父と波とありがとう
私事を綴る。
先月末に父が逝去した。
父の人生は一体なんだったんだろうと思うことがある。
自分がまだ小さい頃に発病し体の自由が徐々に奪われる難病。
自分はそんな事実を受け入れる術もないまま大人へとなった。
正直、父親との記憶はわずかしかない。
キャッチボールやサッカーをした記憶もなければ思春期に喧嘩をした記憶もない。
父の病が遺伝性の難病と知ったとき。
自分も父と同じように徐々に体の自由を奪われるかもしれないと知ったとき。
自分はすべての事実を否定したいが故に父をシャットダウンした。
それから何年たっただろう。
火葬場へ出棺される前の最後の別れ。
正直どうお別れをしていいのかわからなかった。
父の額に手を置き大きく息を吸い。
そしてゆっくり息を吐いた。
すると。
「ありがとう」
という言葉が不意に出てきた。
前にも後にもなんの飾りもない。
ありがとうという言葉だけが出てきた。
その時に自分は父親から大きな大きなものを教えてもらっていたことに気づいた。
やりたいことはできるときにやる。
動かせる体があるなら前に進む。
そして人生は一度きりということも教えてもらっていたんだと気付いた。
言葉や行動で何かを示すことができない父が教えてくれた大切な大切な事。
そしてそれを最後の最後に理解できたのかなと、そう思う。
「ありがとう」
父との別れの数日後にまたその言葉が不意に出た。
ちょうど父が荼毘に付されている時に発生した台風は季節外れのルートをたどって
太平洋を北東に進み以前のホームポイントにうねりを届けてくれた。
実家に置きっぱなしになっていた古いサーフボードを引っ張り出し海に向かった。
久しぶりに着いたそのポイントは昔も今も何も変わっていなかった。
思えばここの波とは、悲しい時も嬉しい時もすべての感情を分かち合ってきた。
今回もまた、なぜか自分の人生節目の時には必ずこの場にいるような気がする。
不思議なほど優しい波だった。
何かを語るわけでもなく
何かをするわけでもなく
人が呼吸をするかのように、自然にその波は押し寄せてくる。
父と同じだと思った。
そしてまたこの波にいつか会いたい。
と、そう思った。
一期一会 一波一会 合掌