主観的映像記録写真 | office894のブログ

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土門拳賞受賞写真家故砂守勝巳の軌跡を辿ります

写真は現代社会において欠くことのできない重要な位置をしめている。
現実世界の様相を記録し、視覚的情報を伝達することは、印刷メディアや電子メディアを媒介に大きく発展を続けている。
自分の今までの人生で、決定的な映像記録だと思う写真は、「自分がこの世に出て来た瞬間」をとらえた写真である。
ここにあげる写真は、雑誌の企画と「現代写真の系譜2」展(新宿ニコンサロン・東京)で発表した「二十歳」という題名の一連の写真だ。
これは、わたしがうまれた瞬間の写真から二十歳になるまでの写真を数枚選んで掲載・展示したものである。

昨今のデジタル機器の発達にともない、親が我が子の生まれおちる瞬間に写真、動画撮影することはよくみられる光景だが、今から30年前には決して一般的なことではなかった。
その、私にとっての映像記録の原体験はうまれた瞬間から始まり、それを撮影したのは父親である。

私の父親は1996年に写真集「漂う島 とまる水」(クレオ刊)で第15回土門拳賞と第46回日本写真家協会新人賞を受賞した写真家砂守勝巳(すなもりかつみ1951年9月15日―2009年6月23日)という人物だ。

若い頃の仕事は、1981年に新潮社から創刊したばかりの当時の新たな写真メディアであった、写真を全面に押し出したスタイルの写真週刊誌「FOCUS」を筆頭に、「FRIDAY」「アサヒグラフ」等のカメラマンとして写真を撮っていた。
それらの写真週刊誌のスタイルは、1980年代に於ける日本のフォトジャーナリズム、特にスポーツ新聞の紙面構成に大きな影響を与えた。激しいスクープ合戦は、時に脱法行為による撮影や、取材対象者のプライバシー侵害などの問題を引き起こし、非難の対象ともなったこともある。
しかし、現在では多くが休廃刊に追い込まれている。

賞を受賞してからの父は、元々の希望であった「アートとしての写真作品を創る」という行為と向き合い始めていた。晩年は古寺や仏像、景色、作家の肖像などを撮っていた。
その父の写真原体験は、父の父がいつも首からさげていたローライ・コードという二眼レフカメラで撮影する家族とその風景写真だった。
今、父の写真人生を俯瞰してみると、写真の社会メディアとしての役割が過剰に加熱し、終焉を迎え絵画としての視覚表現に移行して行く中で、原点にあったのは、ゆるぎなく家族の日常を切り撮ることだった。

昨年父が他界するまでの私の29年間の人生は母の子宮からこの世界に出て来た瞬間から父の手によって記録され続けていた。
その数は仕事写真と同じく膨大であったが「写真」というものがあまりにも自然な姿で日常にとけ込んでいたのであらためて意識することはなかった。

父が昨年他界してから、初めて、わたしの写真に対する心がにわかに騒がしくなってきた。
発端は父の遺した膨大な写真たちを後世にどのようにのこしていけばいいのか、という気持ちから、そもそも写真の歴史とは?カメラとは何か?という根本的な部分に考えがおよんだ。
父の写真を年代ごとに分別し、湿気から守るために防湿庫に保管する事務的な作業から手さぐりで「写真」という文化に触れはじめた。

私は父が他界する前3年ほど、写真撮影の助手として父の仕事を間近で見る機会を得たが、いわゆる師弟関係のように言葉や教科書で技術を伝達するようなスタイルではなかった。私は父の構図や露出を盗み、父は私の撮った写真に対してアドヴァイスをくれた。

自分がうまれたときから父は写真を撮っていて、家族は父の被写体でありつづけ、それが生き方でもあった。
家族は、父の仕事写真とともに多く遺した家族写真を別々に保管し、作品ではない写真としていた。作品と認識するには、あまりにも生活の一部であり自然すぎたからだ。しかし、様々な文献を読みすすめるうち、こういった家族の肖像写真は作品であるのではないかと感じはじめた。

思い返すに、父は、家族のスナップであっても仕事のときと変わらず神経をとがらせてシャッターをきっていた。
撮影シーンを想定し使用するカメラとフィルムを選び、レンズを念入りに掃除して準備をする。構図を丁寧に選び、切り撮った光景の中の一枚を、現像していた。
家族の集合写真もあれば自然な様子をとらえたものもある。受け手(被写体である家族)は父の写真に対する姿勢に今まで気づかずにいたが、父の態度を通して自分の写真表現や写真の在り方について考えるきっかけとなった。

現代の私たちのまわりには映像があふれている。「撮影」行為は、特別なことではなくカメラはもはや一人一台の時代である。記録や報道といった社会的責務から放たれ思い出の為の写真・芸術としての写真等、と裾野を広げていき、個人の撮影意義や目的も様々だ。
1つのカメラというシステムのもとに使い手によって技術と表現の幅は無限に広がる。デジタル写真の登場により再現性・融通性・利便性・経済性・保存性等の利点が加えられ、人々にとって映像体験はより身近なものになった。

そんな中で私にとっての決定的な映像記録の原体験は、父のまなざしの先にあった家族のドキュメンタリー写真である。