、去年もことしも宗教団体から政府に対して抗議や要請が行っておるわけです。ということは、つまり抗議や要請をする団体、あるいは別の宗教を信ずる人、こういう人の立場というものをないがしろにしているということになるんです。変更する意思はありませんか。もとへ返す意思はありませんか。
○国務大臣(井出一太郎君) 慰霊という、霊をなぐさめるということは……
○野田哲君 その「霊」というのを使わない宗教もあるんです。
○国務大臣(井出一太郎君) まあ宗教を離れて慰霊という言葉は全体に共通する一つのコンセンサスがあるのではないかと、こういうふうに考えるのでございまして、これが宗教的な式典というふうにわれわれは理解をしておらないわけでございます。あの場所において、無宗教といいますか、そういう形でやっておりまするので、まあ今日これは国民的コンセンサスが得られておるのではないか、こう考えておりますので、十五日に迫ってはおりますが、ここで変更するという考え方はございません。
○野田哲君 官房長官、言葉じりじゃないけれども、宗教的でない行事としてやっているからいままで「標」という字を使われていたんですよ。「霊」というものは使わない宗教もあるんです。だから「霊」という字を使ったということは宗教的になったということなんですよ。そのことを指摘をして、これはやはり検討されることを強く要請をして、私時間も参りましたので終わります。

(インターネット検索「第077回国会 内閣委員会 第2号 昭和51年8月12日」による)


国として戦没者の追悼を行うことは宗教行事か否か。そして、日本という国は、政治ないしは行政と宗教はいかなる関係にあるべきか。

更には、日本人にとって、人間界と超越界との関係はいかように認識されているか。

国民はそれぞれにいろいろと分業と協業をやって国家を形成しているのですから、国民のだれもがこういうことに手間暇をかけてはいられないのは当然です。しかしだれかが、こういうことについて、真剣に取り組む必要があると思います。そして、みなさんいかがでしょうか、と提案や問いかけをする必要のある課題だと思います。当然、教育の問題でもあります。公正と公平を維持しながら、逃げることなく、取り組むべきです。なぜなら、日本人は誰しも、生と死、日本の歴史と未来について、他人事ではいられないからです。

現行の日本国憲法はいかなる状況で成立したものなのか、そして、現世代の日本人は、自分たちばかりでなく将来世代のために、いま、何をすべきか、ど

のような自前の憲法をつくるべきか、取り組むための機は熟しているし、差し迫

った課題にもなっていると思います。