2016年 夏の記録、前回の続きです。

退院すると決めてからも心は不安なまま。
抗がん剤治療を受けるか受けないか、決断できずにいました。

ただ突然の発症から高速ベルトコンベアーに乗ってここまできて、自分の命に自分で責任を持ちたい、とよく思うようになりました。

「念のために、予防的に」行うなら

「経過観察は勧めない、けど他の病院ではどう言われるかわからない」って言うのなら

「抗がん剤治療をしてもしなくても、健康に生きる人と再発する人がいる。それは誰にもわからない」って言うのなら

聞けば聞くほどやらなくてもいいんじゃないかなと思ったり。

でも本当にそれで大丈夫かな、私全摘手術してない。やった方がいいのかなと思ったり。
の繰り返しです。

家族や親戚は抗がん剤治療を望んでいました。「やりたくない」と弱音を吐けば、みんな否定はしないけど困ったような顔をします。

ああ私は先の見えない病気になってみんなに迷惑をかけて、その上自分のエゴでわがままを言って困らせて。何やってるんだろうと悲しくなりました。

同時に私が「生きて」さえいればいいの?私の心は、QOLはどうでもいいの?と腹立たしい気持ちにもなりました。

もちろん誰にも悪気はないです。

看護師1年生の女の子は、「私ならやる、生きたいから。生きよう、生きよう!」とベッドに座り泣いてる私の手をとり、同じ目線に立って寄り添って励ましてくれました。

(看護師さんの献身的な看護、やっぱり今思い出しても泣けますぐすん

先生は緊急入院も緊急手術も、死亡率の高い合併症が見つかった時だって、いつも瞬時に適切な判断で治療してくださっていたのに、どうして治療方法の選択を素人の私に迫るんだろう。

よくわからないまま命を預けるのがこわかったです。

ただありがたいのは、告知を受けて一度は抗がん剤治療に同意したのに、明日からでも、明後日からでもすぐに始めよう!という話しだったのに、私が泣いてばかりいたから治療を見送ってくださっていたことです。

当時の正直な気持ち、楽しいblogじゃないですねあせる気分を害する方がいたらごめんなさい。
けっこう勇気をだして書きました。
読んでくださってありがとうございます