愛猫の死 | 杉本彩オフィシャルブログ 杉本彩のBeauty ブログ Powered by Ameba

杉本彩オフィシャルブログ 杉本彩のBeauty ブログ Powered by Ameba

杉本彩オフィシャルブログ 杉本彩のBeauty ブログ


シロちゃんから

コメント頂きました。


愛する猫ちゃんが、
最期の瞬間
誰にも看取られず
死を迎えてしまった、


その悲しみから
まだ立ち直れないと…。


実は昨年末、
うちのドンも、
16歳で

天国に逝ってしまいました。


生後3ヶ月で
北海道から連れてきた
真っ白の子です。


ドンはいくつかの
持病を持っていましたが、
最近は頻繁だった
癲癇の発作も少なくなり、
まだまだ元気でいてくれると思っていました。


ですから、
私にとっては、
あまりに突然の出来事で、
いつものように発作が治まれば、
また元気になると思っていたのです。


けれど、
いつもの発作とはどうやら違うと、
翌日気付いた時には、もう遅かったのです。


年末の最後の仕事を終えて、
私が家に戻る15分ほど前に
息を引き取ったと、
家から連絡を受けました。


誰かがいてくれたことが唯一の救いでした。


私がもっと早く気付いてたら、
なんとかなったのではないか…


そんな思いが押し寄せます。


動物医療に詳しい友人や
獣医さんにその思いを告げると、
いや、どっちにしても
薬を準備するにも時間が必要だったし、
非常に難しかったし、
必ず助かったかどうかも
難しい状況だったと言われました。


その言葉に

少し救われながらも、
けれど、

未だに心の中で、
引っ掛かりがあるのです。


あの時、
年末の忙しさから
少し立ち止まり、
もっと慎重になって、
いつもとの微妙な違いを
もう数時間でも早く気付き、
何かしらの処置を
受けることができたら
助かったのではないか…と。


どれだけ誰の見解を聞こうと、
結局自分の中の後悔を
完全に払拭することはできません。


一昨年に亡くした
タマのリンパ肉腫の時も、

高度医療の病院に
最後の望みをかけて移した翌日、
タマは逝ってしまいました。


寒い冬、
二子玉川のデパートの前で
妊娠していたので保護し、
7年間うちにいた子でした。


結局、私は

最期看取ることができず、
病院で死なせてしまうんだったら、
高度医療に望みを託すより、
覚悟を決めて最期は家に連れて帰って
看取ってあげたほうがよかったのではないか… 。


選択を間違ってしまったのではないか…。


そんな思いが押し寄せました。


17歳で、
腎不全で逝ってしまったトムは、
2週間の看病の後、天国に旅立ちました。


亡くなる数時間前から、
ずっと傍にいてやれました。


けれど、苦しんでいる姿を
見守るしかありません。


その苦しみの中で
逝ってしまったトムに対しても、
もっと苦しみを軽減できる
何かしら手段が
あったんじゃないかとさえ、
そんな思いが沸き起こります。


最期、看取ることができても、
このような思いが

いつも着いてまわります。


愛する家族に看取られながら、
眠るように老衰で
この世を去るという、
完璧な死など
ほとんどないのかもしれません。


いつもいつも後悔は形を変えて、
私たちにまとわりついてきます。


こうやって動物たちは、
生と死の、その一生を通して、
私たちに尊い教えを与えてくれます。


命あるものは、
いつか終わりがあることを
鮮明に伝えてくれます。


だから後悔のないように
生きなければならないと…。


人生の中で、
まったく後悔なく生きるなんて

難しいことでしょう。


だから、その後悔と
どう向き合うか、

後悔を学びとし、
後悔に押しつぶされないように
することだと思うのです。


その思いをしっかり胸に刻み、
その教えの重みを感じるからこそ、
しっかりと地に足をつけ、
地面に根を下ろしていけるのだと考えています。


私は、このことを反復して
自分に言い聞かせ、
犬や猫たちの死と向き合っています。


もっと可愛がってあげたらよかった、
もっと愛してあげたらよかった…


そんな後悔だけはしたくないので、
自分にできる
精一杯のことへのエネルギーだけは
惜しまないように心がけています。


出かける前の忙しいとき、
抱っこをせがむモモタロウを、
抱っこしながら準備したり…あせる


あの時、
抱っこできなかったことを

後悔したくないのです。


こういう考え方も、
結局は、かつての
後悔があったからこそなのです。


このブログを読んで、
少しでも悲しみを乗り越える
手がかりにして頂ければと思います。