コールドケースを見ていたらこの事件を思い出しました。


【北海道男児行方不明事件】

1984年1月10日、札幌市豊平区の小学4年生・城丸秀徳君(当時9歳)が行方不明となった。 それから4年後の1988年6月、新十津川町の農家の納屋から子供の骨が発見される。1998年11月15日、DNA鑑定の結果、骨は秀徳君のものであると断定され、この家の主の妻のK子が逮捕される。K子は1984年に秀徳君の家の近所に住んでおり、その当時警察から事情を聞かれている人物であった。


“事件前の呼び出し電話”
1984年1月10日午前9時35分頃、札幌市豊平区の会社役員の次男の秀徳君(当時9歳)は自宅にかかってきた電話を受け、「ワタナベさんのお母さんが僕の物を知らないうちに借りた。それを返したいと言っている」と言い、家を出ていった。意味が分からない母親は心配になり、小学校6年の兄に「一緒に行って」と頼み、兄が急いで後を追ったが途中で秀徳君を見失ってしまう。その後、秀徳君はいつまでたっても帰らないため、両親は警察へ届け、14日から公開捜査が始められるが、秀徳君の行方は依然として不明。

秀徳君の家族によると、その日近くにいた秀徳君がたまたま電話をとり、そのまま話していたとのことで、その際に秀徳君は電話の声は女性だと話していた。なお、家族の中で「ワタナベ」という姓の人物に親しい間柄のある人はおらず、警察が付近一帯をくまなく聞き込みしたところ、秀徳君を見失った付近にあるアパートの階段を上る秀徳君を見たという小学生からの目撃情報を入手する。

警察が聞き込みをしたところアパート2階に住む女性(K子)が、確かにその日に秀徳君が訪ねて来たと言う。渡辺さんの家と間違われたため、ここではないと答えるとすぐにいなくなったと話していた。
その後K子が、秀徳君がいなくなった日の夜に大きなダンボール箱を運び出していたなどの目撃情報もあったものの、その他の有力な情報は少なく捜査は難航した。そしてK子は、事件の3週間後にそのアパートから引越している。


“捜査線上に浮上する謎の女”
K子は日高地方のある町で生まれ、中学卒業後は集団就職で上京。まもなく北海道に戻り登別温泉のホテルで働いていた。再び上京して、26歳の時に結婚するが、1年後に離婚。離婚したK子は、秀徳君行方不明事件の当時、秀徳君宅と100Mの場所にある札幌市豊平区のアパートに長女(当時1歳)と2人で住んでいた。
当時高級クラブのホステスをしていたK子は、700万円以上の借金があり、そのうち636万円の返済を迫られていたという。

その後K子は、事件から2年後の1986年5月、新十津川町の農業自営のWさん(当時36歳)と再婚する。翌年、突然の火災で母家が焼ける事件が発生。階下で寝ていたK子は長女を連れて隣家に助けを求め無事だったが、夫のWさんは焼死した。

逃げ出した際のK子は、なぜか預金通帳と生命保険関係の書類一式を入れたカバンを持っており、深夜にも関わらず服装はK子と長女共に外出着であった。また、夫のWさんには1億9千万円の生命保険がかけられており、以前からK子に不信感を抱いていた夫Wさんの親族達は、この火事の一件でK子に対し疑いの目を向けていた。尚、火事の原因が特定できないことなどを理由に、保険会社は保険金の支払いはしていない。

1988年6月、Wさんの弟が延焼をまぬがれた納屋の整理をしていると、ポリ袋に入れられた骨片が見つかる。不審に思ったWさんの弟は警察に届けた。鑑定した結果、この骨片は火葬された子供の骨だと判明する。警察は1984年に行方不明となっている、秀徳君のものである可能性が高いとして、K子から事情をきいたが、「そんな骨は知らない」と答えるだけだった。
当時の鑑定技術では、その骨が秀徳君のものと断定することは不可能であり、またその他の決めてがなく捜査は打ち切られた。


“時効直前の逮捕…しかし”
時効(99年1月)も間近に迫った1998年11月、DNA鑑定で遺骨は行方不明の秀徳君のものと断定し、同月15日にK子が逮捕される。本来ならば、未成年者略取・死体損壊や死体遺棄容疑なども考えられたが、それらはすべて時効となっており殺人容疑のみの逮捕となった。

K子は起訴事実を否認し、取調べの際には完全黙秘を貫き通した。
検察は調書が取れないまま殺人罪で起訴したが、殺害方法や動機については不明のままの異例の裁判となった。

検察側がK子による犯行とする根拠とした点として、
● 秀徳君に最後に接触していた
● 秀徳君や家族以外に犯人しか知り得ない誘い出すときの名前
  「ワタナベ」を知っていた
● 男児用の学童机を購入したり、毎日のように仏壇で
  手を合わせるなど、秀徳君の供養をしていた
などがあった。

しかしこうした検察側の質問に対してもK子は、「お答えすることはありません」というお決まりの返答を繰り返し続けるだけで、その回数は驚くことに400回にも及んだという。


“その時、女は顔を上げた”
2001年5月30日、札幌地裁は「被告人が重大な犯罪によって死亡させた疑いが強いが、死因が特定できず、明確な動機も認められないことなどから、殺意があったとするには疑いが残る」とし、K子に無罪を言い渡した。

検察側は控訴するも、2002年3月19日、札幌高裁は「重大な犯罪で秀徳君を死亡させた疑いが強いが、殺意をもって死亡させたとするには合理的な疑いが残る」として控訴を破棄。28日には検察は上告を断念。
K子の無罪は確定した。

以上
【殺戮者は二度わらう-放たれし業、跳梁跋扈の9事件 (新潮文庫)】など参考

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私自身の率直な感想を述べさせて頂くと、秀徳君の殺害に関してK子が関
わっていた可能性は限りなく黒に近いのではと思います。例えば秀徳君の
骨が、引越しする前のアパート(秀徳君の近所)で発見されたとかならば、
また違う可能性も考えられますが、何十キロも離れた場所に再婚したK子
の住む納屋から、以前ご近所で行方不明になっていた秀徳君のご遺骨が
偶然発見されたとは合理的にありえないことだと思うからです。

また、検察側が犯行の根拠としてあげた『秀徳君や家族以外に犯人しか
知り得ない 誘い出すときの名前ワタナベ」を知っていた』、これが事実
であるならば、(事件後の聞き込みの際にこういった発言があったなど)
とても重要な発言だと思います。


ワタナベという名前を知っていた=秀徳君が事件当日訪ねてきたというK子
の証言は事実ということになり、またK子の住むアパートの階段を上る秀徳
君の姿を見たという目撃情報は確かだということになります。
K子が言うように、ワタナベではないと分かった秀徳君がどこか他に行った
としても、秀徳君がいなくなる直前に、K子と接触があったことは否定でき
ません。その人物がその地を離れて数年後、引越し先の納屋から秀徳君の
ご遺骨が発見される、これを偶然とするのはとても難しいと思います。

ただし、1つ疑問が残ります。
納屋は燃えることなく残っています。そこからご遺骨が発見されたという
ことは、秀徳君は死後、何者かに燃やされたということです。子供といえ、
人間を燃やすとはそう簡単にできることではありません。どこで燃やした
のでしょうか?


秀徳君の父親は会社社長で、近所では有名なセレブなお宅だったそうです。
そのことから警察は事件当初、誘拐事件の線で捜査していたのではないで
しょうか。しかし犯人から身代金の連絡は一向に入らない。ということで、
行方不明になってから4日後にやっと公開捜査ということになったのではと
考えられます。

この事件も、時間と時効いう大きな壁に阻まれ、真実を解明出来ない部分が
非常に多かったのではないでしょうか。

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