あ~、来て下さるかなぁ~。
えっと、今日はお釈迦様とお話ししてみようと思っています(^^)
とはいえ、現在のお釈迦様の魂本体は、すでに非常に高い次元にいらっしゃるようでして、繋がっても深い瞑想状態のエネルギーを感じるだけで、言葉を発することがありません∑(゚Д゚)
なので、今までお釈迦様と繋がりはするものの、ブログに登場していただくことは出来なかったのですね…(;^ω^A
ただ、最近はセッションを通して、2500年前に人間として生きていらっしゃった頃のお釈迦様の魂と繋がることが多くなりました。
当時ご縁があった人が、もう一度お釈迦さまから言葉を貰うということが何度かあったのですよ∑(゚Д゚)
そして、この過去のお釈迦様の魂は、やはり肉体を持っているせいか、現在の魂よりも人間的で、お話ししやすいのです(^^)
お釈迦様の素晴らしいところは、難しい言葉や断定的な言い方ではなく、誰でもわかる言葉で優しく心の深いところに語りかけてくれるところでしょうかね~。
いろいろなことを、優しくわかりやすく説いてくれます
(ただ例によって存在の魂の清らかさは確認するものの、本人かどうかというのは断定しようがありません。
一応エネルギーとお姿を見て、本人らしいとは推測していますが、あくまで僕の感覚を根拠にした判断ですので、内容はご参考程度にご覧くださいね(^^))
では、登場していただけるかなぁ…。
お釈迦様ぁ~(* ̄Oノ ̄*)
お釈迦様「どうも。
そして、読んでくださっている皆様、はじめまして。
ご縁を頂き、嬉しく思います。」
わぁ~、お釈迦様だぁ~(*^O^*)
あったかくて、素敵な雰囲気ですね~。
お釈迦様「ありがとう。
あまり堅苦しくならず、気楽に話したいのですが、大丈夫ですか?」
はい、よろしくお願いします(^^)
お釈迦様「私は2500年前から、この時代をずっと見てきました。
この時代は、ある意味末端の時代であり、全ての在り方の結果が出てくる時代でもあります。
私もそのことを感じていました。
ですから、私の当時の在り方も、今のこの時代を意識して変化してきた部分があるんです。
自分の言葉や、在り方が、ダイレクトに未来に影響を与えることを知っていました。
なので、よく考え、関わる人、未来の人のために心を砕いて生きてきました。」
お釈迦様は、2500年前から僕らの今の時代を感じてて下さったのですね~∑(゚Д゚)
それって、なんか考えると不思議です。
そして、今こうしてお釈迦様の話を聞けることは、とっても貴重な体験だなぁと思います(^^)
なんだか、心がワクワクしていますよ♪
ぜひ、いろいろ教えて下さいね。
お釈迦様「私が言葉で教えられることはないのです。
それよりも、私の言葉から、受け手が自分で気付くことが宝なのです。
私はその宝をどのようにして届けられるかをずっと考えていました。
周囲の人達、愛する人達にどのように届けられるだろうと…。
そして、やはり答えは一人一人違うのです。
この在り方が正しいというのは、個人レベルではあります。
ですが、集団レベルではあり得ないことです。
ですから、やはり一人一人の心に耳を澄ますということは避けて通れないのだと気付きました。
ただ、一人に深く伝えることが出来れば、二人目からはもう少し優しくなることにも気付きました。
不思議なもので、心と心は繋がっているのです。
赤の他人の様に見えて、私を通して、縁を通して全ての人の心は繋がっています。
ですから私は人の心に耳を澄ます手間を惜しみませんでした。」
個人的に、お釈迦様がすごいなぁと思うのは、その部分なのですよね~∑(゚Д゚)
人の心の闇を真正面から見つめていらっしゃるでしょう?
しかも、それだけでなく、最も闇の深い人に進んで会いに行かれてますよね?
それも一度や二度ではなくて、村を移動するたびに、何度も何度も…。
そして、深い闇を抱えた人を必ず改心させて、仏門に招き入れるということをされていたんですよね。
そんなこと、普通は出来ないことですよね(;^ω^A
僕がやろうとしても、いざとなったら、ビビってとんずらしますよ(笑)
お釈迦様「心の奥にわずかな恐れは、私もありましたよ。
ただ、それ以上に、相手の心の深い苦しみを感じるほどに、私の中から大きな大きな慈悲が湧いてくるのです。
それは自然発生的なものなので、私自身も止めることはできません。
そして、その人に何ができるかすらも、わからないのです。
私はただ、溢れる慈悲のまま相手にぶつかっていくしかありません。」
そうなんですね~∑(゚Д゚)
今の世では、悟りを得た人の中には『人に愛や慈悲を開かなくてもいい』という人もいますけど?
お釈迦様「悟りという体験を重視するのであれば、そうです。
だから、私も俗世に関わらず、まずは孤独を楽しみなさいと弟子たちに伝えました。
そうして、私と一緒に乞食としての修行を続けるうちに、少しずつ悟りを得るものが増えていったのです。
しかし、それがゴールではなく、始まりなのです。
私もそうでした。
私が最初に悟りを得たのは、2500年前に転生するよりも、ずっとずっと昔(の過去世)のことでした。
その時の私は、他者に心を砕くことの大切さをよくわからなかったのです。
ただ、自我を手放し、大いなる愛に身を委ねた時に、自分自身も愛そのものであることを理解しました。
しかし、そのことをいかに情熱を込めて伝えようが、驚くほどに人に伝わりませんでした。
ですから、そこから少しずつ慈悲の実践をせざるを得ませんでした。
それによって、はじめて相手の心に響く言葉と在り方を磨けることを知りました。
今の世では、慈悲の実践をする人が少しずつ増えてきていますね。
私が昔悟りを得た時も、そうでした。
人の心は今よりもずっと素朴で、慈悲を持ってあたたく人に接する人がたくさんいました。
私自身、そういう人に救われてきました。
悟りという翼が人を救うのではなく、そこに慈悲という両手を持つことで、はじめて闇に染まった人の心をあたたかい大空まですくい上げることができるのです。」
ほぉ…、そうすると、悟りを体験した時に満たされる『愛』と、人との関係を通して溢れてくる『慈悲』とは別物ということになりますか?
お釈迦様「質としては、非常に似たものですが、それを開く道が違うのです。
そして、悟りと慈悲の両方の道を収めることが、大切であると私の仏門では説いています。
私は皆の心に手を当てるかのように、あたたかさを持って伝えることを大切にしています。」
あ・・・・。
今お弟子さんに、お釈迦様が言葉を伝えている様子が見えているのですが、伝え方が、とっても優しいなぁって感じがするんですよ(^^)
上から説教するわけでもなくて、それでいて取り繕った優しさで相手を気付かせようとかするわけでもなく、心フルオープンで相手を受け入れながら、相手の気持ちを優しく見透している感じがします。
お釈迦様「大切なのは言葉ではなく、優しさであり、微笑みであり、相手を肯定する雰囲気なのです。
人に伝える時は、それが一番に大切にされることであると、弟子たちにも伝えています。」
でも、傲慢な人の場合は、肯定するだけだとますます増長することもあると思うのですが?
お釈迦様「そうですね。
でも、こちらが真剣に相手を見つめれば、相手も私の真意を理解してくれます。
大切なのはこちらの心構えです。
相手を説き伏せようとしても、それでは、本当に救うことはできません。
『救う』とは、相手の心の奥深くにある痛みに慈悲の手で触れ、肯定的な意識領域へと『すくい上げる』ことだからです。」
なるほど…∑(゚Д゚)
言葉で相手を矯正しようとすれば、たとえ表面的に相手が変わったとしても、潜在的な心の問題を解決することはできないから、あくまでも相手の心の深い部分に、肯定的な眼差しを向け続けるわけですね。
すごいなぁ…、僕だったら傲慢な人とは普通にケンカしちゃいそうですが(笑)
お釈迦様「いいんですよ。
それが悪いとは言わないのです。
ただ、人の世ではそうしてカルマを大きくしていくもの。
ですから、誰かがどんな問題も、どんなカルマも堂々と受け止めなければなりません。
あなたもそういう決意で活動しているように見えたので、縁を持たせて頂いたのですよ?
相手を変えようとするのではなく、乞食であろうとする心をあなたから感じました。」
おお~…(;^ω^A
もったいないお言葉です…。
でも、僕はお釈迦様の様に、徹底して乞食になれるわけではなくて、仕事の時に黒子になろうとしている程度です。
足元にも及びませんよ…。
お釈迦様「ですが、あなたなりに一生懸命なのは伝わっています。
なかなか、その点において私の教えを理解してくれる人は少ないのです。
ですから、今日は記念すべき日です。
これから、少しずつ話し合いを深めてまいりましょう。
私なりに、あなたの時代をもう少し究明して、価値のある情報を届けられたらと思っています。」
おおぉ…、お釈迦様ぁ、ありがたいお言葉です(*´Д`*)
僕も話してて楽しいので、これからもどうぞよろしくお願いしますね(^^)
いやぁ、不思議ですがなんだか心がとっても穏やかであたたかな感じです
お釈迦様の生き方は、時代を超えて人の心を打つものがありますね~(´Д`)
これからは、お釈迦様にも登場して頂いて、じっくりと話し合いを深めていけたらと思います
ご覧くださりまして、ありがとうございました