よく、
「砂守さんの遺稿はあるんですか?」
と質問される。
あれは確か2006年位だったか
沖縄の父の家にあてもなくだらだらと滞在していた
いつもの夏のヒトコマ。
「お父さん、文章を書いたんだ。お父さんが死んだら探してお母さんと読んで笑ってくれよ~。」
「お父さん、遺書を書いたんだ。お父さんが死んだらここにいれとくからな~。鍵はこれ。」
なんだか変な父だな。と思った。
そういえば少し痩せてるし、
夜、桜坂に飲みに行く時だって一杯飲んでは店を替え、5.6軒はしごして回る。
最後の方は酔って訳がわからなくなっているので
通りかかった店のドアをバタンと開け放しては
走って逃げていた。
いたずらをしている“桜坂の寿Ree”である。
そんな飲み方を毎晩しているのかと思うと
心配になった。
当時の会話を鮮明に覚えていたので
遺稿を探してみようと思った。
父はきままに一人暮らしを楽しんでいたので
亡くなった後は
まず最初に現地に赴き、引っ越し荷物をつくるところから
遺品の整理が始まった。
多趣味な父の荷物は
膨大だった。
琉球新報社で一年間にわたり〈レンズ眼〉というコラムと写真の連載をしていたのだが
それとおぼしきフロッピーと、
“レンズ眼NEW”
とかいてあるフロッピーがでてきた。
NEWとはなんぞや?
新聞には掲載されなかったother原稿の意???
父の言う“書いた文章”とはこれのこと?
ワープロも出て来た。
しかし電源コードが見つからない。
なかなか目的地に辿り着けないのが宝探しの面白いところだ。