4月3日はこの映画の大きな一歩の日となった。
長崎市長表敬訪問。
こちらのメンバーはこぼり、東を含めて三人だった。
新聞社とテレビ局が多数集まってくれた。
この時点で決まっていたのはタイトルだけ。
クランクインの日付…ストーリー…登場人物…キャスティング…予算…
実はまだなにも具体的には見えていなかった。
企画を進めるときに、なにから進めていけばいいかは難しい。
予算からなのか…でも予算も脚本やキャスティングが見えないと組めなかったり…
結局、よーい、ドンですべてが動いていく感じになる。
しかし、そのよーい、ドンですべてを動かすには、またそれなりの力が必要になる。
この映画のよーい、ドンの牽引力の一つがこの市長表敬訪問だったと思う。
間違いなく「池島譚歌」はここからスタートした。
【田上市長と】
その前日は数時間だけ池島に入り、その翌日はハウステンボスへといった。
ハウステンボスはロケ場所探しの旅だった。
ギネス世界記録に挑戦しようということは決めていたのでそのロケ場所を探していたのだ。
東京に戻り、再び人と会う毎日。
いろいろな企業関係者に企画を話しにいく。
この時、この映画の資金を宣伝費で集めたいという考えは出来上がっていた。
普通、映画はお金を借りて作るもの。
だから出来上がったときに、まずはお金を返すというしがらみがあり、
また借りてきたことにより、著作権も分配されてしまう。
これでは映画界は先が無いと思う。
だから宣伝費で「池島譚歌」を作ろということは絶対の条件だった。
ただしこれは今までにないことであるので、相当に難しいことであることはわかっていた。
アフィリエイトシステムという資金繰り方法を考え、こぼりが企画書にしてくれた。
とにかく毎日、企画の話をしに動き回った。
4月26日からまた長崎へいった。
今度は新聞社とテレビ局周りがテーマだった。
実際に考えると、多くの営業周りはなにも役に立たなかった。
しかしそれでもこの映画の道を決める大きな出会いもあった。
いつも「10営業して1成功したら大成功!」と思っている。
だがこの日々では「10営業して2以上の成功」した。素晴らしいものだった。
最初は放送局だったが、あまり興味を引っ張れなかった。
しかし、そこで教えてもらったのが長崎で1番の広告代理店・プラネットさんのこと。
急ぎプラネットさんの電話番号を調べ、電話をしてみる。
すると15分だけ会えることになった。
お願いしたのは資金繰りのお手伝いのこと。
後々、この15分の出会いこそがこの映画の方向を決めた。
そして長崎文化放送さんとの出会い。
今でも長崎文化放送さんの人々には感謝をしている。
そしてこれからも感謝をし続けることだろう。
フィルムコミッションさんや、
ギネス世界記録TMイベントを仕切ってくれることになるページワンプランニングさん…
この長崎行きで「池島譚歌」は走り出した。
しかしまだまだなにも具体的になっていなかった。
ギネス世界記録に挑戦!