心臓と腎臓を悪くして、
92歳のおじいちゃんが40日ほど入院していた。
おばあちゃんはアルツハイマーなので、なんでもすぐ忘れてしまい、
新しいことはほとんど覚えられないけれど、
おじいちゃんが入院しているということはちゃんと認識していた。
そして、今か今かとおじいちゃんの退院を心待ちにしていた。
やっとおじいちゃんが家に帰ってきた日。
病院からマンションに着くと、おばあちゃんは外に出てきて待っていた。
とびきりの笑顔で「おかえりなさい、おかえりなさい」といっていた。
おじいちゃんは足が悪いので、
玄関で靴からスリッパに履き替えるのに時間がかかる。
おばあちゃんは、じっとその様子を見ていた。
そしてついにおじいちゃんが家の中に入って、
やっと自分の家におじいちゃんが帰ってきたのを見た瞬間、
おばあちゃんは、玄関にある下駄箱の上に突っ伏して、大きな声で泣き出した。
子供みたいに大きな声で、泣いていた。
おじいちゃんがいない間、きっと本当に寂しかったんだ。
おじいちゃんにもしものことがあったらと思ったら、不安で仕方なかったんだ。
今でも毎日毎日、おじいちゃんみたいな人と結婚できて幸せ、
ありがたいありがたいと言っているおばあちゃんにとって、
きっとおじいちゃんの入院は、寂しいを通り越して恐怖だったんだ。
おばあちゃんがあまりに大きな声を出して泣いているのをみて
本当はおばあちゃんをぎゅっと抱きしめてあげたかったけど、どうしても出来なかった。
色んな気持ちが入り混じって、胸が苦しくなってしまって
今、おばあちゃんをぎゅっとして慰めたら、
おばあちゃんが私の胸で泣き続けたら
私は自分の気持ちがうまくコントロールできなくなってしまう気がして
私もおばあちゃんのように、泣いてしまう様な気がして
ただ、おばあちゃんが泣き続けるのを、涙をこらえながら見ていた。
大人になると、気恥ずかしい気持ちが大きくなって、
人の前で泣くことはほとんどしなくなった。
涙が出そうになっても、なんとかこらえるようになった。
でもおばあちゃんは、大切な自分の夫が無事に退院できたことが嬉しくて
人目もはばからず、本気で泣いていた。
その後もしばらく、いつもの椅子に座ってテレビを見ているおじいちゃんを見ては
タオルを顔に当てて、泣き続けていた。
ほとんど耳が聞こえないおじいちゃんは、そんなおばあちゃんを愛おしそうに、
にっこり笑いながら見ていた。
92歳と90歳になっても、こうやってお互いのことを大切にいたわりながら、
支えあって生きていける夫婦って、美しいと思った。