うちの弟はふざけた顔をしている。

どのくらいふざけているかというと、小学校の時通っていた公文の先生が真顔で
「××くんは、柳沢慎吾に似てますね・・・」と指摘したくらいだ。

しかも申し訳なさそうに。



みんなで食べるとおいしいね



残念ながら今でも似ている。

でも、顔はふざけているが案外優しい。

4,5年前、おじいちゃんが簡単な手術をするために、2週間ほど入院したことがあった。


当時はまだおばあちゃんのアルツハイマーがそこまで進んでいなかったので
おばあちゃんは毎日一人でバスに乗って、おじいちゃんのお見舞いに行くことが出来た。

そこから30分くらいの所にある職業訓練校に通っていた弟は、
学校が終わると、毎日おじいちゃんの入院している病院へおばあちゃんを迎えにいった。


そしておばあちゃんを家まで送り届ける。
おばあちゃんは弟のためにご飯を用意してくれて、晩ご飯を二人で食べる。

そして弟は帰宅する。

おじいちゃんの入院がとても寂しかったおばあちゃんは、
そうして弟が毎日自分を迎えに来てくれたことが嬉しくて、
アルツハイマーの進んでしまった今でも、その時のことを良く覚えている。

家族の写真を見ているときは、いつも弟の顔を人差し指と中指でこすりながら
「あきくんはいい子だもんね」とうなずきながら何度も言っては
当時のことを思い出し、また涙を拭く。


以前そうしておばあちゃんが泣いていた時に、横に座っていた弟に向かって
「顔は気持ち悪いけどね。ププ」と小さい声で言ってみたら、
耳のやたらいいおばあちゃんには聞こえてしまい、泣きながら
「気持ち悪くなんかないよ!!!」と必死に弟をかばった。


ごめんごめん、おばあちゃん。
そんなつもりじゃなかったのよ。

ちょっとためしに言ってみただけなのよ。

こいつは常に金欠で、超自転車操業的暮らしを実践していて、
吹けば倒れるような経済状況を長いこと続けている。


しかしながら案外優しいので、毎月一回は父親を焼肉屋さんに連れて行く。

二人ともお酒が飲めないので、ひたすらお肉を食べて1万円くらい払う。


少ない余裕の中からも、それを一番身近な存在である、
親に使うというのはなかなか偉いなぁっていつも思う。

人間、何より一番身近な人を大切にしなければいけない。
まずは育ててくれた親に感謝をしなければいけない。

最近は私もよくその焼肉の会に呼ばれる。

「姉ちゃんも是非ご一緒にどうですか」などと言われるが、
連絡してくるのは費用を半分負担する相手を探しているからに他ならない。


大体あいつが敬語を使うときは頼みごとがある時、と相場が決まっている。
でも、行くと毎回お腹がよじれるくらい笑って笑って笑い倒す。


私は一人日本酒なども飲んでいい気分で帰って来る。
つまりとても楽しい。


昔国語の教科書で、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」という詩を習った。
戦争に行く弟のことを詠った詩で、中学校の頃だったか高校の頃だったか
この詩を習った時は、衝撃を受けた。

長い学生生活の国語の授業で習った中で、最も印象に残っている詩だ。


自分に弟がいるので、余計にもし弟が戦争に行くことになったら??
などと考えると色々想像してしまう。


与謝野さんのこの詩を歌ったときの気持ちがあまりにクリアに想像できる。
悲しいと表だって言えない時代に与謝野さんは、
実の弟が戦争に行く姿を見ながら何を思ったんだろう。


本当は叫びたいくらい悲しんでいる母や義理の妹を見るのは、

どんなに辛かったんだろう。

その全てを受け入れなければならなかった時代の残酷さを思う。
心がえぐられるような苦しみを味わったに違いない。


というようなことを、近所の電信柱にあるこの絵を見るたびにいつも思う。
マイバッグ持参を心がけます。



みんなで食べるとおいしいね