仕事のついでにライブならぬ、ライブのために仕事を入れたのは、この地で今年の吉川晃司の夏がスタートすると知ったからだ。
もみじ饅頭の街
お好み焼きの街
カープの街
たくさんのロックスターを輩出した街
そして、、、原爆の落ちた街
広島。
「平和を祈る」といった、曖昧で薄い感覚では無い。
反戦・反核でなくてはいけないという、歴史と、戦後教育の断片が街のあちこちにまだ存在する。
原爆ドーム、平和記念公園という名前には永遠に忘れないよう刻まれた悲劇への、ある種の脅迫観念を感じる。
そして、この街で吉川晃司は生まれたのだ。
広島港にほど近い修道高校で青春を過ごしたという。
吉川晃司の母校を今回訪ねてきた。
路面電車を降り数分の場所にその学校はあった。
瀬戸内海の海風を背に自由奔放に育ったのだろう。
行きつけだというお好み焼き屋にも足を運んでみる。
あいにく、いっぱいだったが、昨年からのカープの盛り上がりもあって、街にはカープの帽子やシャツを着た子供たちでいっぱいだった。
無邪気に走る少年の姿を遠目にふと思う。
”平和”と”反戦”
それはもちろん人類全ての願いだ。
だが、僕はここまでどこか他人事のように考えていた。
その日は市民団体の反戦反核運動があったらしく、多くのマスメディアが報じていた。
それを後目に「原爆写真展」をみていると打ちひしがれてしまった。
僕は戦争を知らない子供たちで、戦後の左翼教育と、その揺り戻しのネットウヨクである。
イデオロギーなんてものも、すべてが幻のような一時の狂騒だと賢いふりをして知っている。
しかしそこにある写真や文章がすべて真実ではないにしても、この広島は「原爆が落ちた街」な事実には変わりはない。
記録された言葉や写真には悲痛なまで「無力さ」と「戦争というものの悲劇」と「原爆の怖さ」。
それを決して忘れないためのこの街が大きなモニュメントでもあるのだと知る。
今、僕たちが考えること、できることはなんなのだろうか。
そんなことが頭をもたげながら、「あの夏を忘れない」がリフレインする。
愛するってなんだっけ?